戦闘的に走れ!

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2006年 05月 27日

ポルシェパレード!!

明日から、鈴鹿サーキットで開催されている『ポルシェパレード2006』に行ってまいります。
ポルシェパレードは、ポルシェオーナーのための祭典で、今年は10回目(隔年開催)を迎えました。

26日から28日までの3日間に渡って開催されています。
今回も200台ほどのポルシェが、全国各地から集まってくるとのことです。
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僕は、2日目の27日から参加させて頂きます。

26日から参加している、996ターボの親友K君からの電話では、26日は雨が降っているとのことでした。

996ターボで、東コースを走ったら、滑って!滑って!楽しかった!・・・とのことでした。
K君は4駆のターボが滑ると楽しいと感じる場合には、凡人の僕としては、絶対に走れない!・・・ということになります。
今回だけは、一緒に行かなくて良かった!と本気で思っています。

K君は、鈴鹿を走ったことが殆どないハズなので、クルマだけは原形を留めて置くようにと伝えておきましたが、その心配も無用とのことでした。

そんなワケで、明日(もう今日ですが)、僕は『こんな奴』と一緒に鈴鹿サーキットに向います。
※本人が『こんな奴』と書いてください!との御要望ですので、『こんな奴』と書かさせて頂いておりますが、やっぱり気になります>本人さま
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ルビーストーンレッドのシュトロゼック964RSと、リビエラブルー996GT3の2台の色の組み合わせは、雨中のドライブをも楽しくしてくれそうですが、人さまの目にはド派手な組み合わせとだけ写ることでしょう。


28日のパレードからの帰り道には、とても楽しいことが起こりそうな予感がしていて、今からとっても楽しみにしております<PANDAさん。

出発はAM5時前・・・今から仕度して眠れば、あっという間の出発時間になりそうです。
それでは、皆さま、楽しく行ってまいります!

(追伸 993ネタではなくて、申し訳ございませんでした)

by seiuchi-porsche9 | 2006-05-27 02:09 | ポルシェ全般
2006年 05月 21日

ポルシェ993RS!(You Really Got A Hold On Me)

今までに、このブログで、914/2.0S、930カレラ、964カレラ2、964カレラ4、968CS、986S、987S、996GT3と、僕が今までに乗ってきたポルシェや、現在も所有しているポルシェについて書かさせて頂きました。

他に、924、944S2等の車歴もあるのですが、今、この2車種のことを書いても正しく書けないような気がしています。

924、944S2に関わる、僕の全ての記憶が、その所有していた時代に走った記憶になります。
924では20年以上前の記憶になり、944S2では20年弱の頃の記憶しかないということになります。
つまり、交通事情や道路状況、そして何よりも周囲を取り囲む全ての他のクルマが、当時に戻ってくれないと、正しく伝えることが出来ないと思っています。

数年前まで、友人Mちゃん(元気ですか?また遊んでくださいね)が、944ターボ(951)を所有していたので、彼の944ターボのことは、今でも書けるかも知れません。
でも書けたとしても、944ターボと僕の968CSとの比較という範囲でしか記憶がないので、968CSと関連することだけになります。

現時点で、968CSを他のクルマと比較検討して、それに基づいて944ターボのことを考えてみる・・・・・こんな廻りクドイ方法を取らないと、現時点での944ターボのことが判らないということになるのだと、思っています。

更に、僕の中でのクルマに関する記憶は、全て美化されているハズなので、僕にとっての正解にもならないような気がしています。

上手に、ご説明することが出来ないのですが・・・。
たとえば、僕が中学生の頃に、大好きだった女の子のことを、今、このブログに書いて説明したとしても、上手に説明出来ないことと似ているような感じがしています。

理科の授業で映画を観たことがありました。
教室の窓際にある黒い遮光カーテンを全部閉めて、教室を真っ暗にして映画を観ました。
その真っ暗になった教室で、大好きだった女の子と僕は、ずーと手をつないでいました。

