戦闘的に走れ!

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2009年 10月 31日

時には早い脈を打ってみたい!

思い返せば・・・。
エンジン不動で、いつもの修理屋さんの助けを借りてしまったのは、桜満開の4月(今年)の出来事だったのでした。
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我がジェンセン・ヒーレーは、初年度登録が1975年11月という、34年も前のクルマであります。
1975年11月から、毎回車検を受け続け、それは、1996年11月の車検まで継続していました。
1996年11月に車検を受け、その車検が満了した1998年11月からは、暫くは乗らずに、我がガレージに、放置したままでありました。

96年から98年頃の僕は・・・。
まだまだ仕事が忙しかった時代でした。

96年から98年頃は、そんな真面目な生活をしていたので、ジェンセン・ヒーレーには殆ど乗る機会がなく、98年に車検が切れてからは、ガレージの中で放置したままでありました。

大学4年に次女が進級し、大学に長男が入学したのは、車検切りから9年経った2007年4月のことだったのですが、僕は、この時に、ジェンセン・ヒーレーに乗りたくって仕方がないという、そんな衝動にからわれました。
その衝動が起きた理由は、『( FORGIVE ME ) MY LITTLE FLOWER PRINCESS !』 というタイトルで、以前に投稿させて頂きました。

9年間も、ガレージの片隅に、放置してあったジェンセン・ヒーレーは、キャブレーターの中のガソリンは、蒸発していたのはモチロンのこと、ガソリンタンク内のガソリンも、見事なまでに腐っていました。

そんな状態で、エンジンはモチロン掛からなかったのですが、それ以前に、何よりも困ったことが起きていました。
それは、なんともダラシガナイ話なのですが、僕はジェンセン・ヒーレーの鍵を、全て紛失してしまっていて、何処を探しても見つかりませんでした。

左右のドアーの鍵はロックしないで、ガレージに置いてあったので、車内には入れるのですが、エンジンは掛けられないし、給油蓋も鍵式なので、ガソリンも給油出来ないし、鍵式のリアトランクフードも開けられないという、そんな最悪な状態でした。

いつも、お世話になっている修理屋さんとの出会いは、僕が大学生だった頃からなので、早いもので、もう30年以上の付き合いになりました。

正規ディラーがあるクルマの修理は、僕は、基本的には正規ディラーにお願いしているのですが、このジェンセン・ヒーレーのように、もうパーツが手配出来なくって、誰にお願いしていいのか判らない状態になってしまった故障や、僕がパーツを支給しての修理は、いつも、この修理屋さんの助けを借りさせて頂いています。

「鍵は壊しちゃっていいので、全てお任せします」
と、僕は言いました。
『お金掛けない方法で、何か考えろということね・・』
と、笑顔で答えてくれて、いつもの如くではあるけれど、この時も、僕の心の中は、読み切られていました。

鍵を紛失する前のジェンセン・ヒーレーは、セルモーターの歯が何か所か欠けていしまっていて、歯車が上手に噛み合わない時には、セルは回りませんでした。

セルが噛み合わず、エンジンが掛からない時には、ギアをニュートラルにして、サイドブレーキも下して、僕は、1度クルマから降りていました。
そして、ジェンセン・ヒーレーの後ろに回って、両手でジェンセン・ヒーレーを数十センチほど押してから、またドライバーズシートに戻って、エンジンが掛かるか確かめていました。

1回、押すだけで、運良くエンジンが掛かる時もあるし、セルモーターの歯車が欠けている箇所で、まだ噛み合っていて、エンジンが掛からない時もありました。
掛からない時には、エンジンが掛かるまで、何度もクルマを少し動かして、歯車が欠けていない箇所を探して、噛み合わせるという、なんとも原始的な方法で、エンジンを掛けていました。

クルマと接している時に、僕は、こんなふ~に、自分の意のままには成らないという、こんな不自由の中の自由さこそが、最高に楽しい瞬間なので、この不具合が大のお気に入りではありました。
修理屋さんの社長が、これは、やっぱり不便だろうということで、イグニッションキーをオンの位置まで廻して、あとはスターターボタンを押して、セルモーターに直接電流を送る方法に改造してくれたのは、97年の車検の時でした。

そして、2007年に、9年ぶりに車検を受けようと思った時に、イグニッションキーを紛失してしまったことに、気づきました。
(ドアーと給油蓋とトランクキーはエンジンキーとは別なのですが、僕は両方とも紛失しました)

