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2006年 10月 27日

ふれんちBlue!(I'm Looking Through You)

先日の日曜日に、長野県車山高原にて、恒例のフレンチ・ブルー・ミーティングが、開催されたのは、ご存知の通りです。

ここ数年来、フレンチ・ブルー・ミーティング・・・通称FMBのイベントに目をそらしている自分がいます。
フレンチ・ブルー・ミーティングに関する雑誌の記事も、あえて読まないようにしていた自分がいました。

あーそれなのに・・・。
今年はブログで目に止まってしまいました!

今週は25日絡みということもあって、仕事が溜まっています。
あーそれなのに・・・。
仕事も手に付かないのです。
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僕は、今まで乗り換えてきたクルマを後悔したことがない人です。

正確に書けば、乗り換えたことによって、新たに手元に届いたクルマに対して、満足をしなかったことがない人です。

更に、本音で正確に書くと、乗り換えたことによって、手放してしまったクルマに対しても、後悔することもない人だと思っていました。

今までに、3桁の台数のクルマに乗り換えた経験があったので、僕は自分の判断を、自分で確信して乗り換えて来ました。

あーそれなのに・・・。
フレンチ・ブルーの素敵なブルーと遭遇する度に、僕の心はBlueになっています。
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上の写真は、92年型、ルノー・アルピーノ(アルピーヌ)・610ターボです。

僕の以前の愛車の写真です。
国内正規輸入台数が、49台(記憶だけですが)のうちの1台となるD物(JAX)でした。
写真は97年撮影のものですので、早いもので10年も経っています。

あーそれなのに・・・。
僕が手放して一番後悔しているクルマが、このルノー・アルピーノ・610ターボです。

993カレラRSも、手放して後悔しているクルマなので、僕の中で手放して後悔しているクルマは2台です。
後悔している度合いは、間違いなくルノー・アルピーノ・610ターボのほうが上になっています。

僕のクルマの好みは、殆どの人が、そのクルマの車種名すら判らないというクルマが、第一条件になります。

ポルシェ993RSは、993や、RSという正確な解答が出来ない人であっても、ポルシェというメーカー名で答えられる方が沢山いらっしゃるでしょう。

それに対して、ルノー・アルピーノ・610ターボは、フロントボンネットのAという『アルピーノの紋章』、リアに取り付けられたアルファベッドの『A』という一文字、そして、左右のリアガラスに書かれた『610turbo』という文字以外には、このクルマの名前を当てるヒントはありません。

ルノー・アルピーノ・610ターボを知っている人からすれば、簡単に答えることも出来るし、アルピーノを知っているだけでも、なんとなく答えることが出来ます。
僕は、こうしたヒントだけ隠されているクルマが、一番の好みです。

それと、僕の好みは、そのクルマの助手席を初めて経験した人が、ドアーを開けて降りられない・・・・こんなクルマが好みです。

ドアーを開けて降りられないというのは、室内側のドアーノブが、ドアー本体の内側でない場所に、取り付いていることを指します。
ルノー・アルピーノ・610ターボの室内側のドアーノブも、シート脇の下側(水冷のポルシェのエンジンフードを開けるレバーと殆ど同じ場所です)にあります。
この構造を知らない人にとっては、このクルマから降りることが出来ません。

こうして、助手席に人を(出来れば女の子を乗せて)乗せて、イザ降りるという時に、困惑させるという遊びが好きです。
パトカーの後席からは、ドアーが開かないというのと同じでもあるので、悪趣味といえば悪趣味ですが・・・僕は好みです。

当時の僕は、ラテン車と英国車に一番興味を抱いていましたので、こんな状態でした。
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ルノー・アルピーノ・610ターボ以外の殆どのクルマは、無償で貰ったり、数万円から最高でも20万円までで購入したクルマばかりでした。
それでも、部品取り用の不動車も増えてしまっていて、写真のような感じの置き場になっていました。
知らない人から見ればクルマ屋さん以外の何ものにも見えなかったと思います。
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ラテン車が大好きだったので、当時はこんな組み合わせで楽しんでいました。
仕事でディムラーを使っていて、993RSもあったので、仏伊独英の組み合わせで、振り返ってみれば、申し訳ないほど最高に楽しかった頃だったと思っています。
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ルノー・アルピーノ・610ターボを手放したのは、乗ってみたい英国車があったからでした。
そのクルマについては、機会がある時にでも書いてみようと思っています。

そのイギリス製のスポーツカーは、僕が今までに抱いてきたクルマに対する概念を一掃する魅力を持っているものでした。
そのクルマが持つ魅力と、そのクルマのジャジャ馬ぶりに魅了されて、僕は993RSを手放してしまいました。

軽いクルマと感じていた993RSが、重たく感じてしまった・・・そのイギリス製のスポーツカーとは、そんなクルマでした。
乗り味が、993RSよりも993GT2に近いもので、そのイギリス製のスポーツカーが、NAだったということにも衝撃を受けたのでした。

そのイギリス製のスポーツカーを、手放した理由は簡単で、このイギリス製のスポーツカーが息絶えるよりも早く、僕が必ず先に、息絶えると感じてしまったからでした。

僕は今まで幸運にも、クルマを擦ったこともないのですが、このクルマは、擦った傷跡を確認するよりも先に、自分が息絶えているだろーと感じさせられたクルマでした。
僕が、今までに、クルマのステアリングを握って、自分が、このクルマによって息絶えるであろーという感覚を与えてくれたクルマは、このイギリス製のスポーツカーとF40だけです。

最近になって、友人のF40を運転すると、意外にも、こんなーものだったのかなー・・と多少は感じるところがあるので、当時としては、そう感じていたということです。

自分の自由に操れないクルマに、魅力を感じていたという、とても浅はかな頃でもあったのですが、クルマは多少は壊れるという魔力にも取り付かれていた頃でもありました。
親友M君のガレージ前にての写真ですが、当時の僕等はラテン車と英国車ばかりに目が行っていました。
(ジャガーEタイプⅢ・ロードスター&ロールスロイス・シャドーⅡ)
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ルノー・アルピーノ・610ターボを手放した理由は、他に乗りたいクルマがあったからだと書きましたが、実は他にも大きな理由がありました。

それは、僕がいつかは、必ず手に入れたいと思っていた仏車があったからでした。
それは・・・マトラシムカ・バゲーラです。
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マトラシムカ・バゲーラのリアビューは、こんな形なのですが、僕は大好きです。
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今年のフレンチ・ブルー・ミーティングで、ふれんちBlueな気分になってしまった僕は、思い切って色々と並べてしまいました。