まあー、こんな記憶があるのですが、今、こう書いたとして、この当時の情景が正しく伝わるとは思えないのです。

映画(フィルム)を観るために、教室を真っ暗にする。
ここの段階で時代錯誤が起きてしまっているので、真っ暗になった教室でドキドキしながら、隠れて手をつなぐという行為が、どんなものなのかは伝わらないと思っています。
まして、僕は左手で、彼女が右手で、僕の左膝の上でつながれた、そのお互いの手の平は汗でベタベタになっていました・・・・と書いても、このドキドキ感の何パーセントが伝わるのでしょうか?

同じ年齢の頃に、同じ経験をした人にしか上手には伝わらないでしょう。
それも同じ時代背景で過ごした人の方が判り易いので、年齢も類似している。
そんな人が何人もいるワケはないでしょう。
それに何よりも、当の本人である僕自体が、当時の彼女の気持ちを理解しきれていない状況での、僕の一方的な記憶だということです。

繰り返してしまいますが、924や944S2について話しをするのには、その時代のクルマとの比較や、その時代の交通事情、道路事情での記憶しかないということなのです。
僕にとっては、助手席に乗っていた相手次第で走りの思い出さえ違っているのかも知れないのです。
主体性のない僕は、全ての記憶までをも曖昧にしてしまっています。

僕は、空冷最後の911、つまり993について書くことを、ずーと避けてきました。
避けてきたのは、924や944S2と同じ理由もありました。
でも、993の場合には、敢えて触れたくないという僕の心の奥深くにある何かがいつもあったからなのです。

最近になって、993について、僕なりに書いてみようかなぁ、という勇気がやっと浮かんできました。
それは、今月の6日に乗り比べをしたことが大きな要因であることは間違いがないと、思っています。

親友p96993rsさんの993RS(96年)、親友M君のランボルギーニ・ガヤルド(04年)、そして僕の初期型996GT3(00年)の3台を思う存分に乗り比べてみました。

僕の希望の3車種で、乗り比べが出来たことが、993について思い出を語ってみようとー、勇気を与えてくれました。
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僕にとっての993の思い出とは、993RSとの思い出になります。

95年1月に、スペックも容姿もまるで不明の状態で注文をしたのが993RSでした。
選択できたカラーは、赤・白・黄・銀・水色の5色だったと記憶しています。
僕は、その5色の中からルーフ・ブルーのイメージを強調した、リビエラブルーを迷わずに選択しました。

95年4月あるいは5月頃に、日本仕様の993RSのスペック(緒現)や外装等の詳細が1枚の写真と共に郵送されて来ました。

日本仕様の特別なところとしては、リアスポイラーが993RSクラブスポーツ専用の巨大なものに変更されているところが主たるものになります。
正規物(D物・ミツワ物)の993RSには、クラブスポーツ仕様がないのは、当時の輸入元ミツワ自動車が公道を走行する市販車にロールゲージは不用という判断からと、聞いておりますが真意のほどは定かではありません。

僕の968CSには純正ロールゲージが装着されておりますが、フロント側(Aピラー部)には装着して貰えなかったので、信憑性があるのかも知れません。
フロント側のロールゲージを、納車後のオーナー本人の自己責任として、納車後に装着可能な996GT3等の現行のポルシェと比較すると、当時と現在のインポーターの考え方の違いがハッキリしているのが垣間見えたりするのではないでしょうか。

リビエラブルーの993RSは、95年8月に国内登録第1陣の1台として、僕の手元に届きました。

僕は、その993RSと99年3月まで一緒に過ごしました。
44ケ月間で、走った距離は48000キロ強で、僕としては購入後に初めて車検を受けたポルシェでもあったので、僕は凄く気に入っていたのだと思います。

993RSを書くことに、決めた時点で、これは数回に分けて書かないと書ききれないと思いました。
何故、手放したのか?がメインなご質問になると、思っておりますが、順を追って説明させて頂こうと思っています。

