2007年 06月 13日
実は、4月の後半から、僕は、こんなクルマを毎日の足として乗っています。 年を重ねてくると、昔が懐かしくなるようです。 その年の重ね方が、どんなものであっても、昔が懐かしくなるようです。 僕も、いよいよ、そんな年齢になってきたようです。 そして、若かりし頃は、あーしていたとか、こーしていたとか、こんな時には、こんなふーに思ったとか、こんな場合は、こんなふーな考え方をしたものだとか・・・・走馬灯のように思い浮かんでくるようです。 人は、年を重ねてくると、今の若者は・・・とか、今の若い人は・・・とか、今の中学生は・・・とか、今の高校生は・・・とか、今の大学生は・・・とか、少なからず、自分の過去と照らし合わして、その思い出の中の、過去の自分とのギャップを感じてしまって・・・・こんなふーに思うのではないでしょうか。 果たして、そんなふーにギャップを感じてしまう、その人達の子供の頃は、その人達が思い出している、過去の自分達のよーに、そんなにシッカリしていたのでしょうか? 多分、殆どの人達は、勉学に励んで、無断外泊なんかは絶対にしない、立派な青春時代を過ごして来ているのでしょう。 だから、世代のギャップを感じる人は、勤勉で真面目な人が多いのでしょう。 僕は想像の世界が大好きです。 それゆえ、想像力は、ある程度は携わっているとは思っています。 多くの人達は、過去を思い出す場合には、自分の過去を振り返り、自分の過去を、思い出の中の出来事として、頭の中に、浮かばせるのだと、僕は思っています。 その人達の頭の中や、その人達の心の中を、僕には覗くことや、見ることも出来ないので、その人達の頭の中や、その人達の心の中を、僕は勝手に想像して、こんなふーに書いています。 だから、間違っているのかも知れませんが、僕は、そんなふーに思い出しているのだと思っています。 僕は、変わっている人なので、過去を思い出すということは、想像するものだと思っています。 一般的には、想像するということは、これから起こること、つまり想像とは、未来の出来事に対して行うことなのに、僕は、過ぎ去った過去を想像します。 正確に書けば、想像して、過去の一部分、一部分を、断片的に拾い出して、その拾い出した、断片を、結び合わせています。 つまり、ジグソーパズルを作り上げて行く時と、同じような方法で行っています。 こんな過去を思い出す方法が、僕も正しいとは、思ってはいませんが、僕は、こーしないと、(出来る限りの多くの)過去を思い出せない人なのです。 頭の中にあるのに、以前に覚えたことなのに、度忘れしてしまい、思い出せないことがあります。 それは、人との会話の最中に、度忘れしてしまっている、そのことに、気付くことが多いと、僕は思っています。 そして、何かの拍子に、その度忘れしてしまったことを、突然と思い出したりします。 その何かの拍子というのは、何かを見たり、何か他のものを、頭の中に連想したりして、度忘れしてしまった、何かを思い出すのだと、僕は思っています。 そもそも、その人との会話がなかったら、度忘れしてしまっていることも、判らないのではないかと、僕は思っています。 それならば、色々なものを見たりしながら、それから色々なことを断片的に想像して、色々な過去と結び付けていったほうが・・・・度忘れしてしまっているようなことも含めて、忘れかけていることの多くが思い出せるのでは、ないかと思っています。 こんな方法だと、過去の記憶としての思い出の幅は広がるのではないかと、僕的には思っています。 世代のギャップを感じるのは、世代という言葉通りに、年齢差があるからだとも思っています。 高校3年生の、はやと君がいて、僕のブログにコメントを入れてくれます。 大学1年生の、せと君がいて、僕のブログにコメントを入れてくれます。 21歳の、けい君がいて、僕のブログにコメントを入れてくれます。 実は、4月の後半から、僕は、こんなクルマに毎日の足として乗っています。 可笑しなことかも知れませんが、はやと君も、せと君も、けい君も、僕は我が息子と、同じようにして接しています。 だから、僕のブログに遊びに来てくれるのが、僕は嬉しいのです。 実は、4月の後半から、僕は、こんなクルマに毎日の足として乗っています。 このクルマは、75年11月登録のジェンセン・ヒーレーです。 73年にデビューして、73年2月号のカーグラフィック(CAR GRAPHIC)の表紙を飾っています。 ジェンセン社は間もなく倒産してしまったので、この75年型が最終モデルになっています。 