鍵を紛失してしまうと、スターターボタン(スイッチ)を押す動作まで、辿り着けなくなってしまい、エンジンを掛けられない状態になってしまいました。

そこで、2009年に車検を受ける時には、思いきった方法で修理してくださいました。
ダッシュボードの下側から、イグニッションキーのシリンダーを1部分壊して、黒のスイッチをシリンダーにダイレクトに差し込んて、ダミーのイグニッションキーが差し込まれている状態にしてくれました(黄色で囲んだ箇所)。
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この黒い強化プラスチック製のスイッチは、使わなくなった古いガスレンジのスイッチを流用しているので、なんとも凄いアイデアであります。
そして、ガスレンジのスイッチなので、とても使い易いです。
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このイグニッションキーの替わりのガスレンジの黒いスイッチは、普通のクルマの鍵のように、外すことは出来ないので、いつでもエンジンが掛けられます。

僕には、ジェンセン・ヒーレーという、あまり価値が有るとは言えないクルマを、誰かに持ち去られることなどないと思っているのですが、修理屋さんが、このままでは、盗難の可能性もあるので、サブキーを付け加えてくれました(赤色で囲んだ箇所)。

この小さなサブキーは、自転車用の鍵からの流用品なので、精度は期待出来ませんが、コストの掛けなさでは、群を抜いている修理屋さんだと、僕的には思っています。

この追加してくれたサブキーの配線の中間には、10アンペアのヒューズをかませてくれてあったのですが、10アンペアのヒューズだと、時々、飛んでしまうので、20アンペアのヒューズに、最近、交換して貰いました。
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そして紛失してしまった、ドアーキーと・・・。
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給油口キーと・・・。
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リアトランクのキーは、シリンダーだけ新たな共通のモノと交換し、全て新たな共通のキーで使えるようにしてくれました。
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キーヘッドがソアラ用なのは、ご愛敬ということのようです。
(ここの修理屋さんは、基本的には国産車専門の修理屋さんなので流用パーツも日本製が殆どです)
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クルマの鍵を紛失してしまった場合の、対処方法には、何通りかあると思っています。

このジェンセン・ヒーレーへの対処方法を、邪道だと感じる方もいらっしゃるとは思っていますが、名車と呼ばれるクルマならば、いざ知らずですが、このジェンセン・ヒーレーのように、その種のクルマとは遠い存在のクルマならば、こんな対処方法でも、良いのではないかと、僕は思っています。

いや、僕にとっては、イヤな顔をひとつせずに、困った時には、いつも笑顔で助けてくれる、この修理屋さんの対処方法が、いつもベストな選択肢だと思っています。
家の玄関の鍵を、ディンプルキーと交換する料金と同じぐらいの請求しか来なかったので、この点でも、やっぱり、僕にとっては、「困った時の神頼み的」な、そんな修理屋さんなんだと思っています。

こうして、この時は、紛失した鍵の件は解決して、腐ったガソリンも抜き出して、2007年4月に車検を受けて、乗っていたワケですが、9年間の放置には、かなりの無理があったようで、決して絶好調ではありませんでした。

今年の4月に、車検が切れるのを機会に、このジェンセン・ヒーレーに、少しばかり情熱を注いでみることにしてみました。

先ず最初は、キャブレター (carburetor)が原因で、立ち往生して助けを借りてしまったので、キャブレターに、情熱を注いでみることに決めました。

これに情熱を注ぐには、3通りの方法が浮かびました。

(1)リペアパーツを使用して修理する。
(2)いっそのこと、新品のウェバー製キャブレターに換装する。
(3)現在のストロンバーグ製のキャブを完全にオーバーホールする。

(1)の方法は、1番割安ではあるけれど、今後10年間に、何も手を加えずで済むという、そんな万全な解決方法ではないので、(1)の方法は、最初に選択肢から外れました。

(2)の方法は、ストロンバーグ製から、子供の頃に憧れた、あのウェバー製になるので、とても惹かれる選択肢には、思えました。

でも、この(2)の方法だと、人の道から外れていない正道のように感じてしまい、何よりも、意外性を好む僕にとっては、僕の選ぶ方法ではないと思い始めてしまい、キャブレターを1度取り外して、その取り外したキャブレターを、キャブレターオーバーホール専門業者さんに持ち込んで、それを預けて修理して貰い、また、引き取りに行って、オーバーホールした、そのキャブレターを、また取り付けるという、どう考えても、1番面倒な方法の(3)を、あえて選択することにしました。
(旧車はオリジナルが大好きという理由もありましたが)

そして、キャブレターをバラシテ、組み直しして、交換して貰ったパーツが、下記の写真です。
簡素化されたリペアパーツを使用しての修理とは違って、キャブレターを完全に分解して組み直しているので、交換されたパーツは多種になっています。
交換されたフロートやフロートバルブを眺めていると、何故か便器の内部構造が、思い浮かんで来てしまいました(笑)
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そして、完全にオーバーホールされたキャブレターを、元と同じ位置に取り付けました。

