戦闘的に走れ!

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2006年 09月 10日

Paranoidその②(情熱☆熱風■せれなーで! )

前回は、こんなことを書きました。

クルマは壊れて、自分の思い通りにならないものだと思って来ました。
自分の思い通りにならなくて、時として、ご機嫌をそこねるのが、クルマの魅力だと思って来ました。
オーバーヒートと、エンジンブレーキという、自動車用語を子供の頃に、自然に覚えたとも書きました。

18歳で免許を取得した僕は、オーバーヒートという事態を、何度ともなく経験してきました。
最初の経験は、父の会社にあった日産チェリーGL1000でした。
日産チェリーは、チェリー・クーペ・X-1が、名車として今でも有名です。
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チェリー・クーペ・X1の上級車種には、リベット留めのオーバーフェンダーが、標準装備された、チェリー・クーペ・X-1Rというものがありました。

この日産チェリー・クーペ・X-1Rとは、チョットした縁があって1ケ月ほど乗っていました。
1ケ月という短い付き合いだった理由は、斜め後方の視界が悪いどころか、視界ゼロと言ったほうが判り易いような視界の悪さからでした。

独特のクーペ形状のスタイルに加えて、更に悪いことには、その日産チェリー・クーペ・X-1Rには、新車オプションにあった、大きなバイザーが、リアガラスの全面に取り付けられていました。

このクルマのリアガラスは、大きくて、そして勾配も強く、ほぼフラットというものでした。
そのリアガラスに、ブラインドのような黒いバイザーが取り付けられていました。

ドライバースシートに座って、後方で確認出来るものは、リアガラスに取り付けられた、黒いバイザーのスリットの隙間から、垣間見れるものが、後方視界の全てという感じでした。

リアガラスの縦方向の寸法が小さく、後方の視界が良くないクルマは沢山あります。

当時の僕の経験の範囲だけですが、ロータス・ヨーロッパも。後方の視界が良くないクルマでした。

僕が譲って頂いたロータス・ヨーロッパは、ルーフの前方に小さな四角い穴が開けてあり、その四角い穴に潜望鏡が取り付けられていました。
前オーナーが、47GTを真似して、色々と改造してありましたが、今の資料では潜望鏡は見当たりません。
このロータス・ヨーロッパは、とても楽しいクルマであったと同時に、楽しいほど壊れました。
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この潜望鏡は、ルーフに取り付けられたミラーに映る後方の視界を、室内のミラーに反射させて、映し出すという原始的な方法でした。
でも、今後、ロータス・ヨーロッパを手にするようなことが、仮にあったとしたら、真っ先にイジッテしまいそうなくらい、お気に入りでした。

ランボルギーニ・ガヤルドのリアガラスの高さが、あと5センチほどあったら、現在市販されているスポーツカーの中で、僕の理想のスポーツカーの首位に躍り出てくることは、間違いがないことだと思っています。
僕は、それほどまでに、ランボルギーニ・ガヤルドは気にいっています。

ランボルギーニ・ガヤルドは、親友M君の黄色のガヤルドを、かなり運転させて貰っているので、次の機会にでも、大好きな、ランボルギーニ・ガヤルドについて、触れてみようと思っています。
(実は、5月に行った、p96993rsさんの993RS、M君のガヤルド、僕の996初期型GT3の乗り比べについて、今だに書いていません。もう9月ですね!)
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チェリー・クーペ・X-1Rのリアガラスは、ドライバーズシートから離れたところにあります。

ストラットが入って、視界がよくないリアガラスが、ドライバーズシートから離れたところにあるという状況は、ミッドシップのように、高さがないリアガラスを、ドラーバーズシートに近い後方に設置されている状況よりも、後方の視界は悪くなります。

住宅の窓ガラスに取り付けられたブラインドの、その隙間は近くで見た時と、離れてみた時とでの、透視度は大幅に違います。
それと、同じ現象が、クルマのリアガラスでも起こるワケです。

更に、チェリー・クーペ・X-1Rは、リアガラスの傾斜が緩いので、水はけは良くなく、汚れ易くと・・・後方の視界に関してだけは、絶望的なクルマとして思い出に残っています。
こんなことならば、思い切って黒いバイザーを取り外して、乗っていたらと、凄く後悔しています。