今回は、僕は、この993RSと、どのように接していたかを書かさせて頂こうと思っています。

ツーリング、サーキット、ジムカーナ、走りに走った!
戦闘的に走った!
これが全てのような気がしています。

44ケ月間で48000キロ強は、あまり走行していないように思えるのですが、街乗り等の日常的な使用はせず、2台以上でのツーリング&サーキット&ジムカーナのみの使用で稼ぎ出した走行距離ですので、993RSに乗った時には、走りに走った!という思い出になっています。

964カレラ2から乗り換えて、初めて993RSでサーキットを走った時には、運転が上手になった!と勘違いさせてくれた993RSでした。
そんな錯覚を簡単に与えてくれる程、993RSの操作性は抜群でした。
でも、慣れてくると、いとも簡単にスピーンしまくるという現実をイヤという程、味わさせてくれたのも993RSでした。
つまり、僕の未熟な運転技術では、持て余すクルマでもあったということです。
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飛び石キズをフロントバンバーに沢山つけて、フロントリップスポイラーも割って、走りに走ったというのが、僕の993RSとの思い出です。
飛び石でフロントガラスを3回交換しておりますので、やはり凄かったのでしょう。
タイヤは持って7000キロ前後という不経済な走り方に徹していた頃でもありました。
つまり、僕は君に首たっけ(You Really Got A Hold On Me)状態ということだったのでありました。

フロントとリアのナンバープレートに取り付けられた、反射板付きの●△■を見て頂ければ、当時の極悪非道(笑)の走り方が想像出来るような気もしますが、今や当時の面影もない走り方をしていますので、お許しくださいませ。

1日に1000キロ走行したり、2泊3日で2700キロ走行したり、今にもまして運転することが大好きだった頃でした。
新潟経由で岩手に行き、一日に日本海と太平洋を見てしまうことになったりと、走ることだけでも楽しくって仕方がなかった頃でもありました。
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戦闘的に走れ!
僕の、この『戦闘的に走れ!』というブログタイトルは、この993RSに乗っていた頃の自分に戻りなさい!と自分に話しかけているところから名付けています。

僕の大好きな鈴木正文氏に『戦闘的に走れ!』と書いて頂いた、僕の993RS!
あの頃と違って、もっと大人の走りを伴って、いつまでも戦闘的に走れ!と僕は自分に言い続けて行きたいと思っています。
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次回も、993RSについて書かさせて頂きますので、お付き合いしてくださるよう御願いいたします。

追伸
皆さまは、何の不満もなく気に入っていたクルマを、気に入ってしまった別のクルマを購入したという理由だけで、乗り換えてしまった経験がないのでしょうか?

by seiuchi-porsche9 | 2006-05-21 15:28 | ポルシェ993
2006年 05月 11日

A DAY IN THE LIFE!

またしても、いきなりですが、3日に親友と銀座で待ち合わせをしたので、その時の模様を書いてみようと思います。

待ち合わせの時刻が、予定より少し伸びてしまったので、東京フェリー埠頭に立ち寄ってみました。

お台場の近くにある東京フェリーふ頭は、有明埠頭とも呼ばれ、沖縄・徳島・釧路へと利用できますが、有明4丁目・10号地と名付けられた地名だけあって、貨物輸送がメインの埠頭です。
東京フェリー埠頭4号にて。
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遠い空から向って飛んでくる飛行機って、なかなか近くに来ないなーって、思って見ていました。
でも近くに来ると、驚くほど速いのですね。
航空速度を考えれば、当たり前のことなのですが、F1の方が圧倒的に速く思えます。
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埠頭好きな僕が、次に向ったのは晴海埠頭でした。
昔々、モーターショーというよりも、自動車ショーが開催されていた全ての建物も、すっかり解体されてしまって、残念ながら今や僕の少年時代の憧れの地ではなくなってしまいました。