ブラーゴ(burago)製の1/24のマトラシムカ・バゲーラの作りは、やや荒く、モデルカーとしてはイマイチですが、これはかなり希少なので、大のお気に入りです。

1/43はスペイン製(NAOORAL S.A)ですが、これも流通が少ないとは思っています。
しかしながら、作りは良いとはいえません。

僕はモデルカーが大好きで、ことあるごとに収集してきましたが、こんなふーに台数が少ないものが好みです。
そのモデルカーを飾ることもなく、ただ単に無造作に保管しています。

今回も、この2台のマトラシムカ・バゲーラを探し出すのに、かなり時間を要してしまいました。
他にも、ジャンク品を含めて数台のマトラシムカ・バゲーラがあるハズなのですが、取りあえず2台を見つけ出しました。
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さて、僕の大好きなマトラシムカ・バゲーラとは、どういうクルマなのでしょう?
(最近は、自分の記憶も定かでなくなってきてしまったので、整理しておこうと思いました)

ここに、カーグラフィック(CAR GRAPHIC)76年3月号があります。

76年3月号は、僕の大好きな特集号なので、これはいつも手元においてあります。
76年3月号のインプレッション(IMPRESSIONS)は、マトラシムカ・バゲーラです。

カーグラフィックらしく、マートラーシムカ・バゲーラという表記になっています。

さて、以下はカーグラフィックからの引用です。

『73年春のデビュー以来・・・・、粋でシックで適度にお転婆なマドモワゼルとの出会いはわずか2日間という束の間の出来事だったが、いくつかの小さな短所も目をつぶっていられるほど、このフランス娘は洗練されていた』
こんな出だしてカーグラフィックは始まっています。
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更にカーグラフィックの引用です。

『フランス軍需産業の一翼を担うミサイル・メーカー、アンジェン・マートラの名が自動車の世界でも聞かれるようになったのは、つい11年ほど前のことである。
未知の分野にいきなり飛び込んだ彼らの最初になすべきことは、モータースポーツを通してMATRAの名を広く世に知らしめることであった。
傘下に収めたルネ・ボネのミドエンジン・スポーツカー、ジェットに自らの名を冠して売り始めるかたわら、F3を手始めにサーキットを走り始めたマートラが、ついにはF1チャンピオンと念願のルマンにもフレンチ・ブルーを見事に甦らせたのは記憶に新しい。
一方、スポーツカー・メーカーとしてのマートラは、ユニークかつ魅力的ではあるがビジネスとしてはうま味のないジェットに見切りをつけ・・・・・M530を登場させる・・・』
と、マトーラという自動車メーカーの紹介文から始まっています。

(僕は、この部分を読んだだけでも、マトラという自動車メーカーに魅力を感じてしまいます)

『シャシー/ボディは、スチール製モノコックに全く応力を受け持たないFRP外皮を被せたもので、全長3974×全幅1734×全高1175のゆったりしたサイズで異例な横一列3人掛けのシートを実現させている。
にもかかわらず・・・ロータスヨーロッパ並みのCx=0.33という優秀な値を得ている。』
こう続いています。

全くその通りで、僕がこのクルマを好む最大の理由は、横一列3人掛けのシートにあります。

このマトラシムカ・バゲーラを日常の足として使用するのには、全幅1734というネックはあるものの、横一列3人掛けのシートは、とても魅力的に思えるのです。

もし、仮に僕がもっと、もっと若くて、自分の子供が一人いて、その子供が小さかったとしたら、横一列3人掛けのシートを持つ、このマトラシムカ・バゲーラは、魔法のクルマに思えることでしょう。
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僅か1.3ℓのOHVユニットで、84馬力しかありませんが、車重も980㎏しかありません。

僕は、この横一列3人掛けのシートを持つ、マトラシムカ・バゲーラを、自分のカーライフの最終目標にしていると言っても過言ではないと思っています。
僕は、それほどまでに、このマトラシムカ・バゲーラが大好きです。

73年に登場後、77年になるとフェイスリフトを受け、1,45ℓエンジンを搭載したマトラシムカ・バゲーラSが登場します。

下記は、カーグラフィック76年12月号の第63回パリ・サロンからの写真です。

今ではとても懐かしいキャンパストップ姿の上のクルマがマトラシムカ・バゲーラSで、下の写真は特別仕様のマトラシムカ・バーゲラ・クレージュです。

マトラシムカ・バゲーラ・クレージュは、オートクチュールのデザイナー、クレージュ仕様と説明されていますが、なんとボディーカラーはマット・ホワイトで、内装もホワイトになっています。
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マトラシムカ・バゲーラSは80年まで生産されました。

81年からは、全長が長くなって4メトールを超え、全幅もチョット拡大して1750㍉になり、車重が100キロも重くなってしまったマトラ・ムレーナに引き継がれていきます。

マトラ・ムレーナは、OHV1.6ℓエンジンと、SOHC2.2ℓエンジンの2本立てでした。
SOHC2.2ℓエンジンに、ツインチョークキャブレターを2連装(ウェバー製)したマトラ・ムレーナSも登場しましたが、全てのマトラ・ムレーナは、84年で生産を中止に追い込まれました。

マトラシムカ・バゲーラ、その継続モデルであるマトラ・ムレーナを生産中止に追い込んだのは、実はルノーでした。

マトラが開発したミニバンがルノーから発売されることになりました。
そのミニバンが、あのルノー・エスパスなのですが、マトラ・ムレーナは、ルノーのスポーツカーであるアルピーノ(アルピーヌ)と販売がバッティングする為に、生産中止に追い込まれました。

僕が、ルノー・アルピーノ・610ターボを所有していた時に、アルピーノは、僕の大好きなマトラシムカ・バーゲラと、その継続モデルであるマトラ・ムレーナを生産中止に追い込んだクルマと意識していたことは間違いがないことでした。

ルノー・アルピーノ・610ターボも大好きだけれど、マトラシムカ・バゲーラは、僕の永遠の憬れのクルマでもありました。

正規に輸入されたことのない、マトラシムカ・バゲーラと、その継続モデルであるマトラ・ムレーナには、試乗程度しか乗る機会がなかったけれど、いつかは手に入れたいと言い切れる、魅力的なクルマの1台でした。

マトラシムカ・バゲーラか、その継続モデルであるマトラ・ムレーナに乗り換えようと思って手放してしまったルノー・アルピーノ・610ターボでしたが、今となっては、やっぱり手放さなければよかったと後悔しています。
ルノー・アルピーノ・610ターボのエンジンを載せた、クリオV6ターボに、今だに憬れているのも、ルノー・アルピーノ・610ターボの残像が、そうさせているからだと思っています。

いつの日にか、マトラシムカ・バゲーラを手に入れると、今では決めています。
こんなチャンスもありました。
今でも僕のパソコンには、お気に入りにで 登録されています。