チェリークーペ・X-1Rのエンジンは、日産自動車の名機A12搭載車です。
現代の前輪駆動からは、想像も出来ないような、もっと荒々しい前輪駆動特有のクルマなのですが、フロントタイヤをキューとホイールスピーンさせて、スタートして行く、あの感覚は、今、思い出しても、ゾックとする最高のものでした。

最近は、チョット走っただけで、FFだと判るクルマがなくなってしまいました。

それは、FFというクルマに対する自動車技術の進歩ということなのでしょうが、100馬力もないエンジンで、1トンにも満たない軽めのボディーを、フロントタイヤでグングンと引っ張っていく、あのFRとは、全く別物の感覚を与えてくれた、こんなFFのクルマがあった時代を知っていることは、とても嬉しいことだと思っています。

アルファロメオ147GTAは、僕が大好きだったFFらしさが、今だに漂っているクルマだと思っています。

アルファロメオ147GTAは、往年のFRでないアルファロメオなので、本来ならば、僕の好みとするアルファロメオとは、異なっています。
それでも、アルファロメオ147GTAのステアリングを握るのが楽しくって仕方がないのは、僕の意に叶ったFFのクルマだからです。

アルファロメオ147GTAのステアリングを握り、フル加速します。
シフトアップした瞬間に、ステアリングの握りを緩めると、一瞬何処に飛んで行くのかが判らなくなります。
アルファロメオ147GTAの、あの感覚が、僕の心をくすぐり続けています。

アルファロメオ147GTAのエンジンは、フロントタイヤより前方ぎみに重心があります。
つまりエンジンが、フロント・オーバーハングして載せられています。
フロントが重くて、リアが軽めという、判り易い仕組みです。

僕は、アルファロメオ147GTAを、バックギアに入れて、フル加速をしたことが、何度かあります。
アルファロメオ147GTAを、バックで逆さまに走れば、往年の空冷911の走りに似ているのではないかと、試してみたのですが・・・バック走行では、判りませんでした。
こういう遊びが、僕は大好きなのですが、アルファロメオ147GTAは、往年の空冷911を逆さまに走らさせたクルマだと、今でも思っています。
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日産チェリーは、日産自動車で初となる、エンジンが横置きの前輪駆動車でした。

初代チェリーは、1リッターのエンジンと、1.2リッターのエンジンの2本立てで登場しました。
チェリーGL1000は、字の如く、1リッターのエンジンを載せた、2ドアーセダンでした。

僕が乗っていた、チェリーGL1000は新車だったのですが、チョットした渋滞に巻き込まれてしまうと、水温計はどんどんと上がって行き、120度もあっという間に過ぎ、最後には水温計も振り切るというクルマでした。
そのままの状態でいると、ボンネットの先端と、ボンネットと左右のフェンダーの隙間から、白煙が舞い上がります。

ラジエーター内で沸騰した冷却水が、ラジエーターキャップの隙間から溢れ出していて、それが湯気となって、ボンネットの先端と、ボンネットと左右のフェンダーの隙間から、白煙が舞い上がっているように見えるワケです。

強制的に回る電動ファンが付いていても、全く役が立っていないクルマでした。
ラジエーターキャップは、新品に何度となく取り替えましたが、効果はありませんでした。

僕は、このチェリーGL1000を、チョイ乗り用のクルマとして頻繁に使用していました。
何度ものオーバーヒートを経験した僕は、最終的に、このチェリーGL1000の乗り方を極めました。

それは、水温計が120度まで上がるギリギリまでは我慢して、120度を過ぎたら、渋滞している道路から、一目散で脇道に入り、一目散で空いている道路を捜して、一目散で100キロ以上出すという、一目散だらけの解決方法でした。
そして100キロ以上で数分間走ると、水温計の針はだんだんと下がってきます。

ラジエーター本体の温度を、フロントグリルの隙間から入ってくる強風で、一気に冷やすことが、一番の解決策だということを、遅まきながら発見したのでした。
速度が速ければ、速いほど、ラジエーターにあたる風の勢いも増すので、速度は大切でした。