『ほっとプラザはるみ』の駐車場からの画像です。判り難いのですが、手前から、晴海運動場、晴海埠頭公園と続いています。

レインボーブリッジを、お台場方面から眺めるのとは、ちょうど反対に位置する晴海埠頭公園ですが、僕は、この晴海埠頭公園から眺めるレインボーブリッジと東京の夜景が大好きです。

左に見える三角屋根のガラス貼りの建物が、『晴海客船ターミナル』で、こちらからの夜景も綺麗ですが、目線の低い晴海埠頭公園からの夜景の方が、香港のようで僕の好みになっています。
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僕は、小さい頃から『のりもの』が大好きでした。
そして『のりもの』の絵本を見ているのが大好きでした。

自動車・船・飛行機・汽車・・・『のりもの』といえば、こんな感じなのですが、『のりもの』の絵本に必ずといっていいほど描かれていた場所がありました。

自動車・船・飛行機という、異なった陸海空の3種類の『のりもの』を見開き2ページに同時に違和感なく描かれる場所がありました。

それは隅田川に架かり、築地と月島を結ぶ『勝どき橋』でした。

有名なロンドンのタワーブリッジと同じように、橋の真ん中で、二つに割れて開く『双葉跳開橋』で、当時は、1日に数回開いておりましたが、移り行く時代と共に、トラック輸送が主流になっていってしまい、1968年3月に開閉を止めた、あの『勝どき橋』が、『のりもの』の絵本には、必ずと言ってよいほど描かれていました。
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僕は子供の頃に、何度も『勝どき橋』が、開いたのを見ました。
幼心ながらに感じた、色々な意味も含めて、今でも、とても思い出に残っている場所です。
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そして、晴海通りから昭和通を左折し、ポルシェセンター銀座の前を通りました。
多いときには、一日に数百人の来客があるというポルシェセンター銀座も、この方向からは、以外に小さく見えます。
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ポルシェセンター銀座を左手にし、次の信号を右折すれば、中央通りになります。

ここは新橋よりの銀座なので銀座8丁目です。
僕の高校の頃の彼女は、当時でも数少ない銀座の住民で、銀座8丁目に住んでいたので、この辺りは、思いで多き場所でもあります。
更に時を同じくして、高校時代の悪友も、1丁目に2人、4丁目に1人と銀座の住民だったので、銀座にはとても親しみがあります。

3日は水曜日でしたので、中央通りが歩行者天国で通行止めとは、思ってもいませんでした。
日本で一番最初の歩行者天国は銀座で、この中央通りでした。
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中央通りの銀座一丁目から銀座八丁目まで、区間としては約1,100メートルを通行止めにして、歩行者天国になるのは、今も昔も同じです。
銀座四丁目で途中交差する、晴海通りとの交差点のみに信号があるのも、昔と同じままです。
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歩行者天国のきっかけとなったのは、交通渋滞による大気汚染に対する反省を促し、人間よりも自動車の方が優位にあるような、当時の風潮に反省をこめてのことと、ということのようです。

それは、1970年のことで、クルマの免許もまだなかった、当時の僕の遊び場は、この銀座と渋谷・原宿・池袋・お茶の水、その周辺の月島・目黒・代々木・目白と、今にして思えば、かなり広範囲に渡っていました。
自動車免許を取得してからの、僕の遊び場は、付き合った女の子の住まい次第で、何処までも広範囲に広がって行くという優柔不断な人に変わりました(笑)

歩行者天国が始まった頃の銀座は、学生を主体とした若者で溢れていて、軟派天国ともいわれていました。
女の子達は、声を掛けられる目的の為に歩いているワケなので、声を掛けなければイケナイ!と、使命感さえ感じてしまう、良き時代のお話です。