赤でなかったら悩まずに購入したと思っています。
赤であっても購入しなかったことを、後悔しています。

もし、今、このショップで売りに出されていたら、即座に購入しているかも知れません。
それは、このショップがブログの方々のお近くだからです。

赤でも、黄色でも、黒でも、銀でも、なんでもよくなっています。

大好きなのに、30年も縁がなかったクルマは、このマトラシムカ・バゲーラと、もう1台の3人乗りだけです。

そのもう1台とは、ダットサン・フェアレディ1500です。

何故、ツインチョーク・キャブレター2連装(ソレックス)の2ℓエンジンを搭載した、SR311(ダットサン・フェアレディ2000)ではなく、1.5ℓエンジンを搭載した、ダットサン・フェアレディ1500なのかというと、それは、ダットサン・フェアレディ1500の後部には、横向きのシートがあるからです。

つまり、ダットサン・フェアレディ1500は、変則シートの3人乗りです。

ダットサン・フェアレディは、第1回・日本グランプリで、僕が子供の頃から大好きだった、あのトライアンフTR4や、あのMGBを負かせたクルマです。
僕の子供の頃の夢を無惨にも打ち砕いたクルマです。

それでも、僕はこの想像も付かなかった変則シート3人乗りのダットサン・フェアレディ1500が大好きなのです。
僕のクルマの好みは、こういった有り得ない発想、僕の想像を越えているクルマです。
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僕はこうして、フレンチ・ブルー・ミーティングの前後になると、ふれんちBlueになっています。

こんなハズではなかったと、毎年この時期になると後悔しています。

今年も、フレンチ・ブルー・ミーティングは無事に盛大に終了しました。
来年の僕は、Blueなのか、ブルーなのかは、神のみぞ知っているのでしょうか・・・・。



追伸 銀亀さんへ♪
クイズの答えは、間違ってしまいましたが、多少は的を得ていたとも思っています(笑)
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by seiuchi-porsche9 | 2006-10-27 20:50 | 遍歴
2006年 09月 14日

Paranoidその④(君に薔薇薔薇と…いう感じ! )

前回も、こんなことを書きました。

クルマは壊れて、自分の思い通りにならないものだと思って来ました。
自分の思い通りにならなくて、時として、ご機嫌をそこねるのが、クルマの魅力だと思って来ました。
オーバーヒートと、エンジンブレーキという、自動車用語を子供の頃に、自然に覚えたとも書きました。

日産チェリーGL1000の次に、オーバーヒートの思い出が多いクルマは、BMW320iAです。
僕のBMW320iAは、記憶では79年式です。
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BMWの当時のインポーターは、BMWジャパンではなく、バルコム・トレイディングでした。

3シリーズ、5シリーズ、6シリーズ、7シリーズと、全てのシリーズが、正規物としてバルコム・トレイディングが、輸入していました。

ただ、3シリーズに限っては4発しか正規輸入されていませんでした。
従って、僕のBMW320iAは、4気筒でした。

当時の憬れは、なんといっても、BMW633CSiAでしたが・・・・。
(画像は、635CSi)
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僕は、BMW2002Tiiや、BMW2002ターボのように、小さめなボディーに、パワーのあるエンジンを載せたBMWも大好きでした。
当時の3シリーズで、一番パワーがあったのは、6発を搭載していたBMW323iAでしたが、正規輸入はされていませんでした。

パワーと希少性の輸入車は、並行物で占められていた時代のお話なのですが、正規物も、79年で、BMW320iAの輸入を中断し、BMW318iAの輸入に入れ替わりました。

こうなると、正規物の中での、存在価値が出てきたので、ニンマリした記憶があります。

ボクスター987Sのエンジンが、3.2から、3.4へ変更されましたが、仮に、3.4から、3.2へ変更された場合には、現987Sオーナーが、ニンマリしたことでしょう。

そんな有り得ないことが、輸入もとの都合ながら、実際に起きていた時代でした。

現行で購入出来るクルマより、前モデルの方が、パワーと排気量で勝っている場合の、前モデルの中古車相場は、高値安定するハズと読んで、購入したクルマが、BMW320iAでした。
購入動機は、とても不純なのですが、BMWは10数台乗り継いでいるので、大好きなメーカーであることに間違いはないところです。

今でも、小さめなボディーに、パワーのあるエンジンを載せたBMWが大好きです。
願わくは、M3よ、これ以上大きく成らないで!です。
大きく成らないでは、ポルシェ911も含めて、全車種共通でしたね。

僕の、79年式MW320iAは、オーバーヒートという、持病を抱えていました。
当時は、熱海や、伊豆高原に行くことが多かったので、真鶴道路や、135号線を、利用していました。

オンシーズンの真鶴道路は、脇道の旧道を含めて、渋滞するのは、今も昔も同じです。

79年式MW320iAは、滅多なことでは、オーバーヒートなどしないのですが、炎天下での渋滞では、30分ほどで悲鳴をあげるクルマでした。

僕が、渋滞と称するものは、関東の人が指す渋滞になります。

大阪や、名古屋に、お邪魔して、いつも思うことがあります。
大阪や名古屋で見かける、道路交通情報の渋滞表示とは、関東人にとってみれば、渋滞という言葉には当てはまらず、やや流れのよくない道路といった感じに映ります。

ETCの利用に関しても、地域差を感じることがあります。

大阪や、神戸でしか経験したことがないので、名古屋や、他の地域がどうなっているのかまでは、判りませんが・・・。
首都高速道路や、東京近郊を走る有料環状線は、深夜割引や、通勤割引等の割引があった場合には、こうなります。

それは、初めに、ETCゲートを通過した時点で、割引された料金が、表示されます。
つまり、通用の料金が700円で、深夜割引が560円だとすると、ETCゲートに入った時の表示金額が、560円になっているということです。
最初の徴収金額は、割引後の560円になっているということです。
これは、関東の人から見れば、当然のことと受け止めるでしょう。

大阪の高速環状線(こんな名前でしたっけ?)を利用して、驚いたことがありました。

判り易いので、東京と料金を同じ700円で、考えてみてください。
通常料金が700円で、割引後の料金が560円という仮定で書いてみます。

それは、ETCゲートに、最初に入った時には、通常料金700円で徴収されます。
実際には、大阪や神戸の道路に、どんな割引があるのか、僕は判っていないので、ETCを最初に通過する時の表示金額が、700円であっても、560円であっても、よく判っていません。

反対にいえば、関西の人が、首都高速のETCゲートを通過して、その表示金額が560円であっても、何も気付かないことと同じでしょう。

神戸や、大阪で、経験したことは、ETCで料金を徴収されてから、暫く走行していると、ハッキリした言葉の記憶がないのですが・・・。
『140円の戻しです』
とか、
『140円のお返しです』
とか、そんなことを、ETC本体が告げることでした。

ETC本体が、
『料金は●▲■円です』
としか喋ることしか知らない僕にとっては、
『●▲■円戻します』とか『●▲■円のお返しです』
とか、喋られてしまうと、これは大好きな、お店屋さんゴッコと同じです。

