戦闘的に走れ!

seiuchi9.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

タグ:旧車 ( 45 ) タグの人気記事


2011年 06月 15日

そうだ!ウィーアーライブ

僕の親友に、M君がいます。
最近のM君は、ちょっとばかり旧いクルマのレストアに、はまっているようです。
現在進行中で、レストア中のクルマが、僕の知る限りでも、4台ほどあります。

左のクルマはランチア・ストラス、右のクルマはM君のレストア中のクルマです。
CAR検・・・的に捉えれば・・。
『このクルマは何ですか?』
・・・になりそうですね。
f0056835_1702451.jpg

そんなM君は、2ケ月ほど前に・・・。
1964年型のロールス・ロイス シルバークラウドⅢなんっていう・・・。
そんな、どんな時に、どんな場合に、乗っていいのか判らないクルマが・・・。
f0056835_1761493.jpg

レストアされてきていました。
f0056835_1765869.jpg

そんな、どんな時に乗っていいのか判らないクルマならば・・・。
僕と、ゼンマイ仕掛けのお人形さんの・・・。
そんな僕等2人の為の・・・。
移動手段としての、ショーファードリブン(chauffeur driven)的に、乗らさせて頂くのが・・・。
f0056835_1774441.jpg

運転手である、M君の感情は別なとことに、置いておくとして・・・。
1964年型のロールス・ロイス シルバークラウドⅢという、このクルマにとっては・・・。
喜ばしいことなんじゃないかと、勝手に思っています。
f0056835_1781514.jpg

そして、とりあえず、別なところに置いてしまい、僕等のショーファー(お抱え運転手の意)になってしまった、M君の感情も・・・。
クルマ大好きなM君ですから・・・。
M君のクルマが、喜べば、M君も、結果的に喜ぶのではないかと・・・。
ワガママで、身勝手な僕は、そう思い込んで、利用させて頂いているのです。
f0056835_1783931.jpg

1964年といえば、東京オリンピックが開催された年で・・・。
コーンズといえども、まだ、このロールス・ロイスを輸入販売していない時代で・・・。
全長:538cm、全幅:190cm、全高:163cm、車両重量:2130kgで・・・。
6230cc(V8)という、大排気量のクルマです。

1964年当時の、日本のクルマ、つまり国産車で、最大級クラスであった・・・。
セドリック・1900デラックスは・・・。
全長:459cm、全幅:169cm、全高:150.5cm、車両重量:1240kgで・・・。
この2台を、比較してみれば・・・。
1964年当時の、このクルマの位置所が、判り易いのカモしれません。
f0056835_17104486.jpg

翌年である、1965年に登場した、日産プレジデントDでさえ・・・。
全長:504.5cm、全幅:179.5cm、全高:146cm、車両重量:1600kgで・・・。
3988ccのV8エンジンから、180馬力、32m㎏の性能でした。
f0056835_17111410.jpg

更に、その2年後の1967年に、トヨタ・センチュリーDタイプは登場するのですが・・・。
全長:498cm、全幅:189cm、全高:145cm、車両重量:1800kgで・・・。
2981ccのV8エンジンから、150馬力、24m㎏の性能でした。
f0056835_17113629.jpg

この3台のクルマを、上から眺めた投影面積で表すと・・・。
1964年型のロールス・ロイス シルバークラウドⅢは・・・。
全長:538cm、全幅:190cmなので・・・。
10.222㎡という値になります。

1965年型の日産プレジデントDは、約9.056㎡の数値になり・・・。
1967年型のトヨタ・センチュリーDタイプは、約9.412㎡という数値になります。

投影面積の数値を、車重を分母にして、割ってみれば・・・・。
1964年型のロールス・ロイス シルバークラウドⅢは・・・。
約208.4㎏という、答えが導かれます。

そして、同様な計算をしてみると・・・。
1965年型の日産プレジデントDは、約176.7㎏の数値になり・・・。
1967年型のトヨタ・センチュリーDタイプは、約191.2㎏という数値になります。

車重を投影面積で、割り算してみたって・・・。
車重を馬力で、割り算してみた、パワーウェイトレシオみたいな・・・。
ある程度の根拠が有る数値が出るワケでもないのですが・・・。

この時代の高級車で、しかも、ショーファードリブン的なクルマでは・・・。
この車重を投影面積で、割り算して、算出された数値が・・・。
大きければ、大きいほど、装備の充実度に・・・。
ある程度は、比例するのではないかと、僕的には思っています。

この時代の殆どの高級車は、メーターパネルやドアーパネルの1部分に、ウッドが奢られていたのですが・・・。
ウッドパーツといっても、松竹梅どころか、レベル1からレベル100ぐらいに分けられるほど、製作方法は多種多様です。
ベニヤ板の上に、天然目の単板(タンパン)を貼って、それに、着色ニスで仕上げたものが、1番チープな製作方法で、僕のジェンセン・ヒーレーのメーターパネル類なんかは、正しく、この仕上げです。

このウッドパネルも、表面が割れてきてしまったので、数年前に修理しました。
単板が薄いので、単板にサンダー掛けしてしまうと、単板自体がなくなってしまい、下地のベニヤ板の表面が現れてしまいます。
僕の場合は、下地のベニヤ板の状態にしてしまい、新らしく単板を貼り直して、修復しています。
この種の専門店に、作業を依頼すると、とても高額になるので・・・。
僕の場合は、クルマとは無縁のルートに、作業以来しています。
f0056835_17233681.jpg

同じベニヤ板下地でも、単板の厚みが・・・。
コンマ何ミリのものもあったり・・。
5ミリぐらいまで、有るものもあったりと・・・。
ベニヤ下地のウッドパーツだけでも、グレードが沢山あります。

ベニヤ板に貼る単板は、コンマ何ミリのように、厚みが薄いと、ベニヤ板に貼っても・・・。
木目の部分でない、木目のない部分の白い部分(しらた・と言います)は・・・。
下地のベニヤ板が、貼った単板を通して、うすらっと見えてしまったりします。
f0056835_1734392.jpg

これを、誤魔化す為に、色の濃いニスを塗り、その上にクリアーのニスを厚めに塗って、仕上げたりします。

つまり、ウッドパーツの色が濃いクルマは、ベニヤ板下地の薄い単板貼りのクルマと、決め込んでも、それほど大きな間違いではないと、僕的には思っていますが、高級材と呼ばれる木材のほうが、元々の素材の状態で、色目が濃いという特色もあるので、一概には言えません(ウォ―ルナットやマホガニーやローズやチークなど)。

画像は、ダイムラーW6ですが、木目が丸くなっているのが判ります。
f0056835_17361743.jpg

木目が丸くなっているのを、玉杢(たまもく)と言うのですが、一般的には、玉杢は貴重で、価値が有る材質と、受け取られています。
玉杢が、小さく揃っているほど価値が有ったりと、奥が深い世界ではあります。

木製の椅子や机などの家具製品のように、クルマのウッドパーツも、千差万別で・・・。
高級という言葉と、手間が掛かっているという言葉は、比例しています。
厚さが、数センチは有る、天然目の木を、取り付ける箇所の形状に合わせて、削りだして作り上げるものまであります。
(60年代前半までのメルセデスや、80年前後のロールスロイスなどは、この工法)
これは、このパーツだけで、ある種の木工品というほどの完成度があります。
f0056835_17392223.jpg

木材は、単板のように、薄く加工して使用すれば、割れたり反ったりするリスクは、殆どなくなります。
それに対して、木材を無垢のまま、厚みを生かして、加工すると、割れたり反ったりするリスクは、何十倍、何百倍にも、膨れ上がります。
まして、クルマの車内という、屋外にも似た、温度変化の激しい場所に使用すれば、そのリスクは、更に高まります。

そこで、熟練した職人さんが、温度変化や湿度変化の影響を受けても、それに負けない材質を吟味して、加工しています。
f0056835_17401561.jpg

木材は、その木材の持つ、木目に合わせて、変形していくという特色があるので、木目の良いもの、木目が流れていないもの、というように、長年の経験を生かし、使用する材料を選択しています。

この加工して使用する材料の選択が、そのクルマの内装の良しあしに、永遠に影響すると言っても過言でないと、僕的には思っています。
f0056835_17411075.jpg

丸太を製材して、材木という材料に成るのですが、製材された材木の断面は、正方形だったり、長方形だったりするのですが、年輪の中心に近い方の断面を、木裏(きうら)と言い、年輪の中心から遠い方の断面を、木表(きおもて)と言います。

加工された木材は、木裏側に反っていく(つまり曲がっていく)という特性もあります。
(年輪の形状に合わせて、反っていくということなのですが、製材される前の立木の状態に戻りたいという、木の願いのようなものです)
f0056835_17424658.jpg

木材は、年輪の中心になる、芯を持って加工すれば、強度が増します。
丸太に強度があるのは、当然の結果なワケです。

木造建築で、檜(ひのき)や杉などの国産材を使用するのが、好まれるのは、柱の1本1本に、芯が有るから、強度がある・・・という理由からなのですが、芯が有れば、木材は曲がり易いという特性もあるので、よく乾燥させてから、製材しないと、後々になって曲がってしまうことになります。
それゆえ、国産材の柱を、家屋に使用するとコストが掛かるワケです。

それに反して、外材と呼ばれる、栂(つが)などの木は、立木の状態で、直径が1メートルは、ゆうに超すような、そんな太い木もあるように、全体的に太い木が多いです。
太い丸太から、柱を製材すれば、何本もの柱が仕上がるのですが、その製材された柱には、残念ながら、木の芯の部分が有りません。
それゆえ、外材は国産材に比較すると、強度がないと言われています。

また、芯がある柱は(芯持ちと言いますが)、火災にも強く、芯の部分は、なかなか燃え果てません。
(鉄骨は、ある一定の温度まで達すると、溶けてしまう性質のものなので、神社仏閣に使用されているような、芯を持った太い柱のほうが、ときには倒壊しにくかったりします)
(現在、一般的に柱として使用されている集成柱は、接着剤の技術の進歩で、国産材の柱より、強度も有ったりしますが、火には芯持ち柱のほうが強かったりしています)

このように、クルマの内装パーツに、天然木が、豊富に使用されていた時代のクルマの、そのウッドパーツに興味を抱き出すと、木材の基礎的な知識に対して、とても興味を持たざるを得なくなるという、そんな、面倒な自分が、時より、イヤになったりします。
クルマで、木材のお勉強をするとは、思ってもいなかったワケですから・・・。
f0056835_17444826.jpg

話は戻ってクルマの内装です。
その削りだして作り出された無垢(むく・と読み・全体が本物の木で出来ている意)のパーツに・・・。
別の木を、細く裂いて、木に木を埋めていく仕上げ方法もあったりします(埋木をすると言います)。
f0056835_17452140.jpg

メロンやスイカやリンゴを、2つに割ると、その2つの断面は、同じに成るということを、想像してみてください。

1本の木材を長手方向に、縦割りすると、その断面は、ほぼ同じ木目をしています。
(長手方向でなく、単に長い木材を短く切断した時の断面も同じですが)
このようにすると、同じ木目の木材が、2つ誕生します。

ロールスロイスなどの超高級車と呼ばれる部類のクルマでは、この同じ木目になった、2つの材料を、左右のドアーパネルに使用したり、古くはAピラーに埋め込み、化粧としてのウッドパーツに、使われています。

このように、使用すると、車内から眺めた時に、左右に見える、木製のパーツの木目が、左右対称になるという、そんな細かな、匠の技が使われています。
f0056835_17463768.jpg

先にも書かさせて頂いたように、製材された木材には、必ず、木の表と裏があるので、この左右対称に使用する、2つの木材のどちらかは、木の裏の部分が、仕上げとなる表面になってしまいます。

木の裏、つまり木裏を表に使用すれば、木材の性質は、木裏方向に反ってきます。
車内の仕上げた方向に、反ってくるワケで、そうなると、ドアーに、隠しビスなどで留めても、長い年月では、そのビスは、木材の反り返るチカラに負けてしまい、剥がれ落ちてくることになります。

そうなってしまう、そんなリスクを少なくする方法は、たったひとつしかなく、それは、そこに使用する素材の良さに賭けるということです。
つまり、素材としての材料の段階での、目利きが全てを、決定するということになります。
f0056835_17494185.jpg

エンジンは、いくつものパーツで構成されていて、そのパーツ、ひとつ・ひとつの性能は、殆ど同じ、あるいは全く同じと言っていいでしょう。

手作業でエンジンを組立てしていた時代では(過去のポルシェも含めて多くのスポーツカーメーカーなど)、その組み立てる職人さんの、熟練度や持って生まれたセンスによって、大きく左右されて、組み立てられたエンジンに個体差が生じます(964RSのエンジンなんかは、その個体差の典型的な代表ですが)。

きっと、クルマのボディーを、手作業で組み立てていた、遠い時代には、その組み立てる職人の腕の差で、剛性が違っていたと、僕は思っています。

僕が、旧いクルマの車内のウッドパーツに、とても興味を持ってしまうのは、鉄やアルミやステンレスなどで出来ている各パーツとは違って、木の性質を理解し、想像力を無限に働かせて、最適な木材を吟味しているというところなのです。