通行止めの中央通りから、待ち合わせ場所でもある並木通りに987を向けました。

中央通りより、一本JR寄りを通っている並木通りは、現在では、ルイ・ヴィトン銀座並木通り店、ダンヒル並木通りブティック、グッチ並木通り、フェンディ銀座並木通店、フォリフォリ銀座並木通り店、というように有名ブランドのブティックの通りとして有名ですが、それは晴海通りとの交差点から始まる銀座5丁目から銀座8丁目方向の区間になります。

並木通りはチョットした渋滞をしていましたが、駐車しているクルマを眺めているだけでも楽しくなれる、僕にとっては快適なものでした。
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1955(S30)年に作られた初代クラウンを思い浮かばせる、観音開きのトヨタ・オリジンが停まっていました。

トヨタの国内生産累計1億台達成を記念して、期間限定車で販売されたトヨタ・オリジンは、プログレをベースにしたとは思えないほど、個性的なデザインでリアガラスの左右エンドの処理などは、古き良き時代のクルマそのもののデザインです。

トヨタ・オリジンでさえ、2000年の限定販売ですから、時の流れは速いものですね。
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並木通りで、親友と合流し、西銀座駐車場に987を預けました。

そして、今やチョット大衆化した『しゃぶせん銀座2階店』で、しゃぶしゃぶを楽しみながら、語り合うことにしました。
『しゃぶせん銀座2階店』がある銀座コアビルは、歩行者天国が始まった頃に完成したビルです。
当時は若者が沢山集まってくる場所でしたが、今はその面影はありません。

しゃぶせんでの僕のお決まりのメニューは、『アスパラ豆腐・ビシソーワーズ・しゃぶしゃぶ・おかゆ・吉野紅梅』です。
小豆入りのおかゆに、お砂糖をかけて食べるのが、しゃぶせんでのルールなのですが、僕はこの一見ミスマッチな食べ方が大好きです。
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西銀座駐車場から987を出して、銀座4丁目交差点・和光の隣にある『山野楽器』に立ち寄りました。

学生だった頃の僕は、この山野楽器、新宿レコード、渋谷ヤマハで輸入版のLPレコードを頻繁に購入していました。
当時、購入した英国版のレコードが、今やオークションで、数十万の価格で取引されていますので、当時の投資もまんざらではなっかたような気がしています。
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その後、親友を送って行き、こうして僕の5月3日という一日が終わりました。

中央区銀座の歴史は江戸時代に遡ります。
江戸時代には、銀製の銀銭を鋳造するところを銀座と呼んでいたそうです。
つまりは江戸時代には、造幣局があった場所ということになります。

僕が学生の頃も、そして今も変わらずファッション・芸能・文化の中心として今昔の様々な名所、名店、銘菓、劇場が沢山あり、日本の洋食の発祥の地でもある銀座は、僕にとっては何度行っても素敵な場所です。

今までに、数え切れない程行った銀座。
その一度一度が、僕の人生の中の一日一日として刻まれていたと思うと、今日という5月3日も素敵な思い出を刻めた、充実した一日であったことに、僕は素直に感謝したいと思っています。

※連休明けで、仕事がバタついてしまい更新が遅れてしまい申し訳ございませんでした。
(6日に、993RS、996GT3、ガヤルドと乗り比べをして来たのですが、この楽しい経験は、とても簡単には書けなさそうですので、次の機会にさせて頂きます。)

by seiuchi-porsche9 | 2006-05-11 23:03 | ポルシェ987ボクスター
2006年 05月 05日

ロング・ツーリング!( ハード・タイムス・ア・オーヴァー)

16日の22時過ぎに、宿泊先である大阪のホテルに戻りました。

当初の予定では、17日のAM6時に大阪を出発する予定でした。
そうすると、ホテルの滞在時間が8時間もない計算になります。
昨日が6時間滞在で、今夜が8時間滞在になるので、2泊分の宿泊料金で滞在時間は僅か14時間ということになります。

2泊分の宿泊料金を滞在時間の14時間で割ってみると、とても割高なことに気付きました。
これを大義名分として解釈する、都合の良い僕等がいます。
K君も僕も、睡眠不足ということもあって、翌日の出発は午後からということに変更することにしました。