最初に、ETCゲートを通過する時に、
『700円のお預かりです』
とか喋ってくれたら、
『●▲■円戻します』
とか
『●▲■円のお返しです』
とかが、凄く判り易いのにと、思ってしまいました。

79年式MW320iAの話題から、外れたついでにもうひとつです。

エスカレーターを利用するときに、東京では左側に立ちます。
左側に立ち、右側を空けておき、右側は階段と同じように、エスカレーターの段を登って行く人が使用します。

大阪は、東京とは全く反対で、右側に立ち、左側を空けてあります。
つまり、右側に立ち、左側を空けておき、左側は階段と同じように、エスカレーターの段を登って行く人が使用します。


東京と大、阪という、東西の横綱では、こんなにも色々と違うのだと、驚くことがしばしばあります。

そうなると、東京と大阪の間にある名古屋は、どうなっているのだろう?
僕の興味は尽きません。

僕の想像では、名古屋は、位置的に、大阪よりなので、大阪流なのではないかでした。
つまり、右側に立ち、左側を空けておき、左側は階段と同じように、エスカレーターの段を登って行く人が使用します。

今春、念願かなって、名古屋の松坂屋のエスカレーターに乗りました。

そこで、目にした光景は、左右バラバラでした!

これは、僕にとっては、予想を反するという大好きな出来事で、名古屋も更に好きになってしまいました。
ETCの料金徴収方法も、名古屋流があるのかと、僕の興味は尽きることを知りません。

エスカレーターの使用方法も、大阪と名古屋の中間にある京都では、どうなっているのでしょうか?
こちらも、知りたくって仕方がないところです。

僕は、こうして、余談ばかりで話の進展がない人です。

伊豆は渋滞する→東京の渋滞→大阪・名古屋の渋滞→ETC→エスカレーターですからね(笑)

話は戻って・・・。
79年式MW320iAは、滅多なことでは、オーバーヒートはしないのですが、炎天下での渋滞では、30分ほどで悲鳴をあげるクルマでした。

79年式MW320iAは、日産チェリーGL1000と同じように、渋滞に巻き込まれると、水温計の針は120度以上にあっていう間になります。

ただ、79年式MW320iAが、日産チェリーGL1000と、大きく違っていたのは、炎天下の時以外は、オーバーヒートはしなかったという点です。

言い換えると、日産チェリーGL1000は、真冬の凍てつく寒さの中でも、渋滞に遭遇すれば、ラジエーターから噴出していたワケです。
僕が経験した、オーバーヒートのクルマとして、日産チェリーGL1000を、一番最初に取り上げたのは、オールシーズン・オーバーヒートなクルマだったからです。

79年式MW320iAが、日産チェリーGL1000と、大きく違っていた点が、もうひとつありました。

それは、日産チェリーGL1000で極めたハズの、水温計が120度まで上がるギリギリまでは我慢して、120度を過ぎたら、渋滞している道路から、一目散で脇道に入り、一目散で空いている道路を捜して、一目散で100キロ以上出すという、一目散だらけの解決方法が有効ではありませんでした。

そもそも、伊豆の真鶴道路や、135号線には、100キロ以上を出せる脇道もないのですが、他の場所で渋滞に巻き込まれた時に、試みてもダメでした。

100キロ以上で数分間でなく、10分近く走行すると、水温計は下がってきます。
ラジエーター本体の温度を、フロントグリルの隙間から入ってくる強風で、一気に冷やす方法が効果がないということは、79年式MW320iAのラジエーターの設置場所が、高温多湿な地域には適していないということになるのだと、僕は想像しました。

これを解決する方法で一番簡単のことは、強制ファンの装着です。

しかしながら、MW320iAには、強制ファンが装着されているし、オーバーヒートしている時には、強制ファンは全開で回っています。

僕は、こうした自分の些少な知識でも解決出来そうな場合に限っては、自分で試し続けるということに、喜びを感じます。

真夏の日中に、ビニール製のパイプ車庫の中に、MW320iAを入れて、エンジンを高回転で保ちました。
暫くするとオーバーヒートが始まりました。
次に、ビニール製のパイプ車庫の中から、MW320iAを外に出しました。

エンジンはかけたままなので、オーバーヒートの状態を保っています。

工場内等で使用されている、大きな扇風機を用意して、MW320iAのフロントグリルに、風を当てました。
100キロ以上のスピードで、効果がなかったのと同じように、大きな扇風機でも水温は下がりませんでした。

ボンネットを開けて、エンジンルームを覗いてみました。

その時に、ふと、あることに気付きました。
強制ファンは、フロントグリル側ではなく、エンジンルーム側に付いていることでした。

これは、単純なことで、強制ファンとは、その場所に付いていて当たり前のことなのですが、その時には、アメリカ大陸を発見したコロンブスのように、新たな発見に思えたのでした。

水温がある一定の温度に上がると、強制ファンが回りだします。
サーモスイッチが、壊れたりすると、強制ファンは回らなくなったりしますが、僕自身がサーモスイッチに成れば、解決の糸口が見えてくるような気がしました。

室内に、強制ファンを回す、強制スイッチを増設しようと思いつきました。

僕は、ここまでの人で、その後の作業は、いつも、御世話になっている整備工場です。

室内に、強制ファンを回す、強制スイッチを増設して、オーバーヒート防止の効果があるのかは、判りません。
でも、自分で思いついたことの、結果を知りたいという気持ちで一杯です。
自分の思いついたことですので、強制スイッチ増設という、多少の出費はあっても、後悔だけはしません。

果たして、その結果とは・・・・。

ものの見事に失敗しました!

完璧なまでに打ちのめされた敗北ではなく、左右で多少のジャブを出し続けたけれど、ストレート一発で決められてしまった・・・こんな結果でした。
つまり、強制ファンを回す、強制スイッチを早めに入れておくと、オーバーヒートするまでの時間が、多少は稼げるように変化しただけでした。

ラジエーター容量の増設は、ラジエーターの交換になるので、僕の眼中には最初からありませんでした。

強制ファンを回しても、何故、オーバーヒートするのだろうか?
そのことについて、今度は考えてみました。
エンジンルーム内で熱くなった空気を巡回させて、回し続けていつからではないか?と、僕は思い始めました。

僕は、凝りもせずに、また、真夏の日中に、ビニール製のパイプ車庫の中に、MW320iAを入れて、エンジンを高回転で保ちました。
暫くするとオーバーヒートが始まりました。
次に、ビニール製のパイプ車庫の中から、MW320iAを外に出しました。
エンジンはかけたままなので、オーバーヒートの状態を保っています。
工場内等で使用されている、大きな扇風機を用意しました。
ここまでは、前回と同じです。

