戦闘的に走れ!

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2006年 05月 11日

A DAY IN THE LIFE!

またしても、いきなりですが、3日に親友と銀座で待ち合わせをしたので、その時の模様を書いてみようと思います。

待ち合わせの時刻が、予定より少し伸びてしまったので、東京フェリー埠頭に立ち寄ってみました。

お台場の近くにある東京フェリーふ頭は、有明埠頭とも呼ばれ、沖縄・徳島・釧路へと利用できますが、有明4丁目・10号地と名付けられた地名だけあって、貨物輸送がメインの埠頭です。
東京フェリー埠頭4号にて。
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遠い空から向って飛んでくる飛行機って、なかなか近くに来ないなーって、思って見ていました。
でも近くに来ると、驚くほど速いのですね。
航空速度を考えれば、当たり前のことなのですが、F1の方が圧倒的に速く思えます。
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埠頭好きな僕が、次に向ったのは晴海埠頭でした。
昔々、モーターショーというよりも、自動車ショーが開催されていた全ての建物も、すっかり解体されてしまって、残念ながら今や僕の少年時代の憧れの地ではなくなってしまいました。

『ほっとプラザはるみ』の駐車場からの画像です。判り難いのですが、手前から、晴海運動場、晴海埠頭公園と続いています。

レインボーブリッジを、お台場方面から眺めるのとは、ちょうど反対に位置する晴海埠頭公園ですが、僕は、この晴海埠頭公園から眺めるレインボーブリッジと東京の夜景が大好きです。

左に見える三角屋根のガラス貼りの建物が、『晴海客船ターミナル』で、こちらからの夜景も綺麗ですが、目線の低い晴海埠頭公園からの夜景の方が、香港のようで僕の好みになっています。
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僕は、小さい頃から『のりもの』が大好きでした。
そして『のりもの』の絵本を見ているのが大好きでした。

自動車・船・飛行機・汽車・・・『のりもの』といえば、こんな感じなのですが、『のりもの』の絵本に必ずといっていいほど描かれていた場所がありました。

自動車・船・飛行機という、異なった陸海空の3種類の『のりもの』を見開き2ページに同時に違和感なく描かれる場所がありました。

それは隅田川に架かり、築地と月島を結ぶ『勝どき橋』でした。

有名なロンドンのタワーブリッジと同じように、橋の真ん中で、二つに割れて開く『双葉跳開橋』で、当時は、1日に数回開いておりましたが、移り行く時代と共に、トラック輸送が主流になっていってしまい、1968年3月に開閉を止めた、あの『勝どき橋』が、『のりもの』の絵本には、必ずと言ってよいほど描かれていました。
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僕は子供の頃に、何度も『勝どき橋』が、開いたのを見ました。
幼心ながらに感じた、色々な意味も含めて、今でも、とても思い出に残っている場所です。
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そして、晴海通りから昭和通を左折し、ポルシェセンター銀座の前を通りました。
多いときには、一日に数百人の来客があるというポルシェセンター銀座も、この方向からは、以外に小さく見えます。
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ポルシェセンター銀座を左手にし、次の信号を右折すれば、中央通りになります。

ここは新橋よりの銀座なので銀座8丁目です。
僕の高校の頃の彼女は、当時でも数少ない銀座の住民で、銀座8丁目に住んでいたので、この辺りは、思いで多き場所でもあります。
更に時を同じくして、高校時代の悪友も、1丁目に2人、4丁目に1人と銀座の住民だったので、銀座にはとても親しみがあります。

3日は水曜日でしたので、中央通りが歩行者天国で通行止めとは、思ってもいませんでした。
日本で一番最初の歩行者天国は銀座で、この中央通りでした。
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中央通りの銀座一丁目から銀座八丁目まで、区間としては約1,100メートルを通行止めにして、歩行者天国になるのは、今も昔も同じです。
銀座四丁目で途中交差する、晴海通りとの交差点のみに信号があるのも、昔と同じままです。
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歩行者天国のきっかけとなったのは、交通渋滞による大気汚染に対する反省を促し、人間よりも自動車の方が優位にあるような、当時の風潮に反省をこめてのことと、ということのようです。