そんなワケで、僕等は11時間睡眠を楽しんでしまいました。
起床後、軽い食事をして、僕等は午後1時過ぎに、大阪のホテルを出発しました。

K君と2台でツーリングをすると、チョットだけ不便なことが起こります。

996ターボの燃料タンクは65リッターで、996GT3の燃料タンクは89リッターなんです。
つまり給油する回数が996ターボの方が圧倒的に多いということなんです。
ガソリンスタンドがあるサービスエリアで確実に給油しながら走行しようとすると、996ターボは最長継続走行距離300キロが目安になります。

そして、週初めの月曜日のウェークデーの午後の時間帯に、名神高速と東名高速を2台のポルシェで走行するのは、いつも遊んでいる人に思われそうなので、僕等2台は少し離れて走ることにしました。

そこで、ピット回数の多いK君が先にスタートしました。
ハンディー戦ではありませんので、誤解なきようにお願いします。

K君が、御殿場のアウトレットに所要があるとのことでしたので、集合場所は御殿場のアウトレットにしました。

そんなワケで、僕は単独で走行して来たのですが、これはこれで、とても楽しいドライブでした。

最初に出会ったのが、東海地方のナンバーの996カレラ4のカプリオレでした。
ボディーカラーは特殊なので書きませんが、かなり貴重なカスタムオーダーのユニカラーでした。

この996カプリオレの走りを後から眺めている限りでは、Tipだと思うのですが、コーナーでも安定していて、見ている側にも、安心感が伝わってきました。
実は、996カレラ4カプリオレMTを、アウトバーンで運転した経験があります。
僕にとっての理想の1台は、もしかしたら、このクルマかなぁ、と思ったほど、僕は本気で気に入ってしまいました。

240キロなら後席に置いた紙すら飛ばないということにも衝撃を受けました。
280キロになると、頭を下げずにはいられない状況になりなすが・・。
今回も、K君の996ターボといい、4駆のポルシェが、チョットだけ羨ましく思ってしまいました。
幌を被った996カプリオレの後姿は実に格好良かったです!

次に出合ったのが、関西方面ナンバーのソリッド色のマセラティ・スパイダーでした。
ミラー越しに見えるフロントマスクが最高に格好良くって、マセラティ・ファンの僕としては、ワクワクで心動かされました。

これはハッキリ言って速いですね。
スペック的にはF355ですから、速くて当然なのかも知れませんが、車重が1700キロ以上あるように思えない機敏な速さを合わせ持っていました。

僕の前期型996GT3より、30馬力多い390馬力です。
僕の車体の方が300キロ以上は軽いので、加速はほぼ互角なのですが、ドライバーの技能が明らかに負けていました(笑)

僕は、V8のクルマと離れてから久しいのですが、無性にV8のクルマが懐かしくなってしまいました。

マセラティは、今までグランスポーツばかりに目が行ってしまっていましたが、マセラティ・スパイダーの走りにチョットした衝撃を受けてしまいました。

いつの日にか、僕の実録マセラティ奮闘記をお披露目させて頂くかもしれませんが、僅か十数年間での、マセラティの進歩には目を見張るものがあります。
元オーナーとしては、マセラティという同じメーカーのクルマの走りには、思えないほどの進歩が確実にあります。

996カプリオレ、そしてマセラティ・スパイダーのオーナーの方、とても楽しいひと時をありがとうございました。

そんなワケで、多少ペースの速かった、僕の方がK君を、いつの間にか抜いており、K君より先に集合場所に到着しました。
御殿場のアウトレットの駐車場に先に到着した僕は、いつもように駐車場内を物色しました。
僕の場合の物色は、クルマ探しですので、これも誤解なきようにお願いいたします。

御殿場のアウトレット正門側の駐車場に停まっていた、都内ナンバーの白の後期型GT3クラブスポーツが、凄く格好良くて印象的でした。
BBSを履いていて、ロールゲージだけをリビエラブルーに塗装してありました。
オーナーの方、僕の大好きなモデファイの仕方で最高でした!