キャブレターの取り外し・取り付け、そしてオーバーホールと、これらの全てで、16万ほど掛かりましたが、登録後34年目にして、初めてのキャブレターのメンテナンス費用になるワケですから、それだけで、自分を納得させることも出来たのですが、それよりも、キャブレターを完全オーバーホールした、その効果は絶大で、アイドリングは安定しているし、7000回転近くまでスムーズに回って、とても気持ちが良いです。
(キャブとエンジン本体の間に使われているインシュレーターは以前のモノをそのまま使用しました)
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エンジンが不調な時には、ロータス製4気筒DOHC・16バルブエンジンであったことも、忘れかけているほどだったのですが、エンジンが快調になると、960キロの車重に、140馬力という組み合わせは、今の僕には、必要にして十分で、1速と2速の伸びも加速も(ゲトラーク製5速)満足出来るもので、その気になれば、街中の交通の流れを、僕自身が作り出すことも可能なほどです。

因みに、シフトレバーのリバースは、ノブを下に押すでも、上に引きあがるのでもなく、単に、通常のシフトパターンの1速に入れるように動かせば、スムーズに入ってしまうので、この変形シフトパターンに慣れないと、1速に入れたつもりで走り出せば、そのままバック走行してしまいます。

シフトパターンは、914と同じですが、ストロークが短いのと、シフトそのものも、914より使い易い位置にあるので、いとも簡単に1速に入ってしまい、914よりも、更に注意が必要ではあります。
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話は替わりますが・・・。
旧車に乗ると、いつも感じることがあります。
それは、夜になっても、今の世の中は、こんなにも明るいのかということであります。
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60年代や、70年代は、今の世の中と違って、街灯も少なくって、街並みが暗かったと記憶しています。

走行中のクルマのドライバーからみれば、車外が暗ければ、ヘッドライトが、さほど明るくなかったとしても、必要十分に明るく見えるワケで、車外が暗ければ、メーターパネルを照らす電球の、それが発する光量が、さほど多くなかったとしても、鮮明に見えていたワケです。

今の世の中でも、真っ暗な山道や、真っ暗な海岸を歩く時に、単1電池が2本直結の、僅か3ボルトの懐中電灯でも持っていれば、その懐中電灯の照らす先は、とても明るく感じると思います。
でも、20畳や30畳という、そんな広めの部屋で、その部屋の中に、僅か27ワットのインバーターのダウンライトが、1つだけ点灯していれば、そんな懐中電灯は、殆ど用をなさないことでしょう。

27ワットの(ダウンライト用の)蛍光灯は、白熱電球100ワットと同等の明るさがあるのが、現在の世の中です。
およそ4分の1の消費電力で、同じ明るさを得られるのが、、昔と現代の大きな違いで、エアコンにしろ冷蔵庫にしろ、毎年のように、全く同じ性能を持ちながら、消費電力が減少していっています。
ジェンセン・ヒーレーが生産されていた、70年代前半から、現在の2011年にまでの間には、クルマだけに限らず、電気製品も、住宅も、電車も、もう目に飛び込んでくる、全てのモノというもがモノが、技術の進歩を感じさせられるモノばかりです。

遠い昔の子供だった頃を思い返してみれば、60年代の一般家庭の電気は、20アンペアとか30アンペアで、両側の先端が?マークのように曲げられた形をした、10アンペアのヒューズを、2個とか3個とかを使って、2回路か3回路しかなかったワケで、それを分電盤と呼ぶには、あまりにも貧相な仕組みだったのでした。

チョットばかりオジンな人や、チョットばかりオバンな人ならば、電気製品を同時に使用すると、容量オーバーで、ヒューズが切れたり、ブレーカーがよく落ちたという、そんな苦く甘い経験があると思います。
クーラー(エアコンの時代ではないので)やテレビが全室にある時代ではなく、家庭内で使用する電気製品も、数少なかったという、遠いそんな昔で、単層200ボルトの電化製品なんって、聞いたこともなかった、そんな遠い昔のお話ではありますが、そんな時代に作られたクルマは、やっぱり、そんな時代をも反映して、今でも生きているようです。

つまり、僕のジェンセン・ヒーレーのヒューズボックスには、ヒューズが3本しか有りません。
つまり、3回路しかなくって、各10アンペアの合計30アンペアという仕組みのクルマであります。
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ヘッドライト、スモールライト、ウィンカー、テールライト、ストップライト、ラジオ、ワイパーモーター、ヒーターブロア、ホーン、室内灯、各メーター照明・・・・ジェンセン・ヒーレーという家庭には、こんな感じの電化製品しか備わっていないので、3回路30アンペアでも、充分なクルマではあります。