製材された木材そのものが、その全体が素性のよい木材に見えたとしても、更なる素性の良い部分だけを、使用しているワケで、歩留まりという面で捉えてみれば、その素性の良い元の材料の、5パーセント前後も使用していなくって、あとの残りの95パーセント前後は、もう少しグレードの低いクルマの内装パーツに使用されたり、単板として製造され、ベニヤ板下地に貼られて、更なるグレードの低いクルマの内装パーツとして、使用されたのではないかと、そんな想像の世界が有るからのようです。

このロールスロイスは、ドアー4枚とボンネットがアルミ製です。
つまり、プレジデントやセンチューリーよりは、軽いハズです。
エンジンは、大排気量のロールスロイスが、1番重いハズです。

ロールスロイスに使用されている、コロニーレザーは、20頭近いと思うので、革の重さは1番あるでしょう。
ウッドパーツは、使用されている、その厚みも容量も、ロールスロイスが1番ですが、乾燥した木材は、以外にも軽いものです。

こうやって捉えていくと、こうして、はじき出した数値は、なんの意味もないように感じて来ました。
ただ、1967年型のトヨタ・センチュリーDタイプは、約191.2㎏という数値は、ある意味では、立派な気がしてきました。

僕は、クルマに関しては、昔から、雑食なので、我が神様の実家にあった、廃車寸前の72年型のセンチェリーDタイプを修理して、半年ほど乗っていたことがありました。
ステアリングの左右の動きに連動して動くヘッドライトなどは、シトロエン風で、コラムシフトのオートマや、ブレーキペダルの左側の床に置かれた、ヘッドライトの上目と下目の切り替え足踏スイッチなんかは、なんともアメ車風で、エアーサスの極端に柔らかい足回りと、西陣織のシートには、正に日本のクルマを感じてと、まだ幼児だった長女を、後部座席に乗せて、移動するというだけの使用方法ならば、最高の部類のクルマではありました。

雑食だった僕は、(まだ幼児だった2人の娘を乗せる為のクルマを優先していたこともあって)75年型と80年型という、2台のプレジデントDに乗っていたことがありました。
センチェリーほどではないにしても、山道を走れば、ロールにロールして、後部座席に居座る娘達が、右に左にと倒されて、それが、とても楽しいようで、一種の遊園地の乗り物という、そんな使い方をしていましたが、走りそのものは、70年代前半までの4枚ドアーのアメ車、そんな印象が残っています。

僕は、ロールスロイスやベントレーといった、高級車そのものは、知識も興味も、あまりありませんが、車内に使用されている天然素材に関しては、とても興味があって、またしても、余談が長くなってしまいました。

本題なのですが・・・。
最近、親友M君に、ちょっとばかり忘れてしまいたい事が起きてしまい、少々、落ち込んでいました。

そんな近況のM君だったので・・・。
車検を取ったばかりのアルファロメオ・ジュニアZで・・・。
(ジェンセン・ヒーレーはインテークマニホールドから漏水で入院中です)
f0056835_17544568.jpg

M君の家に迎いに行き・・・。
f0056835_17561976.jpg

荷物を積み込んで、2泊3日の旅をしてきました。
f0056835_1757746.jpg

M君がステアリングを握って・・・。
f0056835_17573231.jpg

岩手県のパーキングエリアに寄って・・・。
f0056835_1758032.jpg

とても美味しいけれど、なんとも、割高に感じてはしまう、前沢牛ねぎま串を楽しんで・・・。
f0056835_17581716.jpg

車検ついでに、徹底的に整備して貰った、ジュニアZは、5速で7000回転も回ってしまいそうなくらいに、絶好調で・・・。
あまりの絶好調さに、軽く注意を受けて、更に、走り続けたのでした。
f0056835_17584282.jpg

寄り道ばかりしていた僕達だったので・・・。
800キロも走って、辿り着いた場所には・・・。
こんな、お宝が置いてありました。
(なんと、脚立替わりに使用されたとのことで、惜しくもヘコンでしまっているボンネット)
(それ以外は、欠品パーツもなく、サビもさほどない、欲しくなってしまう、見事なまでの素材ではありました)
f0056835_17591446.jpg

M君と僕が、辿り着いたのは、秋田在住の、いつもお世話になっているS先生の隠れ家でした。

S先生のお友達の所に、お邪魔して・・・。
やっぱり、ここでも、クルマの見学です。
CAR検、2門目は。
『このインパネのクルマは何?』
f0056835_17594096.jpg

僕は・・・。
我が神さまと、結婚してから、数十年が経っているのですが・・・。
当時の、我が神さまの可愛らしさを、今では、すっかり、記憶喪失になってしまっていて・・・。
我が神さまの「嫁入り道具」だった、そんなクルマのインパネさえ、記憶喪失になっていて・・・。

フィアットX1/9のインパネって、こんな感じだったの!
と、全くと言っていいほど、やっぱり覚えていませんでした。
f0056835_180152.jpg

嫁入り道具と同じ黄色のフィアットX1/9は、程度が抜群で、人様のクルマとは言え・・・。
「お幾らだったら?」
なんって、おバカなことを聞いてしまったりして・・・。
なんとも、お恥ずかしい次第だったのでした。

CAR検、3門目は・・・。
『この白いクルマは何?』
f0056835_1802289.jpg

そんな僕は・・・。
S先生に、アルファロメオ・ジュニアZの運転に関することを・・・。
簡単にレクチャーして・・・。
f0056835_1804389.jpg

と言っても、エンジン音と排気音が、車内で奏でまくっていて・・・。
殆ど会話にならなくって・・・。
それならば、S先生に、数年間ほど預けてしまおうかな~あ・・・。
などと、よからぬ、なかば計画的な犯行を思いつき・・・。

こんな景色の素晴らしい牧場で、ランチをして・・・。
f0056835_181964.jpg

「ここで、お別れと」・・・。
S先生の1964年型356SCと、ジュニアZの記念写真を撮り・・・。
f0056835_1813294.jpg

「さて、これからどうしよう?」と思いつつ・・・。
S先生の1964年型356SCと、ジュニアZの記念写真を撮り・・・。
f0056835_1815231.jpg

まとまらない考えを、どうにかこうにか、もとめて・・・。
得た答えは、我が1971年型のアルファロメオ・ジュニアZは・・・。
S先生の元に、金銭トレードという形で・・・。
早い話が、1年11ヶ月の月日を共にした、ジュニアZと・・・。
なんとも、簡単に、おさらばしてしまったのでした。

手放してしまった理由は、前回の投稿にも関わるのですが・・・。
その話は、いつの日にか譲るとして・・・。
吉田匠氏にも、事後報告になってしまいそうで・・・。
そうなると申し訳ないので・・・。
僕の計画が、予定通りにいけば、ジュニアZが、次の車検を迎える2年後には・・・。
また、乗りたいな~あと、S先生にも、お話して・・・。
そんな、ワガママを許して頂いてきました。

そんなワケで、形の上では、僕のクルマでなくなってしまった、ジュニアZなのですが・・・。
こと、クルマに関してだけは、立ち直りが、早い僕ですから・・・。

秋田からの帰りは、S先生の356SCを・・・。
ちゃっかりと・・・。
拝借してきてしまいました。

僕と同じ、クルマおバカなM君は、行きと帰りのクルマが、違うことを、とても喜んでくれて、なんとも楽しそうに、356SCのステアリングを握っていました。
f0056835_18452877.jpg

行きは秋田道で、帰りは山形道で、帰って来たのですが・・・。
山には、まだ雪が残っていました。
(牧場では、まだストーブを使用していましたし)
f0056835_18392.jpg

S先生の356SCのエンジンやミッションは、絶好調で、走る・止まるに関しては、完璧な状態なのですが、時計が壊れていたり、ラジオが鳴らなかったり、ヒーターに、ちょっとした不具合があったりしているので、暫くは、僕と共に生活をして、順繰りと、不具合を修理して、修理が完了したら、また、M君を、道連れにして、秋田のS先生のところに、届けようと思っています。

そんなワケで、暫くの間は・・・。
この1964年型356SCとの、クルマ生活が始まりますので、ヨロシクお願いいたします。

帰りの東北道で・・・。
キャリアカーに積まれた、不運にも震災に遭遇してしまった、クルマを目のあたりにして・・・。
f0056835_1835017.jpg

直接の被災地ではない秋田とはいえ、東北に遊びに行ってしまったことには、間違いがないワケで・・・。
帰って来た、翌日の月曜日に、僅かではありますが、義援金の寄付をさせて頂きました。

前回の投稿の続きは次回に・・・。

by seiuchi-porsche9 | 2011-06-15 18:45 | マイ・フレンズ
2009年 12月 10日

シトロエンDS21とシトロエンC6!そして絵日記!

名古屋に行って来ました。
f0056835_1241520.jpg

今回は、新幹線で行って参りましたが・・・。
名古屋といえば、「コメダ珈琲店」であります。
Yoshiさん、ご馳走様でした。
f0056835_1245454.jpg

名古屋といえば、シトロエン愛好家である、Yoshiさんがいらっしゃいます。
それゆえ、僕にとっての名古屋といえば、やっぱりシトロエンなのであります。

名古屋には、1泊2日で、お邪魔したのですが、先ずは、シトロエンC6を、お借りしました。
f0056835_1261862.jpg

運転代行という気もしないのですが(笑)、Yoshiさん、どうもありがとうございました。
そして、夕食のお寿司、とても美味しかったです。
ご馳走様でした。

C6のステアリングを握るのは、およそ1年ぶりになるのですが、ワディビスカラーと名付けられた、作りの良いベージュの革シートが、今回も、僕を暖かく迎え入れてくれました。
f0056835_1265295.jpg

全長4910mmに、全幅1860mmという、やや大柄なボディーに関わらず、とても運転し易いクルマであります。
23000キロほど走行した、3.0リッターV6エンジンは絶好調で、400馬力を超え、車種によっては500馬力をも超える、4枚ドアー・3ボックスのクルマが存在する、このカテゴリーに属するクルマであっても、このC6の3.0リッターV6エンジンは、215馬力しか発生しません。

シトロエンのフラッグシップでありながら、一種のパワー競争とは、無縁と思われる世界に存在してること自体が、シトロエンという自動車メーカーの魅力だと、僕的には思っています。
つまり、2900mmというロングホイールベースの、やや大柄なボディーのクルマを、(電子制御された)ハイドロニューマティックサスペンションシステムを駆使して、前輪駆動で走るという、この運転感覚こそが、シトロエンのフラッグシップであるC6の、最大の魅力なんじゃないかと、僕は思っているワケです。
f0056835_1272731.jpg

実際に運転してみれば、昔のフランス車に比較すれば、やや硬めと感じるシートから伝わって来る、その乗り味は、やっぱり、これぞフランス車という感じであり、シトロエンであり、現代のクルマに要求される、動作に対してのステアリングの反応は的確で、直進安定性も申し分なく備えていて、ただ、400馬力超えの同じフラッグシップと謳われるカテゴリーの各自動車メーカーのクルマを運転している時と大きく違うのは、『そんなに頑張って飛ばさなくても、楽しませてあげるよ』 と、このC6は、僕の耳元で囁いているようで、本来のクルマとしての単純明快な接し方や楽しみ方を、僕自身に改めて教えてくれるクルマでありました。
本来の意味でのスポーティとは次元の違う、なんとも心地良いスポーティさと、内装や外装に散りばめられた、各所の洗練された個性的なデザインが、このC6の魅力なんじゃないかと、改めて思ったのでした。

残念ながら、今回は12ミリ車高を落とすという、そんな高速域での運転は楽しむ機会がありませんでしたが、久々に運転した、シトロエンC6は、やっぱり、僕を楽しまさせてくれたのでした。
f0056835_128348.jpg

迎えた翌日の日曜日は、Yoshiさんと一緒に、往復400キロほどのドライブに行って参りました。

前日のC6が、現代のシトロエンのフラッグシップであるならば、そのシトロエンという自動車メーカーのフラッグシップのルーツである、シトロエンDSを駆り出して、ドライブに向かったのでした。
f0056835_1283541.jpg

YoshiさんのDSは、1972年型のDS21であります。
f0056835_1291759.jpg

数々の自動車雑誌で紹介されたように、このYoshiさんのDS21は、とても37年前のクルマとは思えないほど、各所のメッキはピカピカで、プラスチック類の割れや、サビとは無縁の世界の保存状態であります。

メタリックのグレーでありながら(2トーンカラー)、一瞬ソリッドと見間違えてしまうほど、そのメタリックを抑えた、なんとも表現出来ない、その微妙なメタリックの素敵な輝きが、この時代のメタリックグレーを象徴しているようで、このクルマの個性的なデザインを、更に強調しているようで、とてもお洒落な色合いであります。

ボディーカラーと同色に塗られたホイールキャップが、60年代から70年代にかけてのメルセデスの象徴であり、そんな時代のメルセデスのボディー同色ホイールキャップも大好きなのですが、(DSと同じ時代の)356と同じように、ホイールキャップ全体がメッキ仕上げというクルマにも、やっぱり僕は、惹かれるようであります。
f0056835_1295591.jpg