それは、1970年のことで、クルマの免許もまだなかった、当時の僕の遊び場は、この銀座と渋谷・原宿・池袋・お茶の水、その周辺の月島・目黒・代々木・目白と、今にして思えば、かなり広範囲に渡っていました。
自動車免許を取得してからの、僕の遊び場は、付き合った女の子の住まい次第で、何処までも広範囲に広がって行くという優柔不断な人に変わりました(笑)

歩行者天国が始まった頃の銀座は、学生を主体とした若者で溢れていて、軟派天国ともいわれていました。
女の子達は、声を掛けられる目的の為に歩いているワケなので、声を掛けなければイケナイ!と、使命感さえ感じてしまう、良き時代のお話です。

通行止めの中央通りから、待ち合わせ場所でもある並木通りに987を向けました。

中央通りより、一本JR寄りを通っている並木通りは、現在では、ルイ・ヴィトン銀座並木通り店、ダンヒル並木通りブティック、グッチ並木通り、フェンディ銀座並木通店、フォリフォリ銀座並木通り店、というように有名ブランドのブティックの通りとして有名ですが、それは晴海通りとの交差点から始まる銀座5丁目から銀座8丁目方向の区間になります。

並木通りはチョットした渋滞をしていましたが、駐車しているクルマを眺めているだけでも楽しくなれる、僕にとっては快適なものでした。
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1955(S30)年に作られた初代クラウンを思い浮かばせる、観音開きのトヨタ・オリジンが停まっていました。

トヨタの国内生産累計1億台達成を記念して、期間限定車で販売されたトヨタ・オリジンは、プログレをベースにしたとは思えないほど、個性的なデザインでリアガラスの左右エンドの処理などは、古き良き時代のクルマそのもののデザインです。

トヨタ・オリジンでさえ、2000年の限定販売ですから、時の流れは速いものですね。
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並木通りで、親友と合流し、西銀座駐車場に987を預けました。

そして、今やチョット大衆化した『しゃぶせん銀座2階店』で、しゃぶしゃぶを楽しみながら、語り合うことにしました。
『しゃぶせん銀座2階店』がある銀座コアビルは、歩行者天国が始まった頃に完成したビルです。
当時は若者が沢山集まってくる場所でしたが、今はその面影はありません。

しゃぶせんでの僕のお決まりのメニューは、『アスパラ豆腐・ビシソーワーズ・しゃぶしゃぶ・おかゆ・吉野紅梅』です。
小豆入りのおかゆに、お砂糖をかけて食べるのが、しゃぶせんでのルールなのですが、僕はこの一見ミスマッチな食べ方が大好きです。
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西銀座駐車場から987を出して、銀座4丁目交差点・和光の隣にある『山野楽器』に立ち寄りました。

学生だった頃の僕は、この山野楽器、新宿レコード、渋谷ヤマハで輸入版のLPレコードを頻繁に購入していました。
当時、購入した英国版のレコードが、今やオークションで、数十万の価格で取引されていますので、当時の投資もまんざらではなっかたような気がしています。
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その後、親友を送って行き、こうして僕の5月3日という一日が終わりました。

中央区銀座の歴史は江戸時代に遡ります。
江戸時代には、銀製の銀銭を鋳造するところを銀座と呼んでいたそうです。
つまりは江戸時代には、造幣局があった場所ということになります。

僕が学生の頃も、そして今も変わらずファッション・芸能・文化の中心として今昔の様々な名所、名店、銘菓、劇場が沢山あり、日本の洋食の発祥の地でもある銀座は、僕にとっては何度行っても素敵な場所です。

今までに、数え切れない程行った銀座。
その一度一度が、僕の人生の中の一日一日として刻まれていたと思うと、今日という5月3日も素敵な思い出を刻めた、充実した一日であったことに、僕は素直に感謝したいと思っています。

※連休明けで、仕事がバタついてしまい更新が遅れてしまい申し訳ございませんでした。
(6日に、993RS、996GT3、ガヤルドと乗り比べをして来たのですが、この楽しい経験は、とても簡単には書けなさそうですので、次の機会にさせて頂きます。)

by seiuchi-porsche9 | 2006-05-11 23:03 | ポルシェ987ボクスター


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