3回路ということは、家庭内の電気を例にして、簡単に説明すれば、コンセントが3ヶ所あるのと同じではあります。
この3ヶ所のコンセントの差し込みに、それぞれ、テーブルタップを差し込んで、タコ足配線しているのが、僕のジェンセン・ヒーレーであります。
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そして、そのタコ足配線された各々のコードは、電装パーツの取り付け位置によって、長さは違うし、電装パーツの使用電気容量によって、太さも違っています。
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バッテリーからの電流は、ヒューズボックスを介して、全てのコード(電線)に、流れて行きます。
ヒューズボックスには、オンとオフの切り替え機能はないので、常にコードには、電流が流れています。

太いコードには、より多くの電流が流れ易く、細いコードには、それよりは少ない電流が流れることになるのですが、旧車にとっては、これが曲者で、スモールライトもワイパーも使用していないのに、いつも少しづつ放電しているのと同じ状態です。

電気製品の進歩とは、無縁の世界に居るのが旧車なので、ジェンセン・ヒーレーは、昼間のアイドリング状態では、ボルトメーターが12ボルトを切っています。
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今回の車検で、ダイナモをオーバーホールしたのですが、ダイナモは直流整流子発電機で、発電能力を調整する機構は付いていません。
(エンジンルームからは地面が見えるので、あえて靴を置いてみました)
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夜、ダイナモを使用している自転車に乗ると、速度が上がれば、ライトは明るくなって、速度が落ちれば、ライトは暗くなり、停止すれば、ライトは完全に消えてしまいます。
大雑把に説明すると、僕のジェンセン・ヒーレーは、この自転車のダイナモと似たようなものです。

旧い人であれば、バッテリーやダイナモが寿命を迎えてくると、ガスペダルを踏み込めば、ウィンカーの点滅が早くなったり、ガスペダルを踏み込めば、ヘッドライトが明るくなるという、そんな経験をしたことがあると思いますが、僕のジェンセン・ヒーレーも、この種のクルマであります。
(エンジンの回転数が増せば、ベルトで繋がっているダイナモは電力を発生してバッテリーに蓄えるという仕組みなので)
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現代のクルマの発電機は、ダイナモではなく、オルタネーターを使用しています。
オルタネーターは、交流発電機ですが、整流器も備えているので、直流電力に変換して、バッテリーに蓄えていきます。
そして、なによりも、オルタネーターには、アイドリング時に、電装品を使用して、電力が不足気味の時には電力を増やし、エンジンが高回転で回っている時には、定格電圧を超えて充電しないICレギュレーターが備わっています。

旧車でダイナモを使用しているクルマでも、ICレギュレーターが備わっているオルタネーターに交換可能な場合もあります。
近い将来に、僕のジェンセン・ヒーレーもオルタネーターに交換するつもりでいますが、今のダイナモを使用している限りは、バッテリーは消耗品と考えて、車検毎に交換しようと思っています。
(今回の車検でも交換しました)

いずれにせよ、ボルトメーターの針が12ボルトを切っていると充電不足と不安を感じ、ボルトメーターの針が12ボルトよりも上にあっても、過充電していないかと不安に感じてしまう、そんなダイナモを使用しているクルマを運転することは、それなりに特別な楽しみ方があるとは、思っています。

LUCASのヘッドライトに大きな傷が付いてしまったので、英国車には不本意ながら、HELLAのヘッドライトに交換しました。
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それと同時に、ヘッドライトの配線を、バッテリーから直結にして、新たに作りました。
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丸目2灯のヘッドライトなので、下目と上目と別々に、配線の中間にヒューズをかませました。
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イエローハットで、ETCを付けて貰いました。
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ヤフオクで落札し、CDも聴けるようにしました。
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これで、完璧と思って、いざドライブに出かけました。
その日は、夜のドライブで、交換したヘッドライトは、とても明るかったです。
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明るくって運転し易いな~あと、快調に走っていたら、ヘッドライトのヒューズが突然と飛びました。
それならば、上目で走ろうと、ヘッドライトを上向きにして走りました。
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さすが上向きで、明るくって、とても走り易かったです。
と、思ったのも、つかの間で、今度は、上向きのヒューズが飛びました。
街灯だけが頼りになってしまい、とても怖い夜のドライブになりました。
(その後ヒューズを15アンペアから20アンペアに交換しました)
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暗闇を疾走した翌日に、また予期せぬ出来事が起きました。
ブレーキのマスターシリンダーが壊れて、ブレーキペダルを踏んだら、床についてしまいました。
幸いなことに、大した速度も出ていなかったので、ステアリングを左右に切って、抵抗を増やして、サイドブレーキを使って、最後に1速に入れたら、なんとか止まりました。
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国内にはパーツがなさそうなので、アメリカより個人輸入しました。
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ついでなので、他のパーツも購入して、総額は、こんな感じでした。
(他に消費税が1500円)
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マスターシリンダーを交換したついでに、ブレーキホースもステンレス製のものに交換しました。
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交換後のブレーキの効きは、今までとは比較に成らないほどで、ブレーキ関係のメンテは、やっぱり、とても大切なのだと、実感しました。