この方法を覚えた僕は、チェリーGL1000に乗っていて、渋滞に巻き込まれるということに、恐怖感を抱かなくなりました。
もう少しで、噴出すという感覚を掴むまでは、何度となく失敗を繰り返しました。
この感覚をマスターすると、水温計が上昇することが、快感にさえ思えてきました。

唯一、とても不便なことがありました。
渋滞している道路から、一目散に脇道に入り、一目散に空いている道路を捜し、一目散に100キロ以上出し、その後の数分間走って辺りを見渡せば、そこは僕の全く知らない場所ばかりということでした。

100キロで3分走れば、5キロ進んでいます。
100キロで5分走れば、8キロ強進んでいます。

渋滞している道路から、一目散に脇道に入って、一目散に空いている方の道路を選択した場合には、間違いなく、渋滞している道路の裏道ではありません。
言い換えれば、渋滞している道路から脇道に入って、混雑している脇道を選択して走って行くと、それが渋滞している道路の裏道となる可能性が高くなります。

僕には、100キロ以上のスピードという、自分へのノルマがあるので、空いている脇道を選択して走っていました。
チェリーGL1000の最高速度は140キロほどだったので、100キロ以上を保つというノルマは、ある意味では、とても楽しいことでした。

唯一、問題だったのは、チェリーGL1000に乗ると、本当に行きたいところには、あまり行けなかったということでした。

何度も書きますが・・。
クルマは壊れて、自分の思い通りにならないものだと思って来ました。
自分の思い通りにならなくて、時として、ご機嫌をそこねるのが、クルマの魅力だと思って来ました。
ですから、僕は今でも、このチェリーGL1000は大好きです。

オーバーヒートで、思い出すクルマとしては、BMW320iもあります。
このBMW320iは、初代の3シーリーズです。

先代にあたる、BMW2002シリーズも、僕の大好きなBMWでした。
BMW2002ターボは、2リッターで170馬力のクルマでした。
ターボチャージャーにインジェクションの組み合わせでした。

BMW2002ターボは、当時の僕の憬れのクルマでした。
全幅が160センチ強で、全長が4メートル強のクルマでした。
オーバーフェンダーを装着していても、13インチのホイールという古いお話しではありますが・・・・。
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BMW2002ターボは、1年ほどしか生産されなかったので、当時でも貴重な車でした。
ケンメリのスカイラインGTRも、同じ意味での貴重車ですが、生産台数が少ないということは、いつの時代であっても、心を揺すぶる何かがあります。

当時の僕は、ソレックスのキャブレター仕様のBMW2002tiの発展型である、インジェクション仕様のBMW2002tiiが、超貴重車であった2002ターボよりも、憬れの対象になりえるBMWでした。

現実とは、思い通りに行かないもので、シングルキャブのBMW2002に巡り会い、例によって、1ケ月のみ乗っていました。
インジェクション仕様の130馬力のBMW2002tiiを夢みていた僕としては、100馬力のBMW2002は、こんなものかと思いました。

僕は、この時に、欲しいクルマがあって、その欲しいクルマのグレードまでが、決まっている場合は、どんなムリをしてでも、当初の欲しいグレードのクルマを購入しないと、その後悔の気持ちは、購入後にますます増長していくということを知りました。
このことを、若かりし頃に知ったことは、とても良かったことだと思っています。
僕が乗っていたBMW2002も、画像と同じソリッドのオレンジでした。
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BMW2002を手放したあとも、BMW2002tiや、BMW2002tiiは、チャンスがあるごとに率先して乗りました。

思い返せば、BMW2002を所有していたという記憶よりも、BMW2002tiやBMW2002tiiを所有していたという記憶が残るほど、好んで乗っていました。

2ドアーセダン(僕にとってのクーペは、使い方として2ドアーセダンというイメージの中にありました)のクルマと、2シータースポーツカーという組み合わせでの生活が、生意気にも大好きだったのですが、意外な経験をすることになります。