ビックヒーレー(ヒーレー3000)の血を受け継ぐ、ドナルド・ヒーレーが設計したクルマです。 この号のカーグラフィックでは、フルテストとして、かの小林彰太郎氏が、記事を書かれています。 概略として、本文を抜粋しました。 初代ロータス・エスプリのエンジンを搭載(ロータス製2ℓDOHC4バルブ、140馬力・17.9mkg) エンジンは異例に広いパワーバンドを持ち、使いやすい。 圧倒的な加速性能、操縦性と乗り心地とも水準を抜く。 高速では高燃費、エンジン・ノイズ過大。 ホロまわりの風切り音、100キロ以上でやかましい。 室内装備のフィニッシュは改善の余地あり。 ハンドリングは素晴らしくバランスがとれている。 ステアリングは常に軽く、応答性は鋭い。 4140×1610×1210 960kg 動力性能は、2リッターながら、240ZGと同等クラスである。( )内は240ZG。 0ー400m(2名乗車時)・・・・・・15.55秒(15.50秒) 0-1000m(2名乗車時)・・・・・29.06秒(29.55秒) 0-100km(2名乗車時)・・・・・・8.21秒(8.75秒) 最高速度・・・・・・・・・・・・・・・・185.56km(192.52km) ジェンセン・ヒーレーについて、小林彰太郎氏は、動力性能に対しては絶賛していますが、スタイルや各部のフィニッシュは、イマイチというような、まとめかたをしていらっしゃいます。 この73年2月号の裏表紙は、同等性能の240ZGの広告が掲載されています。 (この号は何冊も収集しているので、このカーグラは15年ほど前に、恵比寿のミスタークラフトで購入したものです。73年当時の定価500円で、クラフトでも500円でした) 実は、4月の後半から、僕は、この75年11月登録のジェンセン・ヒーレーを毎日の足として使っています。 クーラーやエアコンなどは、当然の如くありませんので、今はハードトップを外して、幌またはオープンにして乗っています。 1975年とは、僕が成人式を迎えた年で、大学3年生の時になります。 大学3年生だった11月に、このジェンセン・ヒーレーを、先輩(6歳年上)が購入しました。 (75年には240ZGは既に生産終了です) 当時のインポーターは、かのコーンズで、コーンズの営業所が、まだ護国寺(今はヤナセになっている・あの場所です)にあった時代が、1975年です。 当時の僕は、来るもの拒まずといった感じで、身近にあるクルマは、何でも乗っていました。 といっても、全て身近にあった中古車ですから、15年落ちから、5年落ち位の、国産や輸入車がメインでした。 先輩は、新車のジェンセン・ヒーレーにも関わらず、クルマ大好き、クルマ馬鹿な、この僕に、ことあるごとに貸してくださいました。 それもチョイ乗りどころではなく、数日間に渡って貸してくださいました。 僕は、このジェンセン・ヒーレーで、大学に何度も通ったし、女の子と何度もドライブに行ったりしていました。 今から思えば、大卒の初任給が10万前後の時代でしたから、とてつもなく高額なクルマ(75年型345万)を借りていたということになります。 貸してくださった先輩には、当時も、今も感謝し続けています。 僕は、当時の嬉しさが、今でも忘れられないでいます。 『乗ってみる』 から始まって、全てが始まったワケですから・・・。 今の僕が、出会う人に、気軽に、『乗ってみる』 と簡単に言えるのは、この時の嬉しさが忘れられないからだと思っています。 僕のクルマへの接し方が決まったのは、このジェンセン・ヒーレーとの出会いからだと思っています。 1975年前後には、既に免許を取得していらっしゃる方ならば、判ってくださると、お察ししますが、このジェンセン・ヒーレーの動力性能は、当時としては無敵に近いものでした。 フェラーリ308とも、互角以上の加速性能ですから、1975年当時は、圧倒的な速さ(加速性能)を誇っていました。 その先輩が、20年ほど前に、僕に譲ってくださったのが、今、僕が乗っているジェンセン・ヒーレーそのものになります。 登録ナンバーも、1975年当時のままで、僕が受け継いで乗っています。 (ナンバーだけは旧車好きには堪らない魅力だと思います) 実走行58000キロあまりの、幌とオーディオとマフラー(デビル)以外はフルオリジナルのジェンセン・ヒーレーですが、年式相応に適度に錆はあるし、年式相応に、それなりにヨレテいます。 