そう思い始めた僕は、タイヤを交換しました。
今まで使用したのは、GOODYEARのDUCAOというタイヤで、数百キロほどしか走っていないので、溝は沢山残っていました。
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溝は沢山残っていたのですが、気になって確認したら、1996年産のものでした。
今回、交換したのは、ミシュランのXM1というタイヤで、サイズはジェンセン・ヒーレーの純正サイズ、185/70の13インチです(以前も同サイズ)

4本タイヤを交換して、3万円代ですから、もっと早く交換してあげれば良かったと、後悔しています。
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8月3日に車検を受けた、我がジェンセン・ヒーレーは、こんなふ~に、僕と接して暮らしています。
前回の車検期間の2年間では、僅か300キロしか走行していないので、今回の車検期間2年間では、もう少し乗ろうと思っています。
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今日現在の走行距離は、59132キロですから、700キロほど走ったことになります。
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ある程度は壊れるクルマが大好きな僕は、暫くは、このジェンセン・ヒーレーを楽しもうと思っています。
今日も走行中に、サイドミラーが落ちました。
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正確に書けば、サイドミラーが落ちる寸前に、手で受けました。
この落ちる寸前に、手に取るという、この微妙な感覚は、オーナーしか楽しめない感覚だと思っています。
この純正のサイドミラーは、落として壊してしまえば、もうパーツはありません。
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とても、クダラナイことで、どうでも良いようなことなんですが、この落ちる寸前に、手で受け取めるという仕草は、僕のクルマとの戯れ方を象徴しているようで、なんか、とても変わっている人みたいです。

by seiuchi-porsche9 | 2009-10-31 07:22 | ジェンセンヒーレー
2009年 10月 20日

ボクスターオーナーの方へ (全国僕星祭 2009 in車山)

今回は、全国僕星祭のご案内と、ケイマンの車名についての、根拠のない勝手な考察です。

今年も11月8日(日)に、全国僕星祭が開催されます。
(画像は昨年の全僕祭)
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下記画像のTシャツは昨年の参加記念品で、某有名漫画家先生のデザインであります。

手前のクルマは、ポルシェAGが、1993年のデトロイトオートショーで発表した、コンセプトカーです。
このコンセプトカーが、1997年モデルから登場する、986ボクスターの原形であります。
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ボクスターが存在しなければ、ケイマンのデビューも考えられないワケなので、このデトロイトオートショーで発表されたコンセプトカーが、(遠回しの言い方が許されるならば)ケイマンの原形になるのだと、勝手に思っています。
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ご存じの通り、「Boxster」という車名は、「BOXER」という水平対向エンジンを意味する単語と、「SPEEDSTER」という屋根のないオープンカーという意味の単語から、ポルシェAGが造り出した造語ですから、ボクスター・クーペという車名のクルマでは、摩訶不思議なことになってしまいます。

以上のことから推測すれば、986ボクスターをデビューさせた、当時のポルシェAGは、デトロイトオートショーで発表したコンセプトカーのクローズモデルを、生産しようとは思ってもいなかったのでしょう。

最初から、2座席オープン2シーターモデルと、その発生型である2座席クーペモデルを生産する計画があったとしたら、Boxsterという名前には、しなかったと僕は思っています。

986ボクスターの後継車になる、987ボクスターを設計し始めた時には、987ボクスターのクーペ版をも発売する計画であったのは明らかなことなのですが、僕は、当時のポルシェAGは、、ボクスターのクーペ版の車名を考えた時に、先ず最初に、「BOXER」という水平対向エンジンを意味する単語と、「COUPE」という単語を組み合わせて、語呂の良い造語を作り出そうと、考えたのではないかと思っています。