それは、初代アウディ80GLを運転した時でした。
4ドアーセダンへの興味は全くなかったので、アウディ80GLの魅力に陥るなんってことは、考えてもいませんでした。

BMW2002のベースは、BMW1502ですから、その基本設計は60年代でした。
アウディ80GLは、70年代の登場ですから、アウディ80GLは、その全てが、とても斬新なクルマに思えました。

4ドアーセダンといえば、快適フル装備のクルマをイメージしていた僕にとって、僅か80数馬力で、快適装備はエアコンぐらいしか装着されていない、こんなアウディ80GLに惹かれるとは思ってもいませんでした。

4速マニュアルのアウディ80GLのエンジンは、気持ちが良いほど上まで回りました。
これは、当時の国産車のツインカムのエンジンでも味わえなかった、フィーリングでした。

前輪駆動のフロントタイヤは、クラッチを多少荒くつなげば、キューとホイールスピーンしてスタートします。
1速から2速にシフトアップした時にも、フロントタイヤはキューと音を立てていました。
当時は、トラクションコントロールというものがないので、スタート時や、2速にシフトアップした時のホイールスピーンは、クルマのパワーを直接感じられる、一番簡単な方法でした。

言い換えれば、そのクルマの絶好調時の、スタート時のホイールスピーンする長さや、2速にシフトアップした時のホイールスピーンの力強さを、覚えておけば、数万キロ走行した、中古車のヤレ具合が、簡単に判ることになります。
当時のクルマは、フル加速した時のホイールスピーンの様子と、手放し走行でフル加速と、フル減速を繰り返して挙動を試したりすると、そのクルマの持つ大きな問題点は概ね暴露できました。
状態の良い個体に巡り会ったら、その個体の乗り味を、詳細に記憶しておくということが、とても大切なことでした。

当時は、ハブベアリングの耐久性があまりよくないという時代でした。
クルマの全部の窓を全開にし、少々距離があるトンネルを目指します。
そして、ある程度の速度を保ち、アクセルペダルを踏まない惰性のスピードで、トンネルに進入して行きます。
トンネルの中で、ステアリングを左に緩やかに長めに切って、次に、右に緩やかに長めに切ってと、これを繰り返します。
この時に、シューというかすかな音がタイヤ付近から、聞こえていると、ハブベアリングの息が絶える時期が近いことになります。

ハブベアリングが壊れると、クルマが直進状態の時に、連続的なシューという、比較的大きな音がします。
壊れたハブベアリングのクルマは、ステアリングを、左右に切ると、連続的なシューという音が途絶えます。
ステアリングを切れば、音は止まり、戻すと音がするようになります。
ハブベアリングは壊れていくと、段々と音が大きくなっていくので、不具合を早期発見するのには、トンネルでの走行が適していました。

クラッチペダルの遊び調整が、ギアをバックに入れて、思いっきりバックして、思いっきりブレーキを踏む・・・これを何度も繰り返していくと、クラッチペダルの遊びの位置が変わっていくというクルマがあることも知りました。
今では、あまり役立たない、色々なことを、当時は学びました。

現代のクルマは、トラクションコントロールが装着されていたり、学習機能があったりと、パーツの殆どが電子制御されているクルマが多いので、僕的には、新車時の性能が覚え難くなりました。

僕が、どんなクルマでも、最低1000キロは運転しないと、そのクルマが、僕には判らないというのは、1000キロは走らないと、僕自信が、そのクルマのことを覚えられないからです。

僕の中古車の購入方法は、欲しいクルマを捜して買う方法ではなく、縁があったクルマを購入するという方法です。
つまり、どんなクルマと縁があるのかは、想像も出来ないし、想像もしていません。
今までも、●▲■というクルマの話しが出てきて、それに縁を感じたら購入してきました。
つまり、今、チャンスを得て運転させて頂いているクルマと、同一車種のクルマを、いつの日にか購入する可能性が少なからずあります。

クルマは見ただけでは判らないと教えてくれたのが、アウディ80GLでした。
そして、同一車種内で、もっと欲しいクルマがあったら、2番目以降のクルマは購入しない方が良いと教えてくれたのが、BMW2002でした。