暫くしてから、K君が到着しました。
御殿場のアウトレットで2時間ほど時間を費やした僕等は、京都修学旅行に広島ロングツーリングという、今回のツーリングの締めをすることにしました。

昨日、一昨日と、十二分に走ったハズなのですが、今日はなんとなく走り足りない!と感じてしまう僕等がいました。
そうです、ここは御殿場です。
ツーリングの締め!として、今から箱根を走ることに決めたのでした。
18時を過ぎてから、箱根を目指すワケですから、渋滞もなく楽しめると思ったワケです。
まだ大阪から御殿場までしか、走っていないので元気一杯でもありました。

箱根を一通り(笑)走った僕等は、 宮ノ下・冨士屋ホテルで夕食を楽しむことにしました。
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宮ノ下・冨士屋ホテルは、僕が大好きな場所です。
数年前までは、月に1~2回は必ず立ち寄っていたという、思い出多き大好きな場所です。

ここのメインダイニングルーム「ザ・フジヤ」は、昭和5年(1930年)に建てられています。
大和ミュージアムで見学した、戦艦大和や零戦よりも更に歴史が長いことを考えると、当時の時代としても凄い建物であったことは疑いの余地はないでしょう。
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メインダイニングルーム「ザ・フジヤ」は、日光東照宮本殿をモデルに造られており、高山植物や花鳥といった絵が描かれている、見ごたえのある格天井と彫刻が実に見事です。
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メインダイニングルーム「ザ・フジヤ」は、和洋折衷の建物で、とても不思議な空間です。

以前は、箱根を走って、ランチを冨士屋ホテルのメインダイニングルーム「ザ・フジヤ」 で楽しむということが僕の中での決まりになっていました。

今回は、本当に久し振りで、数年振りに立ち寄りました。

僕が冨士屋ホテルに、お邪魔しなくなった理由は、とても簡単で、リビエラブルーのポルシェが、ここの冨士屋ホテルの駐車場には似合わないと、僕が勝手に決めてしまったからです。

リビエラブルーという派手なカラーは、海や湖といった同系色のローケーションと、サーキット、範囲を広げてツーリングには、凄くマッチするカラーだと思っています。

反対に全くマッチしないのが、紅葉の地、都心、繁華街、そして高級そうであろう、あらゆる場所だと、僕的には思っています。

このミスマッチは、誰が決めたことでもなく、単なる僕の中での決め事です。

僕は自分のクルマが大好きなので、僕の大好きなクルマが、僕の中でマッチしないと思われるところを走っていたり、駐車や停車している姿が好きではない・・・こんな感じで、僕は自分のクルマと接しています。

今回は、周囲が真っ暗になった夜なので、リビエラブルーでも許せるかなぁと、これも自分勝手に判断し、立ち寄らせて頂いたワケです。
たとえ、日中にリビエラブルーのクルマで、お邪魔しても、ホテル側は暖かく迎えてくださることは、言うまでもありませんが、これが僕の中での決まりなのです。

久し振りに、お邪魔したメインダイニングルーム「ザ・フジヤ」 は、食事を楽しんでいらしゃる殆どの、お客さまが外国の人達で、まるで異国の地に来てしまったようでした。

僕の大好きだったロブスター・ビスクスープが、残念ながらメニューから落とされていたりしていましたが、コース料理は、なかなか楽しめました。

初めて訪問する場合の、お勧めは、室内の格天井がよく見えて、価格的にも気軽に楽しめる12:00~14:30のランチタイムだと思います。

メインダイニングルーム「ザ・フジヤ」 で、僕がデザートのアップルパイ・アラモードを食べていると、K君が携帯電話を動かし始めました。

『ターンバイクは10時半で終わちゃいますよ!』

K君が、携帯で調べていたのは、なんと箱根ターンバイクの営業時間だったのでした。
既に10時15分過ぎでしたので、ことなきを得たハズでした。
すると、追い討ちを駆けるように、K君のクチが開きました。