でも、「BOXER」と「COUPE」という、2つの単語の組み合わせでは、良いアイデアが浮かばなかったのでなかったのかと、想像しています。
(画像はTekkamen号)
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「COUPE」がダメならば、「COUPE」の種類である、ノッチバッククーペ(notchback coupe)やファストバッククーペ(fastback coupe)やハッチバッククーペ(hatchback coupe)というような単語を並べて、「BOXER」という単語と、掛け合わせて、語呂の良い造語を生み出そうと、何度もトライしたのではないかと、僕は想像しています。

こうして車名に関して、試行錯誤を繰り返しているうちに、カムテール(Kamtail)という、レーシーなスタイルのクーペが、思い浮かんで来たのではないかと、僕は勝手に想像しています。

カムテールは、クルマの後ろの部分を、すっぱり切り落としたスタイルで、最近ではアルファロメオ8Cなんかが、その種のクルマではあります。
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僕が大好きなAMCペーサーも、デザインがカムテールに属するクルマであります。
70年代に入ると、レーシーなクルマばかりではなく、AMCペーサーのような大衆車にも、このデザイン(カムテール)が使われ始めるようになりました。
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ネットで調べてみると、「カム」とは、流体の中を進むもっとも効率の良い形とされる「魚類」のような流線型の物体の場合、その後端を切り落としても抵抗はほとんど増加しない、とされる、カム博士の理論に由来するもので、コーダトロンカは尻(コーダ)切れ(トロンカ)の意味である。
全長の短縮による軽量化と運動性の向上が期待できることから、まずレーシングカーに採用され、量産車の空力競争が始まった1970年代には、空力性能の良さを形でアピールする意味もあり、カムテールを取り入れる市販車が現れた。
・・・とあります。

僕は、想像することは勝手だと思っているので、この流体の中を進むもっとも効率の良い形とされる「魚類」のような流線型の物体の場合という、この概念の発展として、鰐(Cayman)という車名に決定したのではないかと、想像しています。

つまり、デザイン的には、カムテールに該当しないクルマなので、、「BOXER」と「Kamtail」という、2つの単語を掛け合わせて、語呂の良い言葉が浮かんだとしても、その名前は使えないので、ポルシェAGは、「Kamtail」という単語から、鰐(Cayman)という単語に発展させたのではないかというのが、僕の持論なのであります。
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ボクスターのイヴェントの案内なのに、ケイマンのお話が長くなってしまいましたが、仮にクーペ版が、先にデビューしていたとすれば、ボクスターという車名は、永遠に葬られていたハズなので、車名の由来を想像するのも、ホントに楽しいものではあります。
(画像は、懐かしい僕のテックアート仕様の987ボクスターと、友人のテックアート仕様のケイマンS)
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話を戻しますが、記念Tシャツの真ん中にあるクルマは、08年限定登場の987ボクスターRS60スパイダーであり、その奥にあるクルマが、04年限定登場の986ボクスターS 550スパイダーエディションであります。

お察しの通り、去年の記念Tシャツは、986ボクスターオーナーでも、987ボクスターオーナーでも、全てのボクスターオーナーに対応するという、なんとも素晴らしい作品であります。
(手前は1/18モデルカーですが、某有名漫画家先生は、きっと、これと同じモデルカーを参考にしたのではないかと・・・これは僕の勝手の想像ですが・・・)
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今年の全僕祭でも、例年通りに、某有名漫画家先生デザインの記念Tシャツが、参加者全員に配布してくださるようで、とても楽しみであります。

ご参加申し込み締切日は、前泊を必要とする場合が10月22日(木)23時締切で、当日のみ参加する場合は10月26日(月)23時締切とのことです。
詳しくは下記に掲載されておりますので、是非ご覧くださいませ。
(下記バーナーをクリックしてくださいませ)


去年の全国僕星祭は、『僕はこんな感じ』 に参加させて頂きました。

去年は、ボクスターRS60で参加させて頂きました。
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気がつけば、やっぱり2座席オープンカー大好きの自分が居て、始まりは、2004年型の986ボクスターSでした。
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思いっきりローダウンして、内装も超お気に入りで・・・。
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なにひとつとして不満もなくって、大満足であったのだけれど・・・。
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流れに負けて、2005年型の987ボクスターSを増車してしまいました。
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これも、とても気に入った内装でありました。
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なにひとつとして不満もなくって、大満足であったのだけれど・・・。
何故か、個性に飢え始めてしまい、弄りたくなってしまい・・・。
フロントフェンダーを切り刻んでしまったのでした。
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フロント周りをバラバラにして・・・。
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リアフェンダーも切り刻んでしまい、リア周りもバラバラにして・・・。
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その結果、とても恰好良くなったとは思いました。
(画像はインポートカーショー展示の時の我が愛車)
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恰好良くは成ったけれど、やっぱり想像通りに、乗り味が大きく違ってしまい、手放してしまったのでした。
トレッドを無理やり広げることは、理論通りに、全体的に無理があるという、そんな結論を学んだのでした。