僕にとっては、このBMW2002に該当しないクルマであり、過去に乗ったことのないクルマであり、そのクルマの排気量が少なめな場合は、直ぐに触手が動きます。
なんの根拠もなく、僕の経験からだけで、僕が学んだことは、排気量が大きくなれば、それに比例するように、パーツも工賃も上昇していくということなので、排気量が少なめなクルマは、衝動買いの対象になり易いワケです。

そして、そのクルマを購入するか、しないかという判断は、誰から持ち込まれた話なのか、そして誰が乗っていたクルマなのかということも、大きく左右されます。
そして、最終的な判断は、その価格は、現在の買い取り相場から考えて妥当なものなのかです。
僕は、この諸条件に当てはまれば、そのクルマという現物を見ないでも、即座に購入します。
諸条件に当てはまらずに、購入を断る場合も、返事は即座にしています。
即座ということが、最も大切なことだと僕は思っています。
中古車も新車も、交渉に時間を掛ければ、人より割安には、購入出来ないと、僕は信じて疑わない人です。

初代アウディ80GLは、4ドアーのクルマも楽しいということを、イヤというほど、僕に教えてくれたクルマでした。
そんなアウディ80GLとは、結果的に数年をともに過ごしました。
アウディ80GLは、故障は皆無と言い切れるほど、信頼性の高いクルマでした。
クルマは見た目だけで、判断してはいけないと教えてくれた、僕のアウディ80GLは、画像と同じ、BMW2002と同じ、ソリッドのオレンジでした。
(手前はアウディ100です)
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歴代のアウディの中で、どのアウディが一番好きかと聞かれたら、旧車好きな僕は、悩まずにアウディ100クーペSと答えます。
当時の最大級のクーペは、今の時代では、かなりコンパクトなクルマです。
このアウディ100クーペSを、デートクルマとして使用出来たら、なんと楽しいことだろうと・・・こんなことを、いつも考えています。
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アウディ80GLの魅力に、引き寄せられた僕は、数年後にアウディ100GL5Eを購入しています。

故障は皆無と言い切れるほど、信頼性を寄せていたアウディ80GLでしたが、アウディ100GL5Eは、期待に反して、よく壊れました。

僕のアウディ100GL5Eは、右ハンドルでした。
壊れた原因の殆どが、右ハンドル化による悪影響を受けた箇所でした。
壊れたのは、右前足回り、パワーステアリング関係が殆どでした。

時おり、連続的にカタカタと音を発生する右フロントの足回り部分は、輸入元で何度組み直して頂いても、結局は直りませんでした。
この壊れるということは、僕にとっては、不思議と新鮮に感じられて、クルマはやっぱり乗ってみなければ、何も判らないということを、再確認させてくれた、楽しい出来事でした。

史上初のガソリン5気筒エンジンを搭載した、アウディ100GL5Eには、そんな素敵な思い出があります。

何度も書きますが・・。
クルマは壊れて、自分の思い通りにならないものだと思って来ました。
自分の思い通りにならなくて、時として、ご機嫌をそこねるのが、クルマの魅力だと思って来ました。

一番下の画像は、ドライビング・ランプがないので、アウディ100GL5Eではなく、アウディ100です。
画像の上段は、僕の大好きなアウディ100クーペSです。

丸目4灯のアウディ100の後継車として誕生したのが、角目2灯のアウディ100でした。
こうして、今の時代に振り返って眺めて見ると、丸目4灯のアウディ100の方が、僕的には、とても格好良く見えてしまいます。
旧車は、丸目2灯、もしくは丸目4灯が基本なのかも知れませんね。

アウディ100用のエンジンをベースに改造し、そのエンジンを30度傾けて搭載したクルマがポルシェ924です。
ボッシュ製のKジェトロニックという言葉を、僕が知ったのは、ポルシェ924からです。
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ポルシェ924は、ギアボックスと、デフが一体構造のトランスアクスル方式で、ポルシェ史上、初の水冷エンジンのクルマでした。

ポルシェ924は、ワーゲン・ポルシェ914の後継車と一般的には認知されていますが、僕の中では、ポルシェ924は、ワーゲン・ポルシェ914の後継車ではありません。

続きます・・・。

by seiuchi-porsche9 | 2006-09-10 17:23 | クルマ雑学(クルマ雑談)


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