『また、箱根抜けて帰りますよね!』
しばし唖然の僕・・・・。

夜の箱根の旧道で、しかも山道で、4駆の996ターボの後を走って帰るのは、僕にとってはリスクが凄くあります。

特にK君が、操る996ターボは、コーナーへの突入速度が中途半端ではないのです。
K君はドライヴィングが上手なので、コーナーの途中でK君が想像していた以上のRだった場合には、K君は躊躇なく、かなり強めに短いブレーキングをします。

そこから、また踏んで何事もなかったかのように加速して、コーナーを抜けていきます。
これが出来る人には、996ターボは最高に楽しいクルマなんだろうなぁ~、と思わせる最高の見せ場で、後を走っている僕も、ウットリする瞬間でもあります。
K君は、この状態でも、まだまだPSMを介入させていないので、4駆の性能は本当にアナドレないのです。

K君の996ターボは4駆で、もしもの時のPSM付き。
僕の996GT3は2駆で、PSMなしです。
更に先頭を走行する、K君の方が、前方の視界は広く、コーナーの先を見極めるのことが、早く出来ます。
僕は、彼のテールライトを目安に追尾するのですが、ブレーキライトが点灯しても、同じようにブレーキを踏めないという、根本的な違いがあります。

それならば、僕が先頭で行けばと思うのでしょうが、そうすると実力的にも負けているので、追い詰められてしまって、物理的にもムリが生じてしまいます。

K君と僕がとった方法は、K君は箱根旧道抜けの御殿場IC経由ルートで、僕は小田原・厚木道路から厚木IC経由のルートでした。
そして東名高速で自然合流ということにしました。

結果的に、僕の方が28キロほど距離が短かったので、東名・東京料金所の手前付近で合流しました。

僕等は、一緒にツーリングに行っても、このようにルートが違って走ることが多々あります。
人から見れば、せっかく一緒に行ったのにと、思うかもしれません。
でも、お互いが自分の楽しみ方や、自分のクルマの特性を自分なりには理解しているので、こんな風に異なった行動をとったりしています。

そんな、こんなで、僕等は24時過ぎに、無事にガレージに到着しました。

こうして、2泊3日の楽しかったロングツーリングは、静かに幕を閉じました。
結果として、66時間で2100キロ弱を走ってきました。
青森から下関まで走った距離と、概ね同じですので、よく走ったといえば走ったようで、まだまだ走れるような距離でもありました。

最後に、K君が抱いている、僕のGT3の試乗感想を書かさせて頂きます。
『これで、僕に本気で、ついて来ては危ないからダメですよ』
でした。

でも『また行きますか?』って尋ねられたら、『勿論!』と答えてしまいそうです。


※ツーリング最終日の画像がないのは、デジカメをバッテリー切れにしてしまったためです。また宮ノ下・冨士屋ホテルさまには、画像掲載承認済みです。



お知らせ!
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古くからの知り合いで、ブログで再会したp96993rsさんのリビエラブルー993RSと、僕のリビエラブルー996GT3を、6日の午前中に、二人で乗り比べることにしました。
都心近郊の某地点で、p96993rsさんと、お会いしますが、ご興味がある方は、ご一緒にどうぞ。親友M君のガヤルド、親友N君の993カレラ4Sも来るとのことです。
(画像はp96993rsさんのリビエラブルー993RSと、僕のリビエラブルー996GT3そのものです)
★p96993rsさんの993RS、親友M君のガヤルド、親友N君の993カレラ4S、親友H君の993RSの5台で無事に終了しました。(同乗希望Mさん!お疲れさまでした・笑)★

by seiuchi-porsche9 | 2006-05-05 04:23 | ポルシェ全般