この大きな扇風機の風を、MW320iAのフロントグリルに当てるのではなく、強制ファンが回っているエンジンルームに向けました。

水温計は、みるみるうちに、下がり続けました。
MW320iAのオーバーヒートの原因が、僕なりに見つけ出せました。

僕の、次なる発想は、強制ファンに風を送る小型扇風機を、エンジンルーム内に設置しようでした。
小型扇風機は、当時のトラックの室内に置いてあるようなものだったので、いつも御世話になっている整備工場に行けば、どうにかなるだろうと思っていました。

いつも御世話になっている整備工場のオヤジさん(今もバリバリの現役です)に、小型扇風機をエンジンルームに増設してと、頼みました。

『そんな場合は、プロペラの枚数を増やせばいいじゃ~あん!』

プロペラの枚数を増やすとは、強制ファンとして使用されている羽根の枚数を増やすということです。

『・・・・・・』
無言のまま、立ちつくす僕に、
『プロペラの枚数を増やす場合でも、強制スイッチはあったほうが良いので、無駄なことしていないからね。』
僕が、今でも御世話になっている、整備工場のオヤジさんとは、こんな人です。

僕のクルマに関する些少の知識で、僕を最大限に遊ばせてくれるオヤジさんです。

メルセデスやBMW、ポルシェといったディラーがあるクルマに関しては、僕はディラーの整備工場に修理を出しています。

旧車や、ディラーでは手に負えなくなったクルマの修理は、このオヤジさんのいる整備工場に御世話になっています。
つまり、僕のクルマの駆け込み寺です。

僕のポルシェセンターの担当メカが見学に行ったほど、不思議な魅力がある人です。

存在しないパーツは作ればいい・・・今では、とても貴重な人です。

正規物のBMWを購入して、オーバーヒートで苦労する。
こんな楽しかった時代は、遠い昔のことです。

何度も書きますが・・。
クルマは壊れて、自分の思い通りにならないものだと思って来ました。
自分の思い通りにならなくて、時として、ご機嫌をそこねるのが、クルマの魅力だと思って来ました。

輸入車が壊れなくなったのは、ここ10数年です。

この20年間で、僕の中で一番壊れたクルマの思い出とは・・・・。
次は、このクルマについて書いてみようと思っています。

多分、皆さまの想像通りのクルマではないかと思っています。

by seiuchi-porsche9 | 2006-09-14 15:57 | 遍歴
2006年 09月 08日

Paranoidその①(君はハートのクィーンだよ! )

今回の投稿は、僕の個人的な好みで、おそらく誰の同意も得られないような気がしています。

僕は物心がついた頃から、クルマが大好きになりました。
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以前に、書かせて頂いたように、クルマの助手席に乗って、コラムシフトのレバーを、1速、2速、3速・・・と動かして遊ばせて貰うのが大好きでした。

クルマで日光、箱根、伊豆、長野、山梨方面と旅行に行った思い出があるとも書きました。

僕の記憶では、クルマでドライブに行くと、必ず数回の途中休憩がありました。
路肩にクルマを停めて、フロントボンネットを開けた状態で、休憩した記憶ばかりです。

どのクルマに乗っていた時でも、『オーバーヒート』と、『エンジンブレーキ』という言葉が車内で、頻繁に交わされていたので、『オーバーヒート』と、『エンジンブレーキ』という自動車用語が、僕が最初に覚えた自動車用語なのかもしれません。

クルマに対して、好奇心旺盛だった僕は、『オーバーヒート』と、『エンジンブレーキ』について、クルマに乗せてもらう度に、聞いていた記憶もあります。

つまり、クルマは長く乗っていると、お湯が噴出し、ブレーキは、長く踏み続けてはイケナイものだと、子供なりに覚えました。

『どうして、お湯が噴出すの?』とか、『どうして、ブレーキは長く踏み続けては、イケナイの?』とか、いま一歩、踏み込んだ質問が出来るような子供であったならば、今現在の僕は、違った方向に行っていたかもしれません。

というのは・・・。
僕には、子供が三人いますが、小さい頃に、『どうして?』とか、『なんで?』とか、『なぜ?』とか、ウルサイほど、頻繁に聞いた子供のほうが、成績が良いということに気付いたからです。

高校3年の時に、同じクラスだったK君は、今でも仲良しの親友です。

彼は、授業中の先生の講義で、自分が判らなくなった場合には、その理解出来ない箇所を、質問攻めにしていました。
先生と、K君の個人授業が、50人弱ほどのクラスの授業の中で、行われていました。

K君以外のクラスメートは、雑談という楽しみを得ることになるので、これはこれで、大歓迎でした。
K君の長時間の質問のために、授業時間が終わってまったことも数回ありました。

中間テストや、期末テストが始まると、クラスの10数名で、K君の家に、合宿に行くことが恒例となっていました。

K君の部屋には、黒板が置いてあって、K君は教科書も見ないで、テストで出題されるであろう箇所だけを、順次説明していきます。
僕等10数名は、その黒板に向って座って、K君の復習授業を受けていました。

僕等の高校は、某大学の付属高校でした。
その付属高校から、大学に進学できるのは、上位何名まで、というような仕組みではなく、単純に、全科目の平均点が、60点以上あれば、進学できるという仕組みでした。

K君は、人に教えて、自分は確認するという、勉強方法が好きだと言っていましたが、K君は、とてもクラスメート思いだったので、進学が危ぶまれる僕等を教えていたことは、間違いがないことだと、今でも思っています。

こんな方法で、勉強をしていたK君は、学年500人中でベストスリーには、必ず入るうような優秀な成績の持ち主でしたが、授業以外の勉強はしないという人でもありました。

話しが、またまた逸れましたが、『どうして?』とか、『なんで?』とか、『なぜ?』とかを考えたときに、K君のことを、思い出してしまいました。

そうやって、中間テストや、期末テストの勉強をしていた僕等でしたが、いざテストの時間になると、自分の答案用紙が、何処に行ってしまっているのか、自分でも判らなくなるほど、皆なで助け合っていました(笑)。

高校時代の親友とは、今でもとても仲が良いのですが、僕を筆頭に、誰一人として出世していないようです。
15歳から18歳という多感な時期に、成績による競争ということを、全く経験してきていないので、人より上になるということが、凄く苦手なのだと思っています。

仕事で、たとえライバルがいても、共存出来ないかなぁ~と、考えるほうなので、気がつけば取り残されているという友達ばかりです。

これで良かったのかという疑問は、大きく残ってはいますが、仮に産まれ直したとしても、もう一度、あの高校に行きたいと思っているので、やっぱり競争は苦手なのだと思っています。
そんな競争心のない、思い出深き高校ですが、僕の息子は現在3年生で通っています。

K君は、母校の教授兼学部長に納まっていて、いまや教え子の仲人も、100組超えとのことです。
そんな、K君と会うたびに、思うことがひとつだけあります。

それは、K君が、なかなか老けていかないことです。
彼の仕事は、大学教授なので、20歳前後の生徒とだけ、延々と一緒にいるからではないでしょうか。
彼が年を重ねていっても、教える対象の生徒だけが、毎年入れ替わって行き、その対象年齢だけは変わっていません。