僕が成人式を迎えた、1975年型のジェンセン・ヒーレーを、10年ぶりに車検を受けて、僕は4月の後半から乗っています。 75年最終型のジェンセン・ヒーレーは、5速ミッションです。 当時の、このシフトパターンのクルマを知らない人が運転すると、間違いなくバック走行するハズです。 ここから、申し訳ありませんが、私的な話題に触れます。 先日の日曜日は、6月10日でした。 大学4年生の次女の誕生日でした。 父親である僕と、娘である次女は、親子でありながら、この数年間を、ギクシャクとした関係で過ごしてきてしまいました。 次女が通っていた高校は、エスカレーター式で大学に進学出来る私立高校でした。 次女の高校生時代には、我が家には、姉と弟と、3人の子供達全員が、私立に通っているという状況で、教育費の家計を占める割合が相当なものに感じていました。 3人の子供達が、早く卒業して楽に成りたい! 家計を支える、僕の素直な気持ちはこれに尽いていました。 毎年3月や4月になると、授業料やら、3人の誰かしらの入学金も納付するという感じだったので、税金の納付も重なる、この春先が嫌いでした。 でも、そんな家庭内の資金繰りの大変さを、僕の父も絶対に感じさせない人だったので、僕は、そんな素振りを、家庭内では見せないようにしていました。 そんな次女が、高校3年生になった時に、他の私立大学に進学したいと言い出しました。 彼女は、我が家で一番、自分の世界がある子供なので、それはそれで、有りかなーと思っていました。 『某私立大学の心理学部で、臨床心理学を学びたい!』 まるでシッカリしていない、この父親に、そんなふーに、ハッキリ言える次女に、父親ながら素晴らしいと思いました。 でも、そのまま受験をしなければ、某私立大学に、そのまま進学出来るワケで、なんの為に、この高校に入学したのか?という疑問が湧いてしまったのも、事実でした。 (彼女は某公立受験高に受かっていたので) 『合格する自信は?』 と、父親である僕は聞きました。 『多分、大丈夫!』 これが彼女の答えでした。 結果は不合格でした。 僕は、子供の教育には無頓着で、子供の成績表も見たことがない人です。 良い成績で、見せたいと思った時には見せて!と言っているだけなので、中学生位から、3人の子供達の成績表を、見たことがないという、いい加減な父親が僕です。 いい加減な父親ですから、希望していた某私立大学・心理学部を受験したことは、知ってはいたものの、滑り止めに、どこの大学を受験していたのかは知りませんでした。 『○△■大学に行く!』 と次女が言いました。 ○△■大学とは、滑り止めに受けた、某私立大学です。 『某私立大学(彼女がエスカレーター方式で進学できた大学です)と、どちらがうえ?』 本当は聞いてしまってはイケナイことだったのかも知れませんが、父親である僕は、そう聞いてしまいました。 『某私立大学です』 と次女は言いました。 『・・・・・・・・・・』 しばし無言の父親でしたが・・・。 『そんじゃ意味ないでしょ!それならば浪人すれば!』 『予備校も入学金掛かるし・・・』 と次女は言いました。 『何度でも浪人すれば・・・』 僕は、何気に、こう言ってしまったのです。 お金の心配はしないでいいから、何度でも浪人して、自分が本当に行きたい大学に行きなさい!と、僕は、こんなふーに伝えたつもりだったのに、次女には、そんなふーには伝わらいような、短い言葉を、僕は発してしまったのです。 数日後、携帯メールが届きました。 『浪人することにしました。迷惑をかけて申し訳ありません。予備校のお金ありがとう。』 概略としては、こんな内容のメールでしたが、今でも大切に保存してあります。 僕は、なにも心配しないで、夢に向かって頑張りなさい!というような励ましのメールを返しました。 でも、でも、でも、でも、でもです。 本当は、希望した大学に不合格だった、その瞬間に、なにも言わずに、暖かく支えてあげるのが、本当の意味での父親なのです! 僕には、これが出来ませんでした。 いくら次女を励ましたとしても、その悲しみに打ちひしがれている、その瞬間に、次女をもっと追い詰めてしまうような、受け応えをしてしまった、悲しい父親が僕でした。 予備校に通いだしてから、次女が、僕を避けているのが、なんとなく伝わってきました。 会話が出来ない!会話をしようとすると、僕の前から消えていく! そんな一年あまりを過ごして、よく年の受験を迎えました。 希望している大学に合格したのは、長女から聞いていました。 『某私立大学の経済学部・経済学科に合格しましたが、ここには行きません!』 