あらゆる意味で、この5年間で、ボクスターというクルマは、僕に沢山の事を、学ばさせてくれたクルマではあります。

乗り換えてきた、どのボクスターも、今では、その全てが、素敵な思い出として、僕の脳裏に、ハッキリと焼き付いています。
だから、もう杉本彩号からは、絶対に乗り換えないと、(一応)誓ったスパイダーマンなのであります。
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「全国僕星祭 2009 in車山」には、今年も参加させて頂く予定でいます。
当日、お会いする皆様、お気軽にお声掛けしてくださると、幸いです。
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最後に、ご案内です。
「彼女のカレラ第14巻」発売中です。
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by seiuchi-porsche9 | 2009-10-20 00:48 | オフ会 ツーリング
2009年 10月 16日

あぁいいな!

日頃から、お世話になっている、クルマ屋さんに遊びに行きました。
今回、お邪魔したクルマ屋さんは、都心からは、チョットばかり離れてはいる、埼玉県桶川市にあります。
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4年間の正規BMW営業在籍時代に、なんと4年で300台以上を販売し、今までの生涯販売台数では、間もなく2000台をも超えるという、そんな凄腕の 「アントニオ伊藤さん」がオーナーである 『PAZOO Auto Mobilesさん』 に、行って参りました。

久しぶりに、それも突然に、お邪魔してしまったにも関わらず、社長の 「アントニオ伊藤さん」 と、スタッフである 「べりーHIROSHIさん」 のお2人が、暖かく迎えてくださり、とても嬉しかったです。

この日の僕は、ジェンセン・ヒーレーに乗って行ったのですが、この道20年のアントニオ伊藤さんが、ジェンセン・ヒーレーというクルマを知りませんでした。
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僕は、こんなふ~に、メーカーや車名が、広く行き渡って居ないという、そんなクルマが大好きなので、クルマの知識に関しては、こと全てと言っていいほど、アントニオ伊藤さんには負けてしまう、そんな僕が、彼から1本取れたようで、シメシメしてやったりと思ったのでありました。

ジェンセン・ヒーレーが生産されていた頃(72年~76年)は、アントニオ伊藤さんが、まだ小学校に入るか入らないかという、そんな時代になるので、アントニオ伊藤さんが知らなかったのも、まあ当然のことになるのですが、当時のジェンセン・ヒーレーは、かの 「コーンズ・アンド・カンパニー・リミテッド」 がインポーターでありました。
(画像は当時のCAR GRAPHIC掲載広告より)
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当時のコーンズは、ロールスロイスとベントレーとジェンセンという、英国生まれの自動車メーカー3社の日本総代理店で、フェラーリやランボルギーニやマセラティといったスーパーカーと呼ばれるジャンルのクルマの日本総代理店は、横浜にショールームが有った、あのスーパーカーブームで有名は「シーサイドモーター」でありました。

まだ都内では、コーンズのショールームが、首都高5号線沿いの側道(護国寺付近)にあった頃で、コーンズのショールームは、この場所にしか存在して居なかったという、そんな遠い時代のお話ではあります。
因みに、その豊島区雑司ヶ谷にあった、コーンズのショールームは、サービス工場も併設していました。
そして、その同じ場所は、現在はヤナセがサービス工場として使用しているので、今でも直ぐに判る場所ではあります。

いずれにせよ、日本国内における輸入車のシェアーが、1パーセントにも満たなかったという、そんな遠い昔の時代のお話ではありますが、ポルシェ(三和自動車)のショールームだけは、目黒と六本木と銀座という、交通の便の良い、都心のド真ん中に、3ヶ所も存在していたことが、とても印象に残っています。