彼の生徒である、20歳前後の人達は流行に敏感です。
大学を、卒業して行き、社会人になり、結婚して家庭に入り・・・段々と、流行から取り残されている、自分に気付くことになります。

K君は、流行に乗っているということも、今の流行はなんだと、意識することもなく生活しているので、若さが保てるのではないかと思っています。
若い人と、話しが合わなくなると、自覚しだしたら、注意が必要ということかも知れませんが、僕は既に手遅れです。
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話は戻ってクルマの話しです。

僕が、子供の頃に乗ったクルマは、そんな感じで、オーバーヒート気味になるので、ドライブの途中に、路肩にクルマを停めていました。

僕は、子供ながら、クルマが大好きだったので、クルマとは、人間の思い通りに成らなくて、クルマに乗るということは、人間がクルマに合わせるものだと、疑うこともなく思い込んでいました。

月日は流れて、高校3年の夏休みに、僕は自動車免許を取得しました。

僕は、高校生に成ってからは、人に誉められたということが殆どない人でした。
小学生の頃の暗算と読書感想文、中学生の頃の写生大会の絵と工作ぐらいと、誉められたことは、過去の栄光にすがる人でした。

僕の人生の中で、一番誉められた経験が、この夏休みの自動車教習所でした。
中学の頃に、あんなイケナイ遊びに没頭していたので、自動車教習所の敷地内にある、仮想道路で運転することは、とても簡単なことでした。

教習所には、誕生日前の17歳の時から、通い始めました。
『なんで、こんなに運転が上手なぁんだ?』
と、最初の教官に聞かれました。
僕は隠してもしょうがないと思ったし、早く教習所を卒業したかったので、
『かくしかじか・・・そんなワケで』
と、説明しました。

その教官との話しが、他の教官にも伝わり、僕は教習所内の有名人になりました。
僕に教習しようとするよりも、僕の運転技術が、どのくらいのモノかを、知りたがる教官ばかりでした。

坂道発進の時も、当然の如く一発で決めてしまうので、
『バックでも出来る?』
僕は、上り坂で通常の坂道発進をして、坂の頂上を越えて、下り坂の途中で、クルマを停めます。
そしてバックギアに入れて、あえてサイドブレーキも使用せずに、バックでの坂道発進をしてみせました。
S字もバック走行、クランクもバック走行、縦列は頭から、車庫入れも頭からと、教習所では逆さまなことばかり、試されていました。

今の仕組みは判りませんが、当時は、27時間の実技と、30時間の講義が教習所の受講内容でした。
27時間の実技は、17時間の所内運転と、仮免取得後の10時間の路上運転に分かれていました。

僕は、『あとで、2時間乗りなさい』と言われて、15時間で仮免許に合格しました。

路上に出てからは、
『スピードの出し過ぎ!』
『また、勝手に車線変更した!』
『追い越しちゃダメだってば!』
と怒られてばかりいましたが、10時間で合格しました。

最終的には、所内の、あとの2時間は乗らなくてもよいことになったので、僕は自動車教習所を25時間で卒業しています。

教習所は楽しかった思い出ばかりで、年上になる短大生の彼女にも巡り会いました。
そんな彼女が、このブログを発見することになるのですから、世の中って不思議なものですね。(オジンになった僕と、オバンになったであろう彼女は、とても離れたところにいるので、顔を合わせるという意味での、本当の再会はなさそうだけれど、彼女がZ4に乗っていることは、僕には、とっても嬉しいことになるのです。)

免許取得後の僕の最初のクルマは、6年落ちの、白の510ブルバードSSSでした。
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助手席のシートのリクライニングが、壊れかかっていて、何かの拍子で、突然としてシートの背もたれが倒れるクルマでした。

助手席に女の子を乗せていて、倒れて欲しい時には倒れないで、倒れて欲しくない時には倒れるという、僕の思い通りには、なかなか、いかない壊れ方だったので、鉄骨屋さんに持ち込んで、溶接して修理して頂きました。

タコメーターが動かなくなったり、シフトレバーが外れたり、窓ガラスが動かなくなったりと、沢山の不具合はあったけれど、走行中に停まったりしはしない、上出来のクルマでした。

大学に進んで暫くすると、僕は、手当たり次第にクルマに乗ることになるのですが、それは、どれもこれも、気持ちが良いほど壊れました。

バッテリーが弱っていて、セルが回らないのは当たり前でした。
坂道を利用しての、一人押しがけを、マスターしたのも、この頃でした。

当時は、バッテリーは高価なものだったので、予備を持ち歩くことは出来ませんでした。
バッテリーが弱ったクルマを、他のクルマと、ブースターコードでつないで、エンジンを掛けて、出発した後は、神のみぞ知る!そんな感じで走っていました。
(そもそも、予備のバッテリーを持ち歩くということ自体が、僕だけの感覚なような気がしています)

ヘッドライトは薄暗く、ガスペダルを踏むと明るくなるというぐらい、バッテリーの寿命は尽きているので、夜はなるべく走らず、昼間はなるべくブレーキを踏まずで走っていました。
ブレーキを踏めば、テールライトが点灯するので、その僅かな消費を抑えて走っていたワケです。

当時のスポーツカーは、ボルトメーターや、アンメーターが装着されていたので、これだけを頼りにして、走っていました。

高回転ばかりを、使って走っていれば、ボルトメーターの針は、12ボルト以上を指し、アンメーターの針は、プラス方向を指します。
アイドリングの状態では、ボルトメーターの針は11~12ボルトを指して、アンメーターも針は真上のプラスマイナス・ゼロ位を指していました。

信号待ちで、停まっていてウィンカーを点滅させると、ウィンカーに合わせて、カチカチと、ボルトメーターの針は、10ボルトぐらいまで落ちたり、戻ったりしていました。
アンメーターの場合は、マイナス方向にカチカチと振れていました。

ガスペダルを踏んで、空ぶかしをして、ボルトメーターや、アンメーターの針が、プラス方向に振れれば、ダイナモや、オルタネーターが壊れていなくて、バッテリー自体が弱っているだけなので、僕は臆することなく、何処にでも走っていました。
(時として、バッテリーターミナルが、塩を噴いていて、接点が悪いこともあるのですが、概ねはバッテリー自体の弱りでした)

こんなふうに、バッテリーが弱っているクルマであっても、僕は、何処にでも走って行きました。
ただ、道路で駐車してしまう場合は、下り坂付近に駐車し、有料駐車場に預けるの場合ば、渋谷西武百貨店のような、立体駐車場にしていました。

停めてはイケナイ路上は細い路地で、停めてはいけない有料駐車場は、新宿アドホックのような地下駐車場でした。
僕はこのように、エンジンが、バッテリー上がりで掛からなくなるという前提で、駐車場所を選んでいました。