CIBIEとロゴが入ったヘッドライトカバーと、W反射のヘッドライトが、僕の大好きな時代のクルマであることを、無言で語ってくれているようです。
f0056835_12102893.jpg

今の時代に、こうして眺めていても、決して色あせぬことのない、この斬新的なデザインのクルマが、今から54年も前のパリサロンでデビューしたワケですから、DSというクルマは、この歴史に刻まれた斬新的なデザインだけでも、特筆すべきクルマではあります。
f0056835_12105573.jpg

シトロエンDSは、言わずと知れた、4輪のエア・サスペンションを、油圧を使用して遠隔制御するという「ハイドロニューマチック・システム」のクルマであります。

遠い昔を思い返してみれば・・・。
今から・さかのぼることナント30数年ほど前の学生時代に、シトロエンDSを運転した経験が、僕にはありました。

それなのに・・・。
Yoshiさんに・・・。
『操作方法は判るよね?』
・・・と聞かれて。
僕は、全く記憶に残っていないことに気づきました。
f0056835_12112920.jpg

(写真がいつもの如く、とても下手で、見難く申し訳ないのでありますが)
1番左のペダルがサイドブレーキで、1番右のペダルがガスペダルで、真ん中にある、この独特の丸いペダルが、ブレーキペダルであったこと以外は、殆ど記憶に残っていないことに、今さらながら気づきました。
f0056835_1212222.jpg

可笑しなブレーキペダルのクルマだな~あと思ったことが、遠い昔の記憶に残っているだけでした。
f0056835_12123199.jpg

遠い昔のクルマの記憶を思い浮かべる時には、きっと、遠い昔の女の子の記憶を思い出す時と同じで、その温もりを、肌で感じるのが1番早いのではないかと思って、僕は素足で座ってみました。
f0056835_1213761.jpg

・・・が、やっぱり、僕の記憶なんって、とても曖昧で、遠い昔の女の子の思い出と同じで、シトロエンという名字と、DSという名前だけ覚えているだけであって、あとの記憶は、時の流れと共に、僕の記憶袋の中の奥深くに、素敵な思い出という形だけで、いとも簡単に、葬り去られてしまっているようでした。

当時の僕は、とにかく、出来る限りの沢山のクルマのステアリングを握りたくって、ウズウズしていた、そんな時ではありました。
同じクルマと長く付き合ったり、同じ女の子と長く付き合ったりすると、なんか損をしてしまいそうな、そんな馬鹿げた妄想と、要らぬ予備知識だけが、まだ多少は純粋で有ったハズの僕を支配していて、数々の色々な貴重なことを覚えていったのと同時に、数々の色々な大切なことが、見えなかったのではないかと、そんな遠い昔の自分を、思い出してしまったのでありました。

あの大好きだったM子ちゃんは、今は綾瀬に住んで居るのだけれど、今の僕と同じように、こうして時々、僕のことを思い出してくれているのだろうか?・・・なんって、勝手なことを考えながら、僕は、シトロエンDSのドライバーズシートに座っていたのでした。

話は戻って、シトロエンDSです。
ステアリングは、1本スポークで、下記の写真の位置でニュートラル、つまり、真っすぐ進んで行くポジッションであります。
Yoshiさん曰く、『いざという衝突の時に、ステアリングに身体をブツケでしまった、そんなドライバーを、車内の中心方向に、導く為の位置になる』のだそうですが、エアーバックが存在していなかった時代のクルマとしては、これぞ架空のエアーバック的な発想で・・・な~あ~るほどね!・・・と思ったのでした。
f0056835_12134010.jpg

クルマを運転するには、先ずは、エンジンを掛けること、これが最初の儀式であることは、今も昔も同じではあります。

ただ、シトロエンDSの場合は、チョットばかり儀式が違っていて、ステアリングとメーターパネルの間に有る、この細く華奢なレバーが、エンジンスタートは勿論のこと、その後の全ての運転儀式に関しても、大きな存在意義をもたらしています。
f0056835_12141358.jpg

このレバーの根元をアップしてみれば、こんな感じで、見慣れたリアセンターコンソールに備えられたフロアーシフトのATレバーの根元に、似てはいます。
ただ、大きく違うのは、一般的なクルマとは違って、進行方向に向かっての並行ではなく、それとは全く正反対の、進行方向に向かって、90度の横向きの垂直で、置かれていることであります。
f0056835_12144944.jpg

僕の表現能力では、上手に説明は出来ないので、このレバーを図式で説明すると、下記のようになります。

シトロエンDSは、2ペダルのATではあるのですが、フルATではなく、セミATのクルマであります。
カタカナの「コ」の字を逆にした、逆コの字パターンのシフトレバーになるのですが、このシトロエンDSのニュートラルの位置は、面白いことに、1速と2速の間に存在します。

エンジンをスタートさせるには、鍵はモチロン使用するのですが、いくら鍵を右に廻しても、エンジンは掛かりません。
鍵を右に廻すだけ廻して、サイドブレーキを解除して、1速と2速の間にあるニュートラルの位置から、そのレバーを左に倒すと、セルモーターが、初めて回り始めます。

こういうオーナーでしか判らないような、こんな秘密めいた仕組みが、僕は大好きで、もうこれだけで、僕を虜にしてしまいそうな、そんな魅力があるクルマであります。
f0056835_1215216.jpg

この儀式で、エンジンをスタートさせたら、1速に入れて、右足を緩めて、2速にシフトアップして、そして、また右足を緩めて、3速にシフトアップして、そして、更に右足を緩めて、4速にシフトアップしていくという、そんな動作が、このクルマの運転方法になるワケですが、右足を緩めると、(この油圧方式の変速機は)自然とエンジンブレーキが効く仕組みのようで、最初のうちは、とてもギコチなかったのですが、ある程度の時間を走ってみると、エンジンの回転数を考えながらというよりも、このシフトアップとシフトダウンのタイミングは、身を持って体験して覚え込んで行くという、そんな感じの運転方法が、1番適しているのではないかと、僕は勝手に思ったのでした。

ただ、2速と3速のギア比は、とても離れているようなので、実質的な使用方法のシフトダウンに関しては、4速から3速へはまだしもとして、それ以外のシフトダウンを、殆ど使用しないで、僕は乗って来ました。

メーターパネルを見まわしても、水冷なのに水温計は存在していません。
そして、旧車であれば、定番のハズのボルトメーターや、アンメーターのたぐいの、電流や電圧を知らせてくれる、そんなメーターも存在していません。
油温計もなければ、油圧計も存在しなく、中央にスピードメーターと、その右隣にタコメーターを備えているだけであります。

オーバーヒート気味の気配を、前もって教えてくれるメーターは存在しなく、バッテリーやダイナモが弱り始めている、そんな気配を教えてくれるメーターも存在しなく、いざ不具合が起きた時には、左端のメーターの中に散りばめられた、数々の警告灯のランプが、いきなり点灯する仕組みのようで、信頼できるのは、このシトロエンDSと、自分の五感だけという、そんな単純明快な図式が、このクルマのオーナーで有ることの、その貴重性をも、無言で物語ってるようで、僕は、ますます、このシトロエンDSが、大好きになってしまいました。
f0056835_12161051.jpg

この日は、伊勢志摩方面にドライブに行ったのですが、行きの片道を、後部座席を楽しみながら行きました。

後部座席は、座りこむと、10センチは沈むのではないかと思えるほど、座面が極端に柔らかく、最初のうちは、大昔の応接セットの長椅子に座っているようで、とても違和感があったのですが、慣れてくると、この宇宙船的な、シトロエンDS自体の乗り味と、大昔の応接セットの長椅子が、とてもマッチしているらしく、なんとも素敵な居心地の良さを提供してくれたのでした。

そしてレッグスペースも、不足することなく、十二分に確保されていて、サイドガラスが低く広がっていて、左右と前方の視界が良いこともあって、前回の投稿に書いたパナメーラの後部座席よりも、安全性ということを、勝負の優劣に含まないのならば、優れているとさえ、思ってしまった僕だったのでした。
f0056835_12164397.jpg

そして、僕等が向かった場所は、ヨットと名付けられた、海鮮料理専門のお店でありました。
f0056835_1217288.jpg

伊勢海老のお造り、伊勢海老焼き、アワビのお造り、アワビ焼き、生ガキ、カキ焼き、ハマグリ焼き、カマ焼き、他にも、思い出せないほどの沢山の種類の魚介類を、食べて来ました。
言葉では言い表せないほど、ホント美味しかったです。
Yoshiさん、ご馳走様でした!
(名古屋にお邪魔すると、僕の財布が全く減らなくってホント申し訳ないですね)
f0056835_12175735.jpg

そして、数本のビールと3杯のハマグリ酒で、心地良く酔ぱらったであろうYoshiさんを、後部座席に招いて、帰路は、僕が運転して帰ってきました。
f0056835_12182781.jpg

つまり、200キロほど、シトロエンDS21のステアリングを楽しんで帰って来たというワケであります。
シトロエンDSは、エンジン以外の全てのアシストを、1系統の油圧で制御しているクルマであります。

75年まで生産されていたとはいえ、55年のデビューのクルマですので、僕の中では、50年代的なクルマという、そんな事前認識がありました。
が、その事前認識が、いかに誤った事前認識だったのかと、僕は大きく反省することになりました。

恥ずかしながら、シトロエンDS21というクルマの正体を、僕は全く判っていなかったことに、気づかされました。
つまり、2車線ある高速道路で、追い越し車線なんかにを、到底走れないクルマと、僕は思いこんでいたのです。

事前に・・・。
Yoshiさんから、72年型のシトロエンDS21と、お聞きしていました。
僕の中では、50年代デビューの72年のクルマという、そんな認識しかなかったワケです。
70年代前半に、デビュー数年後のセドリック4ドアー・ハードトップ(230系初代2000)で、軽井沢に行ったことがありました。

今では、某大学で教授から学部長まで出世してしまった悪友と、2人の女の子と僕の4人で、その悪友の父上が所有していた軽井沢の別荘に、数泊でのドライブに行きました。
その時に、僕が用意していったクルマがセドリックだったのですが、このセドリック4ドアーハードトップが、旧軽井沢から白糸の滝を抜けて、峰の茶屋までの登りの道を、全くと言っていいほど登れませんでした。

当時の、この道路は、まだ未舗装のジャリ道だったのですが、ATのレバーを2速ホールドしても登らずで、1速ホールドして、道路に敷かれた、ジャリを蹴り散らして登った、そんな思い出があります。
初代セドリック(グロリア)の4ドアーハードトップには、2リッターと2.6リッターの2種類があったのですが、僕が乗っていたのが、2リッターのほうだったこともあって、このセドリックは、悲しいほと登板能力が有りませんでした。
(この同じ時代に、メルセデスに乗ると、これはもう別世界の乗り物と感じてしまっていたのですが、この話はまたの機会に譲ります)

僕の中での、70年代のシトロエンといえば、マセラーティの2.7リッターV型6気筒DOHCを載せていた、シトロエンSMのイメージが、強く残っていたこともあって、シトロエンDSは、50年代の延長線上のシトロエンという、そんな捉え方をしてしまっていて、現代の街中走行や現代の高速道路走行での使用には、なにかと不自由に感じるのではないかと、そんなふ~に、事前に思いこんでしまったのでした。

それゆえ、クネクネした山道を走るなんってことは、頭の片隅には、これぽっちも浮かばぬままで、僕は、YoshiさんのシトロエンDS21のステアリングを握ってしまったのでした。

帰路は・・・。
先ず、一般道から海沿いまでに抜けました。
f0056835_1219723.jpg

サイドミラーは左右とも見易いです。
f0056835_12194484.jpg
f0056835_12201415.jpg

海沿いから、高速道路のICまでは、クネクネした山道を走ったのですが、このシトロエンDS21は、僕の想像に反して、よく登って行きます。
これは、ホントに想定外の出来事だったので、僕には、チカラ強く登って行くとさえ感じてしまう、それほどの登板能力ではありました。

そして、この宇宙船が、僕の想像に反して、クネクネした山道を、気もち良く曲がって走っていくのです。
足を硬めたクルマとは異次元の、なんとも表現しにくい「ふあふあ感」なんですが、これをロールとは感じ得ない、正しく不思議な感じで、グイグイと曲がって走って行きます。
多分、他のクルマと、ヨーイドンの競争をすれば、明らかに思いっ切り負けてしまっている速度なのでしょうが、最新のファミリカーを操るサンデードライバーとのヨーイドンならば、その流れを乱すどころか、リード出来るのではないかと思えてしまえるほど、気持ち良く曲がって行きます。

ブレーキペダルが、見慣れた形状でなく、例のキノコみたいな形をしたラバー製なので、何処までが遊びで、何処で効きだすのかという、そんなことを確かめる余裕など、全く有りませんでしたが、子供の頃に乗った、多摩テックや豊島園、そして後楽園遊園地等に設置されていた、トロリーバスみたいな方法で走る、あの電気自動車を思い出すような、そんな感覚のブレーキのタッチでした。
(果たして、この表現を判ってくださる方が居るのでしょうか?ではありますが)

あまりの想定外の出来事に、僕は驚いてしまったと同時に、Yoshiさんに・・・。
「このクルマって、排気量いくつ?」
・・・って、申し訳ないほどの初歩的知識を、お聞きしてしまいました。
『2175ccで、109馬力』