次女から出た最初の言葉がこれでした。 某私立大学の経済学部・経済学科とは、父親である僕の出身大学・出身学部・出身学科でした。 次女は言葉を続けました。 『某私立大学・某学科合格!某私立大学・某学科合格!某私立大学・某学科合格!某私立大学・某学科合格!某私立大学・某学科合格!よりどりみどりですが、どちらの大学にしましょうか?』 合格している大学には、次女が希望していて、前年に不合格になった、あの某私立大学・心理学部もありました。 僕は一年前に大きな過ちをしているので・・・。 『某大学にすれば?お父さんは、某高校に落ちているから・・』 某高校とは、その某大学の付属高校のことなのですが、僕は、この高校を不合格になっています。 これで父親を完全に乗り越えたね!と、僕は褒め称えたかったので、そんな言い方をしました。 『しばらく考えるは!』 と次女は言いました。 数日後。 『某私立大学に行きます!』 その某私立大学とは、僕が不合格だった某私立付属高校と同じ名前の大学でした。 浪人した、この一年間で、次女の夢は、臨床心理学から、他の夢に変わっていたようで、この時の、次女が行きたかった大学とは、僕が不合格だった学校だったのだと、僕は、その時に知りました。 そんな次女が、この春で、大学4年になりました。 息子も、この春で、大学1年になりました。 二人の授業料と息子の入学金を、この春に納付しました。 これで、今後は子供の入学金を納付するということはなくなりました。 息子が、順調に進学してくれれば、授業料も、あと3回納付すれば終わりです。 あれほど、子育ては大変だと思っていたのに、僕は、とても寂しく感じています。 それは・・・。 他の方達のブログを訪問して、いつも思うことがありました。 皆さんの子供達が、小さくていいなーと、いつも思うことがありました。 楽しい、素敵な思い出を、今まさに、刻んでいる皆さまが、羨ましいと、いつも思うことがありました。 僕には、やり残してしまったことが沢山あるように、いつも思うことがありました。 もう一度、やりなおしたいなーと、いつも思うことがありました。 昔に戻りたいなーと、いつも思うことがありました。 そんな次女も、大学4年生になってしまいました。 浪人した次女を、負けず嫌いにしてしまったのは、僕の責任です。 その負けず嫌いの次女は、買ってあげたスーツ2着が、擦り切れるほどの就職活動をして、第一希望としていた、就職先に内定を決めたのは、6月の始まりのことでした。 そんな次女が、残すところの大学生活は、あと1年です。 息子が残すところの大学生活は、あと4年です。 こんな小さかった、あの頃が幻のようです。 この二人の学生生活を見守れるのは、この1年間だけになりました。 この1年間を、出来るだけ、二人の感じ方や、二人の考え方や、二人の思うことに、近づいて行きたいと、僕は、この春先から考えるようになりました。 そして、年齢差が大きいので、どこまで、この二人に近づけるのかは、僕の想像の世界の、奥行きの深さと、間口の広さになるのではないかと、思うようになりました。 それならば、僕が、この年齢の頃に戻ってみたほうが、多少は近づけるのではないかと、思い始めました。 そこで、成人式の頃に乗っていた、この思いで多きジェンセン・ヒーレーと、毎日暮らしてみれば、僕の想像の世界の、奥行きや、間口が広がるのではないかと、僕は思ったワケです。 今の僕は、こんな室内を、毎日眺めながら、僕だけの想像の世界で暮らしています。 そして。このインパネを眺めていると、家は出たものの、今日は帰らないよ!と言えなかった自分を思い出します。 土曜日に、このジェンセン・ヒーレーで、息子を駅まで送って行きました。 『遊びに熱中しちゃったら、帰ってこなくてもいいよ!』 こんな言葉が、僕のクチから、自然に飛び出てきます。 『今日は帰らないつもりだから・・』 やっぱりね!僕は、してやったりと思いました。 『ブツカッテきてもいいから、人と自転車と他の車だけは避けるように!』 と、僕は息子が運転する度に伝えています。 その結果が、この右ドアーー2枚です。 (解体パーツと交換作業中です) 鉄製のポールに、激突して帰って来ましたが、被害は右ドアー2枚だけでした。 これならば、僕との約束は果たしています。 『約束どおりで偉い!』 僕は、これだけ言いましたが、こういう時って、本来は家に帰りたくないし、もう起きてしまって、どうしようもないことなのに、言い訳とか考えるものだと・・・・・僕は思っています。 