駐車しておいたクルマのバッテリーが死んでしまい、最悪の事態に陥った時には、運転席側のドアーを空けておいて、クルマを手で押して、出来る限りの速さで走ります。

ある程度のスピードになるか、下り坂に突入するところで、ドライバーズシートに乗り込んで、素早くクラッチを切って、2速に入れて、スピードが乗ったところでクラッチを離す・・・これで殆どエンジンは掛かります。
必ず下り坂が、利用できるように、駐車するようにしていました。

僕が好きだった、MGやトライアンフは、1トンを越えない軽いクルマでした。
そして、何よりも、押し掛けするという作業には、屋根がないオープンカーということが、一番便利なことでした。

駐車しておいて、戻ってみれば、エンジン下に、ラジエーターの水が溜まっている。
当時は、ラジエーター自体が破れて、漏れている可能性は少なく、こぼれて溜まっている水の量で、アッパーホースの破裂なのか、ロアホースの破裂なのかを想像したりして、楽しんでいました。

クルマのパーツで、進歩したものを挙げなさいと言われたならば、ゴムホースと、答えてしまうほど、昔のホースは弱かったです。

ラジエーターの水が溜まっているのが、アッパーホースや、ロアホースの膨張による破裂ではなくて、ウォーターポンプからだったりすると、自分の手には負えないというショックよりも、お金が掛かるというショックの方が大きかったです。

チョークがあるクルマが当たり前の時代なのですが、ツインキャブや、トリプルキャブのクルマで、チョークを引きすぎて、プラグをかぶらせたり、エンジン始動後に、チョークを戻すタイミングを読み間違えてしまい、またまたプラグをかぶらせるなどということも、頻繁にしていました。

こうなると、プラグが乾くまでは、絶対にエンジンは掛からないので、プラグを外して掃除するか、もしくは翌日まで待つということになります。
僕は、こういう面倒なクルマが好きなのですが、プラグの掃除は面倒なので、翌日まで気長に待つタイプでした。

オートマチックのクルマは、押し掛けが出来ないので、僕の好みではなくなっていました。
ただ、アメ車は、もともとバッテリーに依存しているオールパワー(パワーウィンドウやエアコン)のクルマなので、バッテリーが早めに交換されていて、そのうえ、バッテリーの容量も大きいので、バッテリー自体が弱っている固体が、少なかったのも事実でした。

最悪なのが、数年落ちのクラウンや、セドリックといったクルマでした。
快適装備のオールパワーなのですが、標準装備のバッテリーの容量が小さいので、夏を終えた今頃の季節になると、危なかっしいクルマに変貌します。

夜のヘッドライトは暗くなってくるし、昼間はエアコンを入れたまま信号で停まると、エンジンストールしてしまいます。

もっと最悪なのは、横断歩道のあるような交差点で、周囲に注意しなから、ゆっくりと曲がり始める場合です。

パワーステアリングのポンプが作動することによって、より負荷が掛かかるので、曲がりながらエンジンがストールしてしまいます。
これを避けるために、右足でガスペダルを強めに踏んで、エンジンの回転数だけ上げておいて、左足でブレーキを、強めに踏んで速度調整をして曲がります。
ブレーキと、ガスペダルの双方を、強く踏むのがコツなのですが、こんなことを、今のクルマでしたら、怒られそうですね。

僕が、今でもオートマチックのクルマを運転する時に、左右の両足を使うのは、この当時の楽しさを思い出しているからです。

今のクルマは、キーを、アクセサリーの位置まで回しても、フエールポンプが作動する音が、聞こえてきません。
昔は、フエールポンプからのジーという音色が、聞こえてきたので、フエールポンプが、クルマの何処に装着されているのかが、直ぐに判りました。
ジーという音が大きく聞こえ出したら、フエールポンプが寿命に近づいている場合が多いのですが、フエールポンプが、どこにあるのかは、判っておいた方が便利でした。

僕はバイトで、ワーゲンポルシェ914をア●アンか、ノ●ノンの撮影協力で、迎賓館前まで持ち込んだことがありました。

ファッション雑誌の撮影ですから、可愛いモデルさんが、数人待ち構えていました。
ワーゲンポルシェ914は、着飾ったモデルさんの背景としての小道具として使われました。

数時間で、数万円という効率の良いバイトで、当日払いでした。
僕は、あぶく銭が入ったので、モデルの子を誘い、一緒に帰ることになりました。

実は、その日に持ち込んだワーゲンポルシェ914は、フエールポンプが、壊れてかけていました。

迎賓館に向う時にも、時として、作動しなくなってしまい、ガソリンがエンジンに送られないので、走行中に停まっていました。

ワーゲンポルシェ914のフエールポンプは、左リアのタイヤハウス内の前方にあります。

僕は、頭の小さな鉄製のハンマーを、助手席に載せていて、エンジンが止まってしまうと、その都度降りて、その頭の小さな鉄製のハンマーで、フエールポンプを、叩いていました。

カンコーンという、甲高い音を鳴らして叩き、ドライバーズシートに座って、エンジンが掛かるかを確かめます。
エンジンが、掛からない時には、また降りて、頭の小さな鉄製のハンマーで、カンコーンという甲高い音を鳴らして叩き、またドライバーズシートに座って、エンジンが掛かるかを確かめます。
これの繰り返しをして、迎賓館前まで、走って行きました。

バイトの帰り道は、可愛いモデルの子との楽しいドライブです。

多分、こういう初めてのデートの場合は、普通の人は、フエールポンプが壊れないことを、期待するのでしょう。

僕は何故か、壊れることを期待していて、ワーゲンポルシェ914を、御殿場方面に向けました。
(これは、首都高速の料金が200円か300円で、用賀から御殿場までの東名の料金が700円か900円の遠い昔のお話です)

あまり、早く壊れてしまうのも、僕の意に反することなので、快調に走っている、ワーゲンポルシェ914が、とても頼もしく思えました。

僕にとって、都合の良い場所で壊れてくれることを、僕は密かに期待していたのでした。

『壊れても絶対に叩かないぞ!』
僕は、こう固く決心して、御殿場から山中湖に向ったのでした。

東名から、山中湖に向って行くと、山中湖に突き当たる、Tの字交差点に出ます。
そのTの字交差点の角には、山中湖ホテルがあります。

僕は、そのTの字交差点の手前で、ワーゲンポルシェ914が、壊れることを期待して走って来たのでした。

Tの字交差点までは、もう直ぐです。
『フエールポンプよ、壊れておくれ!』
ゆっくり走って、調整までしています。
『フエールポンプよ、壊れておくれ!』
Tの字交差点まで来てしまいました。
『フエールポンプよ、壊れておくれ!』
仕方がないので、ワザとエンストまでしました。
『エンジンよ、掛からないでおくれ!』
パタパタ、パタパタ、全く快調なエンジンで、このうえなしでした。