恥ずかしながら、僕は2リッター以下のエンジンで、100馬力もないと思い込んでいたので、この動力性能には、裏打ちされたスペックが有ったことを、改めて知ることに成ったのでした。

そして更に、想定外だったのが、高速道路を走ってからでした。
ある程度の速度を保って、回転を落とさないことが大前提ではありますが、追い越し車線を堂々と走り切れることが出来るクルマであったのでした。
フロントのトレッドが1500ミリで、リアのトレッドが1300ミリだということを、後から知ったのですが、このフロントとリアのトレッド差200ミリが、グイグイと曲がって走ることに貢献し、そして、真っすぐ走って行くという、そんな直進安定性にも、大きく貢献していそうではあります。

履いていたタイヤは、当時と同じミッシュランXASで(現在も本国で生産中)、さすがYoshiさん趣味が良いですね。
(吉田匠氏もブログで絶賛しており、僕もジュニアZに履きたいと思案中ではあります)
f0056835_12262445.jpg

早いもので、今年も12月に入りました。
11ヶ月が過ぎ去ってしまったワケですが、ことクルマに関して言うと、1ヶ月間に3台と計算すれば、今年に入って、新旧合算で33台前後の新たな体験をしているワケで、1ヶ月間に2台と計算すれば、今年に入って、22台前後の新たな体験をしていることになります。
(この環境を、いつも感謝しております)

この今年になって体験したクルマについて、ベスト5を挙げるとしたら、この日のシトロエンDS21は、正しく、その一角を担うクルマになりました。
それは、なんと言っても、オーナーにしか判らないような、全ての操作方法が、僕の自動車趣味心を思いっきり「クスグッテ」しまったということもあるのですが、シトロエンDS21には、高速道路に山道に、そして街中と、何処をどう走らせても、自分で運転しているという、クルマを自分自身で走らせるという、子供の頃に憧れ続けた、あの思い、あの夢が、数十年の時を超えて蘇って来るという、そんな魔力を持つクルマでありました。
そのうえ、いざ走り出してみれば、動力性能は、現代の自動車社会の流れを乱すこともないのも魅力ではあるけれど、何よりも、こんなに楽しく忙しい2ペダルのクルマで、更に、浮世離れしているスタイルを持っていてと、数えあげたら、終わりがないほど、僕は、このシトロエンDS21というクルマを、気に入ってしまったのでした。

(下記の写真は、M君のオースティン・ヒーレー100 のシフトパータンですが、こちらも衝撃的な体験ではありました)
オースティン・ヒーレー100 の記事は、よろしければ 『こちらまで』 お願いいたします。

f0056835_12275341.jpg

これから、今後は、名古屋にお邪魔する度に・・・。
「DS運転させてください!」
と、僕は叫び続けることになるのだと思っています。
Yoshiさん、多々と今回も、ありがとうございました。
f0056835_12282232.jpg


そして最後に・・・。
絵日記です。

某所で開催されたパーティーに、場違いな身でありながら、出席させて頂きました。
f0056835_12285362.jpg

フレアが装着されたカップカーは、格好良いですね。
(後期型GT3RSも楽しみです)
f0056835_12292347.jpg

とても楽しかったです。
(ご一緒して頂いたネコのS社長様、ご報告だけさせて頂きますがビンゴは残念ながら外れてしまいました)
f0056835_13284031.jpg

先生、お世話になりました。
f0056835_1229526.jpg

ご一緒出来て光栄でした。

追伸
次回の更新は予定では早いです(あくまでも予定ですが・笑)

by seiuchi-porsche9 | 2009-12-10 12:30 | マイ・フレンズ
2009年 10月 31日

時には早い脈を打ってみたい!

思い返せば・・・。
エンジン不動で、いつもの修理屋さんの助けを借りてしまったのは、桜満開の4月(今年)の出来事だったのでした。
f0056835_4455873.jpg

我がジェンセン・ヒーレーは、初年度登録が1975年11月という、34年も前のクルマであります。
1975年11月から、毎回車検を受け続け、それは、1996年11月の車検まで継続していました。
1996年11月に車検を受け、その車検が満了した1998年11月からは、暫くは乗らずに、我がガレージに、放置したままでありました。

96年から98年頃の僕は・・・。
まだまだ仕事が忙しかった時代でした。

96年から98年頃は、そんな真面目な生活をしていたので、ジェンセン・ヒーレーには殆ど乗る機会がなく、98年に車検が切れてからは、ガレージの中で放置したままでありました。

大学4年に次女が進級し、大学に長男が入学したのは、車検切りから9年経った2007年4月のことだったのですが、僕は、この時に、ジェンセン・ヒーレーに乗りたくって仕方がないという、そんな衝動にからわれました。
その衝動が起きた理由は、『( FORGIVE ME ) MY LITTLE FLOWER PRINCESS !』 というタイトルで、以前に投稿させて頂きました。

9年間も、ガレージの片隅に、放置してあったジェンセン・ヒーレーは、キャブレーターの中のガソリンは、蒸発していたのはモチロンのこと、ガソリンタンク内のガソリンも、見事なまでに腐っていました。

そんな状態で、エンジンはモチロン掛からなかったのですが、それ以前に、何よりも困ったことが起きていました。
それは、なんともダラシガナイ話なのですが、僕はジェンセン・ヒーレーの鍵を、全て紛失してしまっていて、何処を探しても見つかりませんでした。

左右のドアーの鍵はロックしないで、ガレージに置いてあったので、車内には入れるのですが、エンジンは掛けられないし、給油蓋も鍵式なので、ガソリンも給油出来ないし、鍵式のリアトランクフードも開けられないという、そんな最悪な状態でした。

いつも、お世話になっている修理屋さんとの出会いは、僕が大学生だった頃からなので、早いもので、もう30年以上の付き合いになりました。

正規ディラーがあるクルマの修理は、僕は、基本的には正規ディラーにお願いしているのですが、このジェンセン・ヒーレーのように、もうパーツが手配出来なくって、誰にお願いしていいのか判らない状態になってしまった故障や、僕がパーツを支給しての修理は、いつも、この修理屋さんの助けを借りさせて頂いています。

「鍵は壊しちゃっていいので、全てお任せします」
と、僕は言いました。
『お金掛けない方法で、何か考えろということね・・』
と、笑顔で答えてくれて、いつもの如くではあるけれど、この時も、僕の心の中は、読み切られていました。

鍵を紛失する前のジェンセン・ヒーレーは、セルモーターの歯が何か所か欠けていしまっていて、歯車が上手に噛み合わない時には、セルは回りませんでした。

セルが噛み合わず、エンジンが掛からない時には、ギアをニュートラルにして、サイドブレーキも下して、僕は、1度クルマから降りていました。
そして、ジェンセン・ヒーレーの後ろに回って、両手でジェンセン・ヒーレーを数十センチほど押してから、またドライバーズシートに戻って、エンジンが掛かるか確かめていました。

1回、押すだけで、運良くエンジンが掛かる時もあるし、セルモーターの歯車が欠けている箇所で、まだ噛み合っていて、エンジンが掛からない時もありました。
掛からない時には、エンジンが掛かるまで、何度もクルマを少し動かして、歯車が欠けていない箇所を探して、噛み合わせるという、なんとも原始的な方法で、エンジンを掛けていました。

クルマと接している時に、僕は、こんなふ~に、自分の意のままには成らないという、こんな不自由の中の自由さこそが、最高に楽しい瞬間なので、この不具合が大のお気に入りではありました。
修理屋さんの社長が、これは、やっぱり不便だろうということで、イグニッションキーをオンの位置まで廻して、あとはスターターボタンを押して、セルモーターに直接電流を送る方法に改造してくれたのは、97年の車検の時でした。

そして、2007年に、9年ぶりに車検を受けようと思った時に、イグニッションキーを紛失してしまったことに、気づきました。
(ドアーと給油蓋とトランクキーはエンジンキーとは別なのですが、僕は両方とも紛失しました)

鍵を紛失してしまうと、スターターボタン(スイッチ)を押す動作まで、辿り着けなくなってしまい、エンジンを掛けられない状態になってしまいました。

そこで、2009年に車検を受ける時には、思いきった方法で修理してくださいました。
ダッシュボードの下側から、イグニッションキーのシリンダーを1部分壊して、黒のスイッチをシリンダーにダイレクトに差し込んて、ダミーのイグニッションキーが差し込まれている状態にしてくれました(黄色で囲んだ箇所)。
f0056835_450071.jpg

この黒い強化プラスチック製のスイッチは、使わなくなった古いガスレンジのスイッチを流用しているので、なんとも凄いアイデアであります。
そして、ガスレンジのスイッチなので、とても使い易いです。
f0056835_4503446.jpg

このイグニッションキーの替わりのガスレンジの黒いスイッチは、普通のクルマの鍵のように、外すことは出来ないので、いつでもエンジンが掛けられます。

僕には、ジェンセン・ヒーレーという、あまり価値が有るとは言えないクルマを、誰かに持ち去られることなどないと思っているのですが、修理屋さんが、このままでは、盗難の可能性もあるので、サブキーを付け加えてくれました(赤色で囲んだ箇所)。

この小さなサブキーは、自転車用の鍵からの流用品なので、精度は期待出来ませんが、コストの掛けなさでは、群を抜いている修理屋さんだと、僕的には思っています。

この追加してくれたサブキーの配線の中間には、10アンペアのヒューズをかませてくれてあったのですが、10アンペアのヒューズだと、時々、飛んでしまうので、20アンペアのヒューズに、最近、交換して貰いました。
f0056835_545119.jpg

そして紛失してしまった、ドアーキーと・・・。
f0056835_4513480.jpg

給油口キーと・・・。
f0056835_4521562.jpg

リアトランクのキーは、シリンダーだけ新たな共通のモノと交換し、全て新たな共通のキーで使えるようにしてくれました。
f0056835_4525289.jpg

キーヘッドがソアラ用なのは、ご愛敬ということのようです。
(ここの修理屋さんは、基本的には国産車専門の修理屋さんなので流用パーツも日本製が殆どです)
f0056835_4532488.jpg

クルマの鍵を紛失してしまった場合の、対処方法には、何通りかあると思っています。

このジェンセン・ヒーレーへの対処方法を、邪道だと感じる方もいらっしゃるとは思っていますが、名車と呼ばれるクルマならば、いざ知らずですが、このジェンセン・ヒーレーのように、その種のクルマとは遠い存在のクルマならば、こんな対処方法でも、良いのではないかと、僕は思っています。

いや、僕にとっては、イヤな顔をひとつせずに、困った時には、いつも笑顔で助けてくれる、この修理屋さんの対処方法が、いつもベストな選択肢だと思っています。
家の玄関の鍵を、ディンプルキーと交換する料金と同じぐらいの請求しか来なかったので、この点でも、やっぱり、僕にとっては、「困った時の神頼み的」な、そんな修理屋さんなんだと思っています。

こうして、この時は、紛失した鍵の件は解決して、腐ったガソリンも抜き出して、2007年4月に車検を受けて、乗っていたワケですが、9年間の放置には、かなりの無理があったようで、決して絶好調ではありませんでした。

今年の4月に、車検が切れるのを機会に、このジェンセン・ヒーレーに、少しばかり情熱を注いでみることにしてみました。

先ず最初は、キャブレター (carburetor)が原因で、立ち往生して助けを借りてしまったので、キャブレターに、情熱を注いでみることに決めました。

これに情熱を注ぐには、3通りの方法が浮かびました。

(1)リペアパーツを使用して修理する。
(2)いっそのこと、新品のウェバー製キャブレターに換装する。
(3)現在のストロンバーグ製のキャブを完全にオーバーホールする。

(1)の方法は、1番割安ではあるけれど、今後10年間に、何も手を加えずで済むという、そんな万全な解決方法ではないので、(1)の方法は、最初に選択肢から外れました。

(2)の方法は、ストロンバーグ製から、子供の頃に憧れた、あのウェバー製になるので、とても惹かれる選択肢には、思えました。

でも、この(2)の方法だと、人の道から外れていない正道のように感じてしまい、何よりも、意外性を好む僕にとっては、僕の選ぶ方法ではないと思い始めてしまい、キャブレターを1度取り外して、その取り外したキャブレターを、キャブレターオーバーホール専門業者さんに持ち込んで、それを預けて修理して貰い、また、引き取りに行って、オーバーホールした、そのキャブレターを、また取り付けるという、どう考えても、1番面倒な方法の(3)を、あえて選択することにしました。
(旧車はオリジナルが大好きという理由もありましたが)

そして、キャブレターをバラシテ、組み直しして、交換して貰ったパーツが、下記の写真です。
簡素化されたリペアパーツを使用しての修理とは違って、キャブレターを完全に分解して組み直しているので、交換されたパーツは多種になっています。
交換されたフロートやフロートバルブを眺めていると、何故か便器の内部構造が、思い浮かんで来てしまいました(笑)
f0056835_454751.jpg