そして、いずれにせよ、本人は必ず反省するものだとも、僕は思っています。 それならば、ブツケテ帰って来ることを、前提にしてみてもいいのではないかと、この適当な父親は思っています。 次女は、運転免許を持っていません。 教習所も通っていません。 でも、こんなナンバーのクルマを置いとけば、教習所に行くカモしれないと、僕は思いました。 興味があるかは別にして、どうせ名義変更して、ナンバーが替わるならば、こんなこともいいのではないかと思ってやってみました。 初心者マークを貼っておく、この意味が判るかは?でしたが、次女は、今、教習所に通っています。 僕は、これからの一年間を、こんなふーに過ごすことに決めました。 5人家族で5人の免許所有者になるワケで、そうなると、5人が共通で乗れるクルマが多いほうが、都合がよくなりました。 僕の個人的な好みのクルマは、どうも、このククリから、外れてしまうものばかりのようです。 寂しい話ですが、僕の人生も、あと何章残っているのかも、判らなく成りつつあるので、ここは、思い切って、手持ちのクルマを整理することにしました。 というよりも、この数ヶ月で、整理してしまいました。 手放したのは、ルノーサンク、190E、ゴルフⅢのような、10年以上も経過しているものが、殆どなのですが、968CSと987ボクスターSという、2台のポルシェも手放してしまいました。 987Sボクスターは、テックアート化したばかりでしたが、bondさんの・お客さんで、譲って欲しいという方がいらっしゃったので、取り合えず、bondさんに売却してしまいました。 その商談は、どのように進んでいるのか判りませんが、僕の手元からは、先日離れていきました。 お騒がせしながら、とても早い別れをしてしまいました。 チョット勿体ない気もしましたが、986と、987という2台のボクスターが手元にあって、オープンというクルマに否定的な、この家族構成では、仕方がないところでもありました。 05年2月登録でしたから、この987Sボクスターとは、27ヶ月を共にし、その間2万5千キロほどを楽しんだことになりました。 986Sの方を残した理由は。 近い将来、息子にボクスターを引き渡すことになると思うのですが、その場合、少しでも古い方の、ポルシェから経験させたいという、僕の頑固な考えがあるので、987Sではなく、986Sを残すことにしました。 そして、インポートカーショーで展示されていた、テックアート・ケイマンSが、いつでも貸して頂けるという環境にいることも、987Sを手放した大きな理由でもあります。 94年型・最終986CSは、このジェンセン・ヒーレーに乗っていらっしゃった先輩の御子息さんに、お譲りしました。 2台のサンクは従兄弟へ、2台の190E・2.3(1台は部品取用)も甥っ子へ、ゴルフⅢカプリオレは姪っ子に、その他旧車一式は従兄弟達へと、持っているだけだった殆どのクルマを差し上げてしまいました。 ただ、987Sボクスター以外は、身近にあるので、また乗るようなことに成るかもしれませんが・・。 気がつけば、いつのまにか増えてしまっていたクルマ・・・・こんな表現は許せないと思っていますが、(新車から乗っていたものもありますが)殆どが取得価格ゼロから、上限でも20万円ほどで購入したクルマばかりですから、気がつけば増えてしまっていたクルマという感じです。 (因みに、このジェンセン・ヒーレーも戴いたものです) 簡単に、クルマを戴いてしまったりするのは、置き場所があるから、こーなってしまったワケで、これを機会に、今後、簡単には・こーはならないようにと・・・・借りていた空き地も返却しました。 こーして長年に渡って、楽しんできた、僕の 『自動車屋さんごっこ』 も幕を閉じました。 僕は、今・・・。 ジェンセン・ヒーレーに乗っていた、20歳の頃の自分でいます。 目に飛び込んでくる全てのクルマに、興味を抱いていた、20歳の頃の自分がいます。 乗り換えることは出来ても、複数台所有は許されなかった、20歳の頃の自分がいます。 どんな車種だって、運転出来るだけで、楽しいと思っていた、20歳の頃の自分がいます。 若いってホント楽しいです!!! こんな金具を見ているだけで、当時に戻れるんです!
by seiuchi-porsche9
| 2007-06-13 00:40
| ウォラス walrus
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