環八から、迎賓館までに行く間の10キロほどの間に、数回壊れた、フエールポンプは、迎賓館から、山中湖まで走っても壊れないのです。

最後のチャンスは、山中湖ホテルで食事をして、ワーゲンポルシェ914から、離れてみることでした。

食事を楽しんだ僕等は、ワーゲンポルシェ914に乗り込みました。
『エンジンよ、掛からないでおくれ!』
パタパタ、パタパタ、全く快調なエンジンで、このうえなしでした。

夜も更けたし、フエールポンプも、壊れないので、僕は彼女を自宅まで、送っていくことにしました。

彼女の家は、恵比寿駅と、山手通りの中間付近の場所にありました。
『よっていく?』
『夜も遅いからいいよ。』
『親も起きてる時間だから、まだ大丈夫・・』
『それじゃ~あ、チョットだけ・・』

彼女の家は、凄い豪邸でした。
考えてみれば、この付近には、芸能人も沢山住んでいる高級住宅地でした。
ガレージには、縦目のベンツが納まっていました。
1時間ほど、お邪魔して、僕は帰ることにしました。

やや広めの、彼女の家の前の道路に停められた、ワーゲンポルシェ914は、駐車違反にもならずに無事でした。
(当時は、22時以降の路上駐車が認められていた道路が多かったのです)

僕は、ワーゲンポルシェ914のドライバーズシートに座って、エンジンキーを回しました。
カチカチカチ・・カチカチ・・・。
フエールポンプが、全く作動しませんでした。

僕は、ドライバーズシートの背もたれの後ろから、例の頭の小さな鉄製のハンマーを、取り出しました。
カンコーンという甲高い音が、寝静まった高級住宅街に鳴り響きます。

僕は、自分のしたことが、とても場違いだということに、気付いたと同時に、僕を見つめる彼女と彼女の母親の唖然とした姿を、今でも鮮明に覚えています。

『申し訳ありません、こうするとエンジンが掛かるようになるんです』
僕は、再び、お別れの挨拶をして、ドライバーズシートに座りました。
カチカチカチ・・カチカチ・・・。
フエールポンプが、全く作動しませんでした。

僕が、頭の小さな鉄製のハンマーを再び手にするより早く・・・。
『泊まっていきなさい』
と、彼女のお母さまがおしゃいました。

僕は、こうして、立派な日本間の客間に通されて、ぶ厚い布団に包まれて、眠りについたのでした。
次の日の朝になると、何事もなかったように、ワーゲンポルシェ914のエンジンは、掛かりました。
帰りがけに、修理工場に入院させました。
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僕は、子供の頃から、クルマは壊れて、自分の思い通りにならないものだと思って来ました。
自分の思い通りにならなくて、時として、ご機嫌をそこねるのが、クルマの魅力だと思って来ました。

壊れてしまって、不動になるのは困るけれど、自分でも原因が判るようなチョットした不具合が起こるクルマに、僕は凄く魅力を感じてしまいます。

こんなことは、僕の個人的な好みで、おそらく誰の同意も得られないような気がしていますが・・・・、僕はもっともっと、書き続けたくなってしまったのです。

by seiuchi-porsche9 | 2006-09-08 18:22 | 遍歴
2006年 03月 17日

If the rain comes!

If the rain comes they run and hide their heads
They might as well be dead
If the rain comes , If the rain comes
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予報の通りだったり、予想外で突然だったり、自然の恵み雨は降ります。
丁寧に磨きこまれて飾られた、ポルシェ・997にも、雨は降るでしょう。
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天気予報を信頼し走り出したワーゲン・ポルシェ・914にも、突然の雷雨が襲うことでしょう。
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予定されたツーリングは、雨天決行されることでしょう。
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フェリーを下船したら、そこの地は雨降りのこともあるでしょう。
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近年の、ポルシェは、こんな具合に傘が納められ便利です。後片付けは簡単なのでしょうか?
はたして実際、雨降りに使用しているポルシェ・オーナーは何人いらしゃるのでしょう。
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ロールスロイス・ファントム。天候に関係なく、僕には永遠に無縁でしょう。
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後席に納まっても、僕は落ち着けないでしょう。
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立派なドアーにあるのは何なのでしょう。
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何か仕掛けがあるようで、押すとどうなるのでしょう。
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ドアーから、引き出して使用する物のようにも見えます。

実は、ここから撮影するのを怠りました。
これは傘でした。それも折りたたみ傘でない、1本ものの傘でした。便利というよりも発想の豊かさに唖然としてしまいました。
価格は5万円で純正オプションのようです(笑)

雨降りには、これを使用して降りるのでしょう。
雨で、ずぶ濡れになってしまった傘を、また元のドアーに戻すのでしょうか。
あるいは傘を乾かすのでしょうか。
ドアー内が錆びてしまうことを心配する僕は、やはり、こんな世界とは無縁なのでしょう。
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雨の時、ガルウィングは予期せぬ箇所が濡れてしまいます。
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要所要所のカーボンとシートのステッチが魅力的です。
この素敵な室内に雨は、やっぱり天敵なのでしょう。
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雨は降らないと割り切るか?
雨は降っても構わないと割り切るか?
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雨が降り出した時。
僕は、時々このクルマの後席に憧れます。
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外は雨でも、真っ白なシートが室内を明るくしてくれることでしょう。
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真っ白な後席で、大好きな70年代のカタログを眺めるのも楽しいことでしょう。
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眺めるだけですから、このカタログもありでしょう。
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数時間に渡って遊べそうなアイテムも必要でしょう。
色々と組み合わせて遊びますが、直ぐに現実的でないことに気付いて投げ出すことでしょう。
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現実的な読書にふけることでしょう。
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それよりも、大切なことを思い出すことでしょう。
時間がなくて、仕分けしていないものがありました。
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こんな具合に、24台で1セットは出来上がります。
この480台の箱から20セット出来あがるのか、出来上がらないのか、いつかは確認しなければいけないでしょう。
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真っ白な後席で、何をしても厭きてしまう僕。
僕の落ち着ける場所は、やっぱりフロント座席の右側と気付くことでしょう。暫くステアリングを握って、また落ち着かないと気付くことでしょう。
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僕には、13年ともにしている親友がいたのでした。
(ともに人生を全うするので、距離が伸びなくなりました)
Rain. I do not mind

by seiuchi-porsche9 | 2006-03-17 10:44 | 遍歴
2006年 02月 24日

憧れと現実!

永遠に憧れています!
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数年間に渡って憧れています!
去年従兄弟に先を越されました。
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これで大満足しています!  
(91年ルノーサンク 47000キロ)
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隠れ仏車好きです!

by seiuchi-porsche9 | 2006-02-24 19:20 | 遍歴