そして、完全にオーバーホールされたキャブレターを、元と同じ位置に取り付けました。

キャブレターの取り外し・取り付け、そしてオーバーホールと、これらの全てで、16万ほど掛かりましたが、登録後34年目にして、初めてのキャブレターのメンテナンス費用になるワケですから、それだけで、自分を納得させることも出来たのですが、それよりも、キャブレターを完全オーバーホールした、その効果は絶大で、アイドリングは安定しているし、7000回転近くまでスムーズに回って、とても気持ちが良いです。
(キャブとエンジン本体の間に使われているインシュレーターは以前のモノをそのまま使用しました)
f0056835_4543468.jpg

エンジンが不調な時には、ロータス製4気筒DOHC・16バルブエンジンであったことも、忘れかけているほどだったのですが、エンジンが快調になると、960キロの車重に、140馬力という組み合わせは、今の僕には、必要にして十分で、1速と2速の伸びも加速も(ゲトラーク製5速)満足出来るもので、その気になれば、街中の交通の流れを、僕自身が作り出すことも可能なほどです。

因みに、シフトレバーのリバースは、ノブを下に押すでも、上に引きあがるのでもなく、単に、通常のシフトパターンの1速に入れるように動かせば、スムーズに入ってしまうので、この変形シフトパターンに慣れないと、1速に入れたつもりで走り出せば、そのままバック走行してしまいます。

シフトパターンは、914と同じですが、ストロークが短いのと、シフトそのものも、914より使い易い位置にあるので、いとも簡単に1速に入ってしまい、914よりも、更に注意が必要ではあります。
f0056835_4561927.jpg

話は替わりますが・・・。
旧車に乗ると、いつも感じることがあります。
それは、夜になっても、今の世の中は、こんなにも明るいのかということであります。
f0056835_4571192.jpg

60年代や、70年代は、今の世の中と違って、街灯も少なくって、街並みが暗かったと記憶しています。

走行中のクルマのドライバーからみれば、車外が暗ければ、ヘッドライトが、さほど明るくなかったとしても、必要十分に明るく見えるワケで、車外が暗ければ、メーターパネルを照らす電球の、それが発する光量が、さほど多くなかったとしても、鮮明に見えていたワケです。

今の世の中でも、真っ暗な山道や、真っ暗な海岸を歩く時に、単1電池が2本直結の、僅か3ボルトの懐中電灯でも持っていれば、その懐中電灯の照らす先は、とても明るく感じると思います。
でも、20畳や30畳という、そんな広めの部屋で、その部屋の中に、僅か27ワットのインバーターのダウンライトが、1つだけ点灯していれば、そんな懐中電灯は、殆ど用をなさないことでしょう。

27ワットの(ダウンライト用の)蛍光灯は、白熱電球100ワットと同等の明るさがあるのが、現在の世の中です。
およそ4分の1の消費電力で、同じ明るさを得られるのが、、昔と現代の大きな違いで、エアコンにしろ冷蔵庫にしろ、毎年のように、全く同じ性能を持ちながら、消費電力が減少していっています。
ジェンセン・ヒーレーが生産されていた、70年代前半から、現在の2011年にまでの間には、クルマだけに限らず、電気製品も、住宅も、電車も、もう目に飛び込んでくる、全てのモノというもがモノが、技術の進歩を感じさせられるモノばかりです。

遠い昔の子供だった頃を思い返してみれば、60年代の一般家庭の電気は、20アンペアとか30アンペアで、両側の先端が?マークのように曲げられた形をした、10アンペアのヒューズを、2個とか3個とかを使って、2回路か3回路しかなかったワケで、それを分電盤と呼ぶには、あまりにも貧相な仕組みだったのでした。

チョットばかりオジンな人や、チョットばかりオバンな人ならば、電気製品を同時に使用すると、容量オーバーで、ヒューズが切れたり、ブレーカーがよく落ちたという、そんな苦く甘い経験があると思います。
クーラー(エアコンの時代ではないので)やテレビが全室にある時代ではなく、家庭内で使用する電気製品も、数少なかったという、遠いそんな昔で、単層200ボルトの電化製品なんって、聞いたこともなかった、そんな遠い昔のお話ではありますが、そんな時代に作られたクルマは、やっぱり、そんな時代をも反映して、今でも生きているようです。

つまり、僕のジェンセン・ヒーレーのヒューズボックスには、ヒューズが3本しか有りません。
つまり、3回路しかなくって、各10アンペアの合計30アンペアという仕組みのクルマであります。
f0056835_50386.jpg

ヘッドライト、スモールライト、ウィンカー、テールライト、ストップライト、ラジオ、ワイパーモーター、ヒーターブロア、ホーン、室内灯、各メーター照明・・・・ジェンセン・ヒーレーという家庭には、こんな感じの電化製品しか備わっていないので、3回路30アンペアでも、充分なクルマではあります。

3回路ということは、家庭内の電気を例にして、簡単に説明すれば、コンセントが3ヶ所あるのと同じではあります。
この3ヶ所のコンセントの差し込みに、それぞれ、テーブルタップを差し込んで、タコ足配線しているのが、僕のジェンセン・ヒーレーであります。
f0056835_503874.jpg

そして、そのタコ足配線された各々のコードは、電装パーツの取り付け位置によって、長さは違うし、電装パーツの使用電気容量によって、太さも違っています。
f0056835_511063.jpg

バッテリーからの電流は、ヒューズボックスを介して、全てのコード(電線)に、流れて行きます。
ヒューズボックスには、オンとオフの切り替え機能はないので、常にコードには、電流が流れています。

太いコードには、より多くの電流が流れ易く、細いコードには、それよりは少ない電流が流れることになるのですが、旧車にとっては、これが曲者で、スモールライトもワイパーも使用していないのに、いつも少しづつ放電しているのと同じ状態です。

電気製品の進歩とは、無縁の世界に居るのが旧車なので、ジェンセン・ヒーレーは、昼間のアイドリング状態では、ボルトメーターが12ボルトを切っています。
f0056835_6312033.jpg

今回の車検で、ダイナモをオーバーホールしたのですが、ダイナモは直流整流子発電機で、発電能力を調整する機構は付いていません。
(エンジンルームからは地面が見えるので、あえて靴を置いてみました)
f0056835_514743.jpg

夜、ダイナモを使用している自転車に乗ると、速度が上がれば、ライトは明るくなって、速度が落ちれば、ライトは暗くなり、停止すれば、ライトは完全に消えてしまいます。
大雑把に説明すると、僕のジェンセン・ヒーレーは、この自転車のダイナモと似たようなものです。

旧い人であれば、バッテリーやダイナモが寿命を迎えてくると、ガスペダルを踏み込めば、ウィンカーの点滅が早くなったり、ガスペダルを踏み込めば、ヘッドライトが明るくなるという、そんな経験をしたことがあると思いますが、僕のジェンセン・ヒーレーも、この種のクルマであります。
(エンジンの回転数が増せば、ベルトで繋がっているダイナモは電力を発生してバッテリーに蓄えるという仕組みなので)
f0056835_521425.jpg

現代のクルマの発電機は、ダイナモではなく、オルタネーターを使用しています。
オルタネーターは、交流発電機ですが、整流器も備えているので、直流電力に変換して、バッテリーに蓄えていきます。
そして、なによりも、オルタネーターには、アイドリング時に、電装品を使用して、電力が不足気味の時には電力を増やし、エンジンが高回転で回っている時には、定格電圧を超えて充電しないICレギュレーターが備わっています。

旧車でダイナモを使用しているクルマでも、ICレギュレーターが備わっているオルタネーターに交換可能な場合もあります。
近い将来に、僕のジェンセン・ヒーレーもオルタネーターに交換するつもりでいますが、今のダイナモを使用している限りは、バッテリーは消耗品と考えて、車検毎に交換しようと思っています。
(今回の車検でも交換しました)

いずれにせよ、ボルトメーターの針が12ボルトを切っていると充電不足と不安を感じ、ボルトメーターの針が12ボルトよりも上にあっても、過充電していないかと不安に感じてしまう、そんなダイナモを使用しているクルマを運転することは、それなりに特別な楽しみ方があるとは、思っています。

LUCASのヘッドライトに大きな傷が付いてしまったので、英国車には不本意ながら、HELLAのヘッドライトに交換しました。
f0056835_525251.jpg

それと同時に、ヘッドライトの配線を、バッテリーから直結にして、新たに作りました。
f0056835_544251.jpg

f0056835_552349.jpg

丸目2灯のヘッドライトなので、下目と上目と別々に、配線の中間にヒューズをかませました。
f0056835_57975.jpg

イエローハットで、ETCを付けて貰いました。
f0056835_574197.jpg

ヤフオクで落札し、CDも聴けるようにしました。
f0056835_581827.jpg

これで、完璧と思って、いざドライブに出かけました。
その日は、夜のドライブで、交換したヘッドライトは、とても明るかったです。
f0056835_592670.jpg

明るくって運転し易いな~あと、快調に走っていたら、ヘッドライトのヒューズが突然と飛びました。
それならば、上目で走ろうと、ヘッドライトを上向きにして走りました。
f0056835_595779.jpg

さすが上向きで、明るくって、とても走り易かったです。
と、思ったのも、つかの間で、今度は、上向きのヒューズが飛びました。
街灯だけが頼りになってしまい、とても怖い夜のドライブになりました。
(その後ヒューズを15アンペアから20アンペアに交換しました)
f0056835_5104681.jpg

暗闇を疾走した翌日に、また予期せぬ出来事が起きました。
ブレーキのマスターシリンダーが壊れて、ブレーキペダルを踏んだら、床についてしまいました。
幸いなことに、大した速度も出ていなかったので、ステアリングを左右に切って、抵抗を増やして、サイドブレーキを使って、最後に1速に入れたら、なんとか止まりました。
f0056835_5111818.jpg

国内にはパーツがなさそうなので、アメリカより個人輸入しました。
f0056835_5124140.jpg

f0056835_51372.jpg

ついでなので、他のパーツも購入して、総額は、こんな感じでした。
(他に消費税が1500円)
f0056835_5133694.jpg

マスターシリンダーを交換したついでに、ブレーキホースもステンレス製のものに交換しました。
f0056835_5141351.jpg

f0056835_5143835.jpg

交換後のブレーキの効きは、今までとは比較に成らないほどで、ブレーキ関係のメンテは、やっぱり、とても大切なのだと、実感しました。

そう思い始めた僕は、タイヤを交換しました。
今まで使用したのは、GOODYEARのDUCAOというタイヤで、数百キロほどしか走っていないので、溝は沢山残っていました。
f0056835_5151815.jpg

溝は沢山残っていたのですが、気になって確認したら、1996年産のものでした。
今回、交換したのは、ミシュランのXM1というタイヤで、サイズはジェンセン・ヒーレーの純正サイズ、185/70の13インチです(以前も同サイズ)

4本タイヤを交換して、3万円代ですから、もっと早く交換してあげれば良かったと、後悔しています。
f0056835_5154945.jpg

8月3日に車検を受けた、我がジェンセン・ヒーレーは、こんなふ~に、僕と接して暮らしています。
前回の車検期間の2年間では、僅か300キロしか走行していないので、今回の車検期間2年間では、もう少し乗ろうと思っています。
f0056835_5162640.jpg

今日現在の走行距離は、59132キロですから、700キロほど走ったことになります。
f0056835_5175885.jpg

ある程度は壊れるクルマが大好きな僕は、暫くは、このジェンセン・ヒーレーを楽しもうと思っています。
今日も走行中に、サイドミラーが落ちました。
f0056835_5183360.jpg

正確に書けば、サイドミラーが落ちる寸前に、手で受けました。
この落ちる寸前に、手に取るという、この微妙な感覚は、オーナーしか楽しめない感覚だと思っています。
この純正のサイドミラーは、落として壊してしまえば、もうパーツはありません。
f0056835_5194451.jpg

とても、クダラナイことで、どうでも良いようなことなんですが、この落ちる寸前に、手で受け取めるという仕草は、僕のクルマとの戯れ方を象徴しているようで、なんか、とても変わっている人みたいです。

by seiuchi-porsche9 | 2009-10-31 07:22 | ジェンセンヒーレー
2009年 10月 16日

あぁいいな!