そんなワケで、お久しぶりにお会いしたアントニオ伊藤さんだったのですが、ここには、心底から驚かされてしまったという、そんな素晴らしいクルマが置いてありました。

そのクルマとは、1968年から1976年まで生産された、メルセデスベンツ280CEであります。
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この時代のメルセデスベンツ280CEは、W114と呼ばれているのですが、僕の大好きな時代のクルマであります。
(因みに6気筒エンジン搭載車をW114と呼び、その他のエンジン搭載車をW113といいます)
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このクルマは、ヤナセで販売された正規物(当時のインポーターはヤナセ系列のウェスタン自動車)で、初年度登録は、75年12月という、1975年式になります。
ダークグリーンのボディの輝きは見事で、メッキの部類にも、少しも歪んで輝いたりするような箇所が有りません。
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ラジオはオリジナルで・・・。
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バックシートもご覧の通り、使った形跡さえなく感じてしまいます。
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ナビシート側から覗いてみれば、ダークグリーンのボディにマッチした、同色のシートカラーで、とてもお洒落であります。
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ドライバーズシート側から覗いてみれば、チョットばかり大きめのステアリングで、僕の大好きな時代のクルマが、ここには有ったのでした。
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エンジンルームを覗いても、リアトランク内を覗いても、下回りを覗いても、まるで新車のように輝いていて、オリジナルを保って、とても綺麗にフルレストアした、クルマだ~なあと思っていたのですが、それは、僕の大きな間違いでありました。
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このクルマは、ワンオーナーで、しかも走行距離が「2778キロ」という、そんな貴重なクルマでありました。
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70年代のクルマで、ワンオーナーで有るクルマは、探せば沢山有るかも知れません。
僕のジェンセン・ヒーレーも、最初の登録ナンバーを継続する為に、前オーナー様のご厚意に甘えて、名義変更していないので、車検証のうえでは、ワンオーナーのクルマにはなります。

ジェンセン・ヒーレーは、1975年10月が、初年度登録なので、この280CEとは、僅か2ヶ月違いの登録ということになります。
まるまる34年が経つワケですが、僕のジェンセン・ヒーレーの走行距離は59000キロになりました。

34年で59000キロの走行距離は、少ないほうだと思ってはいますが、僕のジェンセン・ヒーレーは、車検を受けずに、放置していた時期が、数年間ありました。
(自動車税だけ支払って)

対する、このメルセデス280CEは、名実共にワンオーナーであり、車検を毎回欠かさずに、ディーラーにて継続していて、その記録簿も完備されています。

ウィンカーレバーには、新車で納車された、あの35年前の記念品が、ぶらさがっていたままでした。
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このクルマのオーナー様は、多忙で使用する時間がなかったとのことですが、まるで自動車博物館に温存されていたような、こんな素晴らしい個体のメルセデス280CEが、一般オーナーの元で、存在していたことに、正直な気持ちとして、僕は驚きを隠せませんでした。

驚きを隠せなくなってしまった僕は、タイヤを覗いてみたのでした。
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驚きを隠せなくなってしまった僕は、タイヤを覗いて、更にビックリ仰天したのでした。

それは、この280CEに履かれていたタイヤは、ピレリ・チュンチラートCN36で、なんと製造年が1975年でありました。

なんと新車で納車された時の、34年も前のタイヤのままで、それが、見事なまでに新品のタイヤの山を残していたのでした。
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『PAZOO Auto Mobiles』では、この極上のメルセデス280CEを、「ASK」つまり「価格応談」として、販売しています。

当時の新車価格を調べてみたら、703万円になっていました。
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「ASK」つまり「価格応談」として、販売しているワケですが、僕が勝手に、このメルセデス280CEの販売価格を決めてしまうというのは、とても理不尽なことだとは思ってはいます。

この極上の状態を見れば、1000万円超えになっても、当然のようにも思えています。
でも、可能ならばリズナーブルな値段で、販売して欲しいな~あと、勝手に思っています。

そうなると、750万円という金額が、僕の頭の中に浮かんでくるのですが・・・。
いずれにせよ、今年になって7台のクルマを手に入れてしまった僕には、残念ながら、購入することが出来ません。

ご興味がある方は、『PAZOO Auto Mobilesアントニオ伊藤さん』 に、ご連絡してくださいませ。

アントニオ伊藤さんには、セイウチと言って頂けると判ると思いますが・・・。
といって、僕はブローカーではなく、こんな素晴らしい個体を、単に、皆様にご紹介したかっただけです。
念のため(笑)

メルセデス・ベンツ 280CE(W114)
初代コンパクトクラスのウエストラインから上をピラーレスのハードトップにアレンジしたクーペで、68年11月にデビュー。
ホイールベース、全長ともサルーンとまったく等しく、全高だけ45mm低くされている。
スウィングアクスルに代えて採用したセミトレーリングアーム/コイルの後輪懸架をはじめ、シャシーはセダンと共通。
直6DOHC2746cc・インジェクション仕様の185PS。
W114のトップモデル。
280CE(5速MT)は、CG誌74年3月号のテストで最高速度201.38km/h、0-100km/h加速9.9秒、0-400m加速15.98秒の高性能を記録している。
77年、ジュネーブショーでデビューした新Cシリーズ(W123)に後を譲った。

by seiuchi-porsche9 | 2009-10-16 12:18 | オールドカー 旧車