日頃から、お世話になっている、クルマ屋さんに遊びに行きました。
今回、お邪魔したクルマ屋さんは、都心からは、チョットばかり離れてはいる、埼玉県桶川市にあります。
f0056835_1037513.jpg

4年間の正規BMW営業在籍時代に、なんと4年で300台以上を販売し、今までの生涯販売台数では、間もなく2000台をも超えるという、そんな凄腕の 「アントニオ伊藤さん」がオーナーである 『PAZOO Auto Mobilesさん』 に、行って参りました。

久しぶりに、それも突然に、お邪魔してしまったにも関わらず、社長の 「アントニオ伊藤さん」 と、スタッフである 「べりーHIROSHIさん」 のお2人が、暖かく迎えてくださり、とても嬉しかったです。

この日の僕は、ジェンセン・ヒーレーに乗って行ったのですが、この道20年のアントニオ伊藤さんが、ジェンセン・ヒーレーというクルマを知りませんでした。
f0056835_10392272.jpg

僕は、こんなふ~に、メーカーや車名が、広く行き渡って居ないという、そんなクルマが大好きなので、クルマの知識に関しては、こと全てと言っていいほど、アントニオ伊藤さんには負けてしまう、そんな僕が、彼から1本取れたようで、シメシメしてやったりと思ったのでありました。

ジェンセン・ヒーレーが生産されていた頃(72年~76年)は、アントニオ伊藤さんが、まだ小学校に入るか入らないかという、そんな時代になるので、アントニオ伊藤さんが知らなかったのも、まあ当然のことになるのですが、当時のジェンセン・ヒーレーは、かの 「コーンズ・アンド・カンパニー・リミテッド」 がインポーターでありました。
(画像は当時のCAR GRAPHIC掲載広告より)
f0056835_1041303.jpg

当時のコーンズは、ロールスロイスとベントレーとジェンセンという、英国生まれの自動車メーカー3社の日本総代理店で、フェラーリやランボルギーニやマセラティといったスーパーカーと呼ばれるジャンルのクルマの日本総代理店は、横浜にショールームが有った、あのスーパーカーブームで有名は「シーサイドモーター」でありました。

まだ都内では、コーンズのショールームが、首都高5号線沿いの側道(護国寺付近)にあった頃で、コーンズのショールームは、この場所にしか存在して居なかったという、そんな遠い時代のお話ではあります。
因みに、その豊島区雑司ヶ谷にあった、コーンズのショールームは、サービス工場も併設していました。
そして、その同じ場所は、現在はヤナセがサービス工場として使用しているので、今でも直ぐに判る場所ではあります。

いずれにせよ、日本国内における輸入車のシェアーが、1パーセントにも満たなかったという、そんな遠い昔の時代のお話ではありますが、ポルシェ(三和自動車)のショールームだけは、目黒と六本木と銀座という、交通の便の良い、都心のド真ん中に、3ヶ所も存在していたことが、とても印象に残っています。

そんなワケで、お久しぶりにお会いしたアントニオ伊藤さんだったのですが、ここには、心底から驚かされてしまったという、そんな素晴らしいクルマが置いてありました。

そのクルマとは、1968年から1976年まで生産された、メルセデスベンツ280CEであります。
f0056835_10421367.jpg

この時代のメルセデスベンツ280CEは、W114と呼ばれているのですが、僕の大好きな時代のクルマであります。
(因みに6気筒エンジン搭載車をW114と呼び、その他のエンジン搭載車をW113といいます)
f0056835_1042354.jpg

このクルマは、ヤナセで販売された正規物(当時のインポーターはヤナセ系列のウェスタン自動車)で、初年度登録は、75年12月という、1975年式になります。
ダークグリーンのボディの輝きは見事で、メッキの部類にも、少しも歪んで輝いたりするような箇所が有りません。
f0056835_1043116.jpg

ラジオはオリジナルで・・・。
f0056835_10433391.jpg

バックシートもご覧の通り、使った形跡さえなく感じてしまいます。
f0056835_10444175.jpg

ナビシート側から覗いてみれば、ダークグリーンのボディにマッチした、同色のシートカラーで、とてもお洒落であります。
f0056835_1045231.jpg

ドライバーズシート側から覗いてみれば、チョットばかり大きめのステアリングで、僕の大好きな時代のクルマが、ここには有ったのでした。
f0056835_10452046.jpg

エンジンルームを覗いても、リアトランク内を覗いても、下回りを覗いても、まるで新車のように輝いていて、オリジナルを保って、とても綺麗にフルレストアした、クルマだ~なあと思っていたのですが、それは、僕の大きな間違いでありました。
f0056835_10461517.jpg

このクルマは、ワンオーナーで、しかも走行距離が「2778キロ」という、そんな貴重なクルマでありました。
f0056835_104633100.jpg

70年代のクルマで、ワンオーナーで有るクルマは、探せば沢山有るかも知れません。
僕のジェンセン・ヒーレーも、最初の登録ナンバーを継続する為に、前オーナー様のご厚意に甘えて、名義変更していないので、車検証のうえでは、ワンオーナーのクルマにはなります。

ジェンセン・ヒーレーは、1975年10月が、初年度登録なので、この280CEとは、僅か2ヶ月違いの登録ということになります。
まるまる34年が経つワケですが、僕のジェンセン・ヒーレーの走行距離は59000キロになりました。

34年で59000キロの走行距離は、少ないほうだと思ってはいますが、僕のジェンセン・ヒーレーは、車検を受けずに、放置していた時期が、数年間ありました。
(自動車税だけ支払って)

対する、このメルセデス280CEは、名実共にワンオーナーであり、車検を毎回欠かさずに、ディーラーにて継続していて、その記録簿も完備されています。

ウィンカーレバーには、新車で納車された、あの35年前の記念品が、ぶらさがっていたままでした。
f0056835_10465551.jpg

このクルマのオーナー様は、多忙で使用する時間がなかったとのことですが、まるで自動車博物館に温存されていたような、こんな素晴らしい個体のメルセデス280CEが、一般オーナーの元で、存在していたことに、正直な気持ちとして、僕は驚きを隠せませんでした。

驚きを隠せなくなってしまった僕は、タイヤを覗いてみたのでした。
f0056835_10471796.jpg

驚きを隠せなくなってしまった僕は、タイヤを覗いて、更にビックリ仰天したのでした。

それは、この280CEに履かれていたタイヤは、ピレリ・チュンチラートCN36で、なんと製造年が1975年でありました。

なんと新車で納車された時の、34年も前のタイヤのままで、それが、見事なまでに新品のタイヤの山を残していたのでした。
f0056835_10473852.jpg

『PAZOO Auto Mobiles』では、この極上のメルセデス280CEを、「ASK」つまり「価格応談」として、販売しています。

当時の新車価格を調べてみたら、703万円になっていました。
f0056835_1191324.jpg

「ASK」つまり「価格応談」として、販売しているワケですが、僕が勝手に、このメルセデス280CEの販売価格を決めてしまうというのは、とても理不尽なことだとは思ってはいます。

この極上の状態を見れば、1000万円超えになっても、当然のようにも思えています。
でも、可能ならばリズナーブルな値段で、販売して欲しいな~あと、勝手に思っています。

そうなると、750万円という金額が、僕の頭の中に浮かんでくるのですが・・・。
いずれにせよ、今年になって7台のクルマを手に入れてしまった僕には、残念ながら、購入することが出来ません。

ご興味がある方は、『PAZOO Auto Mobilesアントニオ伊藤さん』 に、ご連絡してくださいませ。

アントニオ伊藤さんには、セイウチと言って頂けると判ると思いますが・・・。
といって、僕はブローカーではなく、こんな素晴らしい個体を、単に、皆様にご紹介したかっただけです。
念のため(笑)

メルセデス・ベンツ 280CE(W114)
初代コンパクトクラスのウエストラインから上をピラーレスのハードトップにアレンジしたクーペで、68年11月にデビュー。
ホイールベース、全長ともサルーンとまったく等しく、全高だけ45mm低くされている。
スウィングアクスルに代えて採用したセミトレーリングアーム/コイルの後輪懸架をはじめ、シャシーはセダンと共通。
直6DOHC2746cc・インジェクション仕様の185PS。
W114のトップモデル。
280CE(5速MT)は、CG誌74年3月号のテストで最高速度201.38km/h、0-100km/h加速9.9秒、0-400m加速15.98秒の高性能を記録している。
77年、ジュネーブショーでデビューした新Cシリーズ(W123)に後を譲った。

by seiuchi-porsche9 | 2009-10-16 12:18 | オールドカー 旧車
2009年 09月 26日

間違いだらけじゃなかったクルマ選び!

突然ですが、素敵な出来事が起きたので、ご報告させて頂きます。
今の僕にとっての、素敵な出来事とは、仕事はイマイチの状態ですので、素敵な出来事とは、クルマに関してのことであります。

以前、『You are my destined soul mate(吉田匠氏に大感謝!)』というタイトルで、ご紹介させて頂いた、吉田匠氏の愛車アルファロメオ・ジュニアZ(1970年型)を、吉田匠氏から、正式に譲って頂きました。
(吉田匠氏撮影)
f0056835_61158.jpg

2ヶ月ほど前、吉田匠氏に、お電話をして、「先生、ジュニアZを僕に貸してください!」とお願いして、吉田匠氏と僕で、共同所有という形で、お預かりしていたジュニアZだったのですが、『共同所有という今の形で、預かって頂いていると、セイウチさんも、思いきって自分好みに、手を入れたり出来ないでしょうから、もしもその気があれば、セイウチさんに、完全にお譲りしてもいいですよ』という、ご提案を頂き、こと旧車となると、手を加えたくなってしまう、この僕としても、僕個人のクルマとして、手を加えていったほうが、今後、ご迷惑をお掛けすることにも成らないと思い、このご提案を、願ったり叶ったりとして、感謝の気持ちを添えて、お受けさせて頂きました。

お譲りして頂いた、アルファロメオ・ジュニアZは、1970年型であります。
(吉田匠氏撮影)
f0056835_5583224.jpg

そして、ワーゲン・ポルシェ914(2.0S)は、1976年型であり、ジェンセン・ヒーレーは、1975年型です。
f0056835_559239.jpg

ご存知の通り、アルファロメオ・ジュニアZは、イタリアのクルマであり、ワーゲン・ポルシェ914(2.0S)は、ドイツのクルマであり、ジェンセン・ヒーレーは、イギリスのクルマであります。

この3台のクルマは、60年代後半から、70年代前半に登場しているので、この3台は、ほぼ同じ時代のクルマになります。
当時のスーパーカーというジャンルからは、大きく外れる3台のクルマではありますが、この3台のクルマを、僕は、純粋なるスポーツカーであるとは思っています。

この同じ時代を刻んだ、3台のスポーツカーであっても、イタリア、ドイツ、イギリスという、生産国の違いによって、乗り味もデザインも、使い勝手も、何もかもが、大きく違っていた、そんな時代のクルマであります。
各国で生み出される、それぞれのクルマが、それぞれの国民性をも主張していた、そんな時代のクルマであります。

イタリア、ドイツ、イギリスという3ヶ国で生産された、この3台のクルマと共に生活出来ることを、今の僕は、申し訳ないほど、楽しく感じていて、大袈裟に思えるでしょうが、僕にとっては、この形のクルマの楽しみ方こそが、今の僕の、つまり、現時点においての、僕の中での、究極のクルマの楽しみ方にさえ思えているのであります。

そうは言っても、関西や東北などへの長距離ドライブをするならば、この3台は、僕の選択肢からは外れてしまうので、片道200キロ程度の短距離ドライブや(200キロは、人によっては長距離ドライブになるのカモしれませんが)、日常的な足として使用するスポーツカーとしては、この3台のクルマは、何よりも、そのコンパクトさゆえ、とても楽しく感じるということになるようです。

機会がある時に、この3台の乗り味の違いを、書かさせて頂くとして、結論じみた書き方をしてしまえば、ワーゲン・ポルシェ914(2.0S)と、ジェンセン・ヒーレーの2台のクルマを、使い分けて乗っていた時よりも、ジュニアZが加わったことにより、今までは、それほど意識しなかった、ワーゲン・ポルシェ914(2.0S)と、ジェンセン・ヒーレーという2台のクルマの長所と短所が、より、はっきりとした形として、僕の頭の中に浮かんで来るようになったということなのです。
この頭の中に浮かん来るようになった理由というのが、ジュニアZの長所と短所が、段々と判り始めて来たということにあるようで、この3台のクルマを、乗り比べながら走りまわっていると、この3台のクルマの、それぞれが持つ長所の種類は、全て異なっていて、決してオーバーラップしない部分の魅力に有るということに、気付かされたワケです。

この3台のクルマを、乗り比べながら走りまわっていると、この3台のクルマの、それぞれが持つ短所は、実は、短所なんかではなく、この短所こそが、そのクルマが持っている長所を際立たせる、その為に存在しているのではないかとさえ、感じてしまいます。
つまり、短所と感じていたものは、ホントは、いわば長所と呼んでも差し支えがないのではないかとさえ、思えて来てしまうのです。
この不思議で素敵な感覚、この感覚に関する詳細は、短くは書けないので、またの機会に譲ることにします。

いずれにせよ、吉田匠氏に譲って頂いたジュニアZは、完璧なまでに、楽しいクルマであります。
そして、このジュニアZの持つ楽しさは、運転するという行為、つまり、ライトウェイトかつコンパクトのスポーツカーを操るという、そんな単純な、僕の身体で感じ得る、そんな芯の部分での楽しさは、3台のクルマは、全くと言っていいほど共通ではあるけれど、こうしてジュニアZと共に生活をするまでは、今までは隠れて感じ得なかった、ワーゲン・ポルシェ914と、ジェンセン・ヒーレーに対する、それぞれの微妙な部分の楽しさの差さえも、教えてくれたという、そんな感じの出来事になったのでした。

上手には説明出来ない、この感じ方なのですが、ジュニアZを手に入れたことによって、ジュニアZそのものの楽しさを知ったのと同時に、ワーゲン・ポルシェ914と、ジェンセン・ヒーレーの楽しさをも、再認識させてくれて、ジュニアZというクルマが1台増えただけなのに、ワーゲン・ポルシェ914と、ジェンセン・ヒーレーの2台までもが、リニューアルされ、新たに3枚のカードが、加わったという、そんな幸せな気分なのであります。

ジュニアZに関して、ド素人の僕なりの感想を書くことが許されるとは、思ってはいませんが、下記のジュニアZに関する記述は、8月4日に、吉田匠氏に提出させて頂いた、僕のレポートメールからの抜粋になります。
的外れのようで、とても恥ずかしいのですが、掲載させて頂きます。
f0056835_615187.jpg

クラッチを切ってから、直ぐにギアをリバースに入れようとすれば入り難いし、ワイパーの動きはギコチなく、大雨が降ったら、それこそ、走ることさえ諦めざるを得ないという、そんな感じは、914とジェンセン・ヒーレーと同じで、この不自由さこそが、僕の大好きなクルマ、そのものの原点であり、僕にとっては、クルマが愛しく感じる部分でもあります。
f0056835_623240.jpg

ジュニアZは、ある程度の速度で、道路工事跡の段差なんかを乗り越えると、先ずは最初にフロントタイヤが乗り越えるワケですが、フロントタイヤが、段差を乗り越えると同時に、フロントダンバーを介して、多少はカツンと伝わって来ます。
でも、その感覚が、リアタイヤが、その同じ段差を乗り越える時には、とても上手に収縮してくれています。

フロントのダンバーよりも、リアのダンバーを弱くしているのか、フロントよりも、リアのバネレートを弱くしてあるのか、この前後の足周りのセッティングバランスは、絶妙の設定であります。

この時代のクルマで、FRである限りは、エンジンの載っている、フロント部分の方が重いハズなので、リアのダンバーやコイルを、フロントのダンバーやコイルよりも、柔らかく設定するというのは、絶大な効果が有るようで、この短いショートホイールベースのジュニアZを、リアサスの仕組みの旧さを(固定トレーリングアーム)、少しも感じることなく、ストレートであろうと、コーナーであろうと、ほぼニュートラルステアで楽しめるのは、吉田匠氏が交換してくださった、KONIダンバーの恩恵であるところが、とても大きいのではないかと思うと同時に、流石、自動車ジャーナリスト様と感服しました。
(これに関しては、リアのコイルも、少しだけ短くカットして、前後のバランスを微調整し、フロントよりもリアをソフトに設定してあるとのお返事を頂きました)
f0056835_63478.jpg

また、タイヤが14インチの185/70を履いていますが、(当時の設定だと、82とかであったのカモ知れませんが)扁平率70という、今では稀なタイヤを履いている点も、このジュニアZの魅力を、思う存分に引き出しているようで、仮に、もっとサイドウォールの硬い扁平な、現代的なタイヤを履かせてしまうと、サイドウォールでストロークしてくれなくなり、このジュニアZの乗り味は、大きく違ってしまうハズで、僕は、足周りに関する、吉田様の全てのチョイスに関して、流石だな~あと、ただ、ただ、感心させられてしまい、頭が下がる思いです。

この時代のクルマのミッションは、1速に入れた状態でも、2速に入れた状態でも、前後左右に動く、どのギアに入っていても、何処もかもが、ニュートラルに入っているような状態の、そんなアバウトな感覚のものだと思い込んで運転したワケですが、これが、1速から5速の、どのギアに入っていても、前後左右なんかには、ふらふらと動かない、このシッカリ感が、このキビキビ感が、このジュニアZの運転を、更に、とても楽しくしてくれていると感じました。
f0056835_63332.jpg

車幅155センチから来る、このコンパクトが、このクルマの魅力で、この車幅が155センチからは想像出来ないほどの、その居住空間の広さにも驚かされるワケですが、この車幅の魅力があったとしても、シフトストロークが大きくって、どのギアに入れても、ニュートラルに入っているように、上下左右に動く、グニュグニャのシフト感覚だとしたら、この車幅155センチという、このコンパクトの魅力は、かなりスポイルされてしまうのではいかと、想像出来るだけに、このシフトのシカッリ感は最高だと思いました。

380ミリという、今の時代では大きめのNARDIのWOODステアリングは、大雑把に確かめたところ、ロックからロックまで1.7回転で、90度の直角を曲がるならば、1回転廻せば丁度という設定のようですが、街中を走っていた時には、914なんかとは違って、ジェンセンヒーレーと同じように、多少、遊びが大きめで有ると感じていました。
それが、速度を上げて行くと、その印象が変わってきて、これは遊びではなくって、このショートホイールベースには最適な余裕なのではないかと思いました。
東北道を走って、高速安定性が良いのが、僕なりにも、よく理解出来たつもりではおります。
f0056835_64047.jpg

エンジンに関しては、6500回転を上限と決めて、回させて頂いておりますが、ストレスなく良く回って、とても気持ちが良いです。
970キロのジュニアZの車重に関しては、軽いという、そんな感覚を持たないとイケナイのカモ知れませんが、軽いと感じるというよりも、重さを感じないという、そんな表現をさせて頂いたほうが、僕には的を得ているようです。

重さを感じないということは、裏を返せば、軽いということでもあるので、同じような気もするのですが、僕には、どんなクルマであっても生まれ持っている、クルマ自体の重さを感じさせない、そんな良く回るエンジンが、このジュニアZには、載っているという、そんな捉え方になるようです。

初代シビック1200に乗っていたことがあって、ある意味では、(基本設計の時代こそ違えども)ジュニアZと同じ時代の市販車で、(用途こそ違えど)排気量も同じようなクルマに成るのですが、低速トルクが比較的あったシビックとは対照的なエンジンながら、上までストレスなく廻る、あの時代に、憧れに憧れた、あのDOHCエンジンが、愛しのジュニアZには載っています。
f0056835_643073.jpg

あの時代の日本車では、搭載されることが殆どなかった、あの憧れのDOHCエンジンは、今では、街ゆく殆どの大衆車にも積まれていて、今では普通のモノになりました。
でも、当時の僕にとって、生産する、その全ての自動車に、DOHCエンジンを載せていたアルファロメオは、僕の憧れの自動車メーカーでありました。
それが、40年近い年月を経て、僕と一緒に生活をすることに成るとは、なんとも最高の出来事です。

この1290ccの排気量であるジュニアZを、当時のリアルタイムで運転していたならば、今よりも更に、衝撃を受けたことは、間違いないことだと思っておりますが、それにしても、このエンジンは、今の時代でも素晴らしいモノに感じますね。

ザガードデザインのシートの座り心地は最高で、座面も背面も、必要以上に厚みがあって、デザインも最高だし、文句の付けようがありません。
シートレールの取り付け方法を眺めてみると、床面のレール取り付け部分だけが、3センチほど上げてあって、着座位置を高くする工夫がしてありました。
僕は、身長170センチなのですが、今の時代では主流のシートバックを起こした状態での、ジュニアZのヘッドクリアランスは10センチほどになります。
f0056835_645936.jpg

外国人だとすれば、僕よりも身長が高くって、座高も高いワケですので、この時代の運転スタイルの主流であった、シートバックを倒して、左右の腕を伸ばして運転するという、あのスタイルに合わせて設計されているのカモと感じました。

僕のように、シートバックを起こして運転すると、傾斜があるフロントスクリーンの関係もあって、やや後方に取り付けられたと感じてしまうルームミラーが、僕の視線からは、かなり近い位置にあります。
運転していると、車内空間が広い分だけ、このルームミラーの位置が、多少は気になるところでありました。
f0056835_652892.jpg

でも、あの時代のシートバックを、やや倒した、あの運転スタイルを想像してみると、このルームミラーの位置には、それほど違和感がないということにも気付きました。

ジュニアZのサイドウィンドの下の端は、僕の脇の下と、殆ど同じ高さの位置になるのですが、Aピラーを筆頭に、全てのピーラーが、細く綺麗に仕上がっていて、ドライバーズシートに座って、360度を見渡せば、視界は限りなく100パーセントに近いという、なんとも最高に運転し易いクルマです。
まるでガラス張りの温室の中に居るような、この気持ちの良さは、現代のクルマでは絶対に味わえない、最高の贅沢ですね。

先日、117クーペを運転する機会があったのですが、その時も、四方のガラス面積の多さに、今の時代のクルマでは失ってしまった、新鮮さを覚えました。
そういえば、117クーペは、ジウジアローで、同じ時代のイタリアの血が多少は入ったクルマだったと、今にして思いました。

さて、愛しのジュニアZが、身近にやって来てくれて、僕は、触るという、そんな楽しみを覚えました。
触るということに関しては、洗車することが、1番判り易いのではないかと思い、洗車をしました。

洗車をして、セーム皮で拭きとっていくと、拭き取ったハズの水滴が、何度も、また出没してくる箇所があります。
要するに、この箇所こそが、手入れを怠ると、最初に錆びてくる箇所になるので、クルマと生活を始め出すと、最初に洗車をするのが、僕なりの儀式でもあります。
左右のガラスの下は想像通りで、リアゲートも想像通りでしたが、フロントボンネットの前部は、数センチの厚みで水溜り状態に成ることも知りました。
f0056835_6605.jpg
f0056835_661617.jpg

以上は、僕なりのサビに対する、心構えの為なのですが・・・。
そんなことよりも、このモノコックボディーの造りの良さに、僕は想像以上の驚きを感じました。
タイヤハウスに、手を伸ばして、手が届く限りの範囲を、洗車シャンプーを付けたスポンジで洗ってみました。
この態勢で作業をすると、手だけ伸ばしているので、僕の視線は他を向いていて、全くタイヤハウス内を見ることは出来なくなります。
f0056835_664657.jpg

僕の作業は、手袋などしない素手で行っています。
こうして作業をしていると、指先が痛いと思った瞬間に、指先が切れているという、そんなことが頻繁に起きます。

ジュニアZは、僕の期待を大きく裏切って、スポンジなんかを使わなくっても、指先で直接、どんな小さな隙間を、作業しても大丈夫なほど、最高のフィニッシュをしていました。
特に前後のフェンダーの折り曲げなんかは、とても綺麗で、これって、当時の熟練工の手作業だったのですかね?
それと、タイヤハウス内には泥なんかもなく、とても綺麗でしたので安心してくださいませ。
(これに関しては、吉田匠氏から、ボディの仕上げの件、その多くはザガートの職人というよりも、吉田匠氏の元で造り直した箇所が多いと、お返事を頂きました)

美しさゆえ、リアフェンダーを左右の方向から、ブツケテしまうと、致命的な打撃を受ける構造で有ることも判りました。
f0056835_671249.jpg

ガソリンタンクは新しいモノと交換されていて、サビの心配も全く不要なんですね!
ガソリンタンクの取り付け位置が、給油口のある後方の、右側半分という構造になっていました。
f0056835_673784.jpg

スペアタイヤを後方の左側に載せているので、ガソリンタンクが右側にあるのですが、ガソリンが少なくなってくると、左後方に重量配分が片寄るという、そういう事前知識になるようです。
f0056835_68415.jpg

それと、このガソリンタンクの位置で、時代背景からのガソリンタンクと燃料ポンプの仕組みで捉えると、ガソリンが残り少なくなって来ると、ガソリンが多少は残ってはいても、登り坂を走り続けていると、ガソリンが残っているのに、ガス欠するという、そんな結末を迎えそうではあるので、注意が必要ではありますね。
そんなことが起きてしまった時には、登り坂をバックで走って行きますが(笑)
f0056835_683456.jpg

フロントボンネットやリアゲートの納まりフィニッシュも最高の部類だし、洗車すると曇ってしまう、例のアクリル製のフロントカバーも、少し時間が経てば、自然に曇りは消えしと、全てが、実用的で、申し分の無い、そんな素敵なクルマでした。
f0056835_69161.jpg

結論なんて、そんな大袈裟なものではありませんが・・・。
やっぱり・・・。
僕の五感を、全て満足させてくれる、そんな素晴らしき、愛しのジュニアZでありました!

というワケで、僕は、吉田匠氏から譲り受けて、憧れのアルファロメオ・ジュニアZのオーナーになりました。
f0056835_694260.jpg


皆さま♪
例によって・・・御馳走しなければ・・・ですかね(笑)

by seiuchi-porsche9 | 2009-09-26 06:10 | アルファロメオ
2009年 09月 15日

ワーゲン・ポルシェ914(914Day)

9月14日は、「914day」ということで、914のステアリングを握りました。
6月14日に開催された、CG CLUB様主催(後援・㈱二玄社様)のSpringMeet2009(修善寺サイクルスポーツセンターで開催)以来なので、3ヶ月ぶりの、914でのドライブでした。

SpringMeet2009の帰りには、『なんとも豪華なレスキュー隊に大感謝!』 というタイトルで、このブログで、ご紹介させて頂いたように、高平高輝氏と、塚原久氏という、なんとも豪華なレスキュー隊の助けを、お借りして、修善寺から、走って帰って来ました。
f0056835_9572176.jpg

この時は、イグニッションコイルを留めている留め金が壊れてしまい、エンジンルーム内の更なる下の方にイグニッションコイルが落ちてしまい、その結果、アース側(マイナス側)が外れてしまい、高平様と塚原様が、アース線を結び直して、赤いビニールテープで絶縁してくださいました。
f0056835_9592273.jpg

その後、お世話になっているPCで、留め金パーツを取り寄せて貰い、元の状態に治して頂きました。
(本国AG在庫で納期2週間ほどでした)
f0056835_9594570.jpg

留め金から外れてしまい、エンジンルーム内で、あっちこっちブツかって、無残にも傷だらけに成ってしまった、イグニッションコイル本体も、交換してしまおうと思ったのですが、イグニッションコイル自体は、機能的には、損傷を受けていないということと、何よりも、高平高輝氏と、塚原久氏の指紋が付いた、そんな貴重なイグニッションコイルなので、このまま使用することにしました。
f0056835_17185458.jpg

僕のワーゲン・ポルシェ914は、76年型で、ワーゲン・ポルシェ914としては、最終モデルになります。
最終と言っても、33年目を迎えています。
実走行で76000キロほど走っているのですが、エンジンを、ピストンを含めて、全パーツを新品パーツと交換という、フルオーバーホールをした後の、この10年あまりだけを、振り返ってみると、2万キロほど走りました。
(2万キロの内の2千キロは慣らし運転に費やしています)

エンジン関係を、オーバーホールしたと同時に、足周りのパーツを、コイルやダンパーやブッシュだけでなく、アーム類を含む、足周りの全てのパーツを、新品パーツと交換しています。

内装、つまり車内を除いて、外装と走ることに関わる、全てのパーツを、新品パーツと交換するという、そんな作業をしたのが、10年ほど前ということになります。
(ガラスを外して、エンジン下ろして、ドンガラ剥離しての全塗装もしたので、ゴム類も全て新品と交換しました)

学生の頃から、お世話になっている修理屋さんに、時間がある時に作業をしてくれるという、そんな条件だけで、作業を依頼しました。
時間がある時にだけ、作業をして頂いていたので、この作業に要した月日は、およそ1年あまりでした。

塗料や接着剤等を除く、他の全てのパーツは、僕からの支給でしたが、全塗装とエンジンオーバーホール、クラッチ交換、ミッションオーバーホールの工賃を含む、全ての組み立て直しを、お願いして、請求された金額は、月に換算して、5万円あまりという、税込合計で70万円というなんとも格安な、レストア代金であり、今でも、ここの社長には、心から感謝しています。

ジェンセンヒーレーも、ここの修理屋さんに、作業をして頂いています。
因みに、現在は、アメリカよりパーツを取り寄せ中で、不動車状態ではあります。
(kuniさんから譲って頂いて、僅か3週間2000キロ走行で手放してしまったAMG・E55とツーショット)
f0056835_1003382.jpg

914のレストアに関しては、自分への記憶の確認という、そんな意味合いを込めて、いつの日にか、ブログに書かさせて頂こうと思ってはいます。

ひとつだけ、今、書いておきたいことは、このレストア終了後の、我がワーゲン・ポルシェ914の乗り味は、当時の新車そのものという、全てが最高の状態でありました。
今の乗り味はというと、新車から、2万キロほど走った、そんな感じの乗り味に変化していますが、この2万キロ走行の間に、起こった不具合と言えば、シフトリンゲージの不具合と、今回のイグニッションコイル脱着という、そんな小さな不具合だけで、消耗品であるバッテリー交換とオイル交換を除けば、要した修理代金は、合計で5万円にも届いていません。
(今回は3000円ほどの出費)

1度、思いきった作業を、施してしまえば、とても維持費が掛からないという、そんな信頼性に、満ち溢れているのが、ワーゲン・ポルシェ914だと、僕は思っています。
(キャブ調整の不要なワーゲン製4発インジェクションということも大きいとは思っていますが)

先日。
レストア後、10年近く経過したので、タイヤハウス内のアンダーコートを、再度、塗ってあげました。
黒ではなく、白のアンダーコートを使っていたので、小さな傷が目立つように成り、再度、白のアンダーコートを塗ってみました。
f0056835_101759.jpg
f0056835_1012492.jpg

ホワイトのアンダーコートを再塗装して、チョットばかり綺麗になった、914で、大黒PAを目指しました。

日曜日の朝のレインボーブリッジを、走り抜ける我が914は、ナビシートに納まるハズの、あのゼンマイ仕掛けのお人形を、置き忘れてきてしまった、そんな僕を、後悔させるどころか、あの70年代の、独身生活を謳歌していた、あの素晴らしく自由な、そんな時代の僕を、取り戻せてくれる、あの時代の、あのクルマの楽しみ方、そのものが、僕の全身の血管の中に、蘇ってきたのでした。

僕にとっての、クルマの楽しみ方の第1優先順位は、後方視界確保にあると言っても過言ではないので、その意味でも、914は、最高のクルマになるのです。
f0056835_1015112.jpg

大黒までのドライブは、最高に楽しく、僕のクルマの楽しみ方の原点は、やっぱり、チョットばかり旧いクルマで、それも高価な貴重なクルマではなく、どんな場面でも、気軽に乗れる、そんなスポーツカーに有るのだと、再認識させられた、3ヶ月ぶりの914でありました。
f0056835_1021244.jpg

この日は、お世話になっている914クラブの、、(関東近郊の方の)「914day」の集まりでした。
f0056835_1023015.jpg
f0056835_1024412.jpg

大黒PAから、見晴らしの良い、素敵な場所まで、ツーリングをしました。
f0056835_1031137.jpg

こうして、5台の914を並べて、眺めてみれば、我が914は、チョットばかり車高が高く感じてしまいます。
f0056835_10462068.jpg

デビュー直後の914の話になりますが・・・。
ポルシェAGの工場出荷時の、規定の車高は、サファリラーリー等に参戦していた当時の写真を見ても判るように、本来は、フロントタイヤとフロントフェンダーの隙間にも、リアタイヤとリアフェンダーの隙間にも、握りこぶしが入るほどの車高をしていたそうです。
当時のインポーターであった三和自動車は、本来の車高では、見た目からして、格好良くないので、車高を下げて販売したと、お聞きしたことがあるのですが、これは日本だけが、車高を下げて販売したワケではなく、輸出された殆どの国で、同じように車高を下げて販売したので、ポルシェAGの工場出荷時の車高を、本来の設計時の車高ではなく、かなり下げた車高として出荷するように替わっていったというお話を、当時の関係者様から、お聞きしたことがあります。

つまり、964RSや、993RSや、996の初期型GT3と同じように、ポルシェAGの工場を出荷した時の車高の高さが、そのクルマが独自に持つ車高で、それぞれの車高がマチマチで、それぞれのクルマの足周りを組み立てて、それぞれ独自に出来上がったクルマの車高そのものが、それぞれの本来の車高という、そんなクルマになるワケです。
(厳密に言えば、914は本来の設計値ではない車高に落としているので、同じ仲間には成りませんが)

いずれにせよ、914の車高は、オーナーの好み次第で、いかなる高さになっていても、構わないというのが、僕の中での持論ではあります。
(当時のカタログ写真も、車高が下がっています)
f0056835_1033117.jpg

僕は、自分の好みとして、新車当時のタイヤは165SR15で、今の僕の914は、195/65のタイヤを履いているので、扁平タイヤで、なおかつ、当時のタイヤよりもサイドウォールが硬くなっていると思うので、タイヤ自体のストロークが、当時よりも少ないハズなので、見た目の格好良さと、重心が下がることによるコーナリング性能を犠牲にしても、当時の乗り味を楽しみたいという、そんな老人的な発想で、あえて車高は高めに設定してはあります。
(タイヤのグリップを良くすると、当時のタイヤ性能で設計されているボディー剛性に、一抹の不安を感じてしまうということもありますが、タルガトップの914では、余計に不安を感じるという、そんな小心者の僕でもあります)

いずれにせよ、僕の旧車に関しての楽しみ方は、自分自身をも、その当時の時代に戻して、精神的にも若返って楽しみたいという、そんな偏った楽しみ方なので、動力性能よりも、当時の乗り味を優先してしまっているというのが、偽らざる心境ではあります。
f0056835_1035722.jpg

当時は不評だった、そんなクルマに、40年近く経った、今も乗っているというのは、僕の中では、素晴らしい出来事に感じています。
f0056835_1042012.jpg

僕にとっての914は、1分の1の、クルマの玩具という、そんな感じがしています。
f0056835_1044560.jpg

当時。
どちらが前で、どちらが後ろなのか判らなく、格好良くないスタイルと言われた914は、今の僕には、どちらが前で、どちらが後ろなのか判らないから、格好良いのではないかと思っています。
f0056835_1051140.jpg

この914だけは、僕の中で、一生モノということに成りそうであります。
f0056835_1053474.jpg

僕は、皆さまが、御存知の通り、写真が超下手なので、この日は、大黒PAで、偶然会ったakiさんを、ナビシートに拉致して、ここまで走って来ていました。
f0056835_1073833.jpg

男性であるakiさんを、大黒PAでナンパするとは思ってもいなかったのですが、僕の写真の腕前を考えてしまうと、時には、同性でも良いかな~あと、思ってしまったのでした(笑)
akiさん♪どうもありがとうございました!
f0056835_1083063.jpg

この日、大黒PAで、お会いした皆さま、楽しいひと時を、ありがとうございました。
そして、914クラブの皆さま、お世話になりました。
皆さま、ありがとうございました!

追伸
大黒PAで、同姓をナンパしてしまった呪か(笑)、帰りがけに、飛び石で割れてしまいました。
f0056835_10111128.jpg

M君♪
君だけは、ホント毎日が楽しそうで、羨ましいですよ(笑)
f0056835_10115055.jpg


by seiuchi-porsche9 | 2009-09-15 10:12 | ポルシェ914
2009年 08月 25日

ジャガーXK120 ロードスター(1954年式)

親友M君が、遊びに来た。
25日で、忙しいのに遊びに来てくれた(笑)
f0056835_12191213.jpg

忙しいハズの僕は、誘惑に負けて、運転して遊んでしまった。
身長170センチの僕には、前方が全くと言っていいほど、見えなかった。
(ステアリングはノーマル。3本スポークに交換すれば見えそうではありますが・・)
f0056835_1219402.jpg

こうして、ここから覗いて運転するのか?
f0056835_1220778.jpg

こうして、上半身を左に寄せて、運転するのか?
f0056835_12203011.jpg

はたまた、上半身を右に寄せて、運転するのか?
f0056835_12205623.jpg

ドライビングポジションは、悩むところではありますが、とにかく、55年前のクルマ(1954年)とは思えないほど、パワフルではある。
水冷直列6気筒(DOHC)3442CC
160PS/5000rpm
27.0kgm/2500rpm
f0056835_1221212.jpg

それに、なんと言っても、美しいスタイルです!
f0056835_12214365.jpg

全長(mm) 4270
全幅(mm) 1550
全高(mm) 1270
車両重量(kg) 1143
f0056835_12221136.jpg

サスペンション前 独立ウィッシュボーン・トーションバー
サスペンション後 固定半楕円リーフ
f0056835_12223370.jpg

ブレーキ前後 ドラム
(鉄チン・センターロックワイヤーホイールは、僕の子供の頃の憧れのクルマです)
f0056835_12225873.jpg

タイヤ  6.00-16
f0056835_12243777.jpg

変速機  4速MTフロア
f0056835_1225484.jpg

乗車定員(名) 2
最高速度(km/h) 193
f0056835_12253071.jpg

M君、納車おめでとう!
いつもの如くだけれども・・・。
こうして、僕に最初に、お披露目してくれるのは、ホント嬉しいことですよ!
また、忙しい日を狙って、遊びに来てくださいね(笑)
f0056835_12315869.jpg

以下、参考資料より抜粋。

ジャガーXK120 ロードスターは、戦後の英国で事実上はじめて発表された戦後型スポーツカーであった。

1948年10月、発表会場となったロンドンで開催された戦後初めてのモーターショーの会場に飾られたXK120は、バトル・オブ・ブリテンにかろうじて勝利したものの、いまだ戦争の傷跡をそこここに残すロンドンの市民にとって、まさに宝石のごとく輝いて見えたという。

今に続くジャガー・デザインの原点とも評される、曲線でつづられたボディラインは、戦前のそれと明らかに一線を画すモダンなものであり、またその低く長いエンジンフードの下のエンジンこそ、このときウイリアム・ライオンズをしてスポーツカーを製作せしめた高性能な新型であった。

戦前のSSカーズ社時代、スタンダード社からエンジンの供給を受けていたライオンズであったが、独自のエンジンを開発するべく優秀なエンジニアを集め、既に戦争前より新型エンジンの開発に着手していた。
ビル・ヘインズ率いる開発チームは戦時も開発をつづけ、Xシリーズエンジンの開発コードは既に“K”に達していた。

“XK”エンジンは、当初直列4気筒の2リッターバージョンと6気筒の3 1/2リッターバージョンが企画されたが、結局大型の6気筒版のみがこのXK120と、その後サルーンにも搭載され、最終的には1997年までの長寿を誇る傑作エンジンとして、ジャガーを成功へ導くことになる。

ショーでの大評判とは裏腹に、発売までの最終開発には存外の時間を要し、結局ランニングモデルが報道関係者に公開されたのは、半年を経た1949年5月31日であった。
この日、出席者は空路ベルギーヘ運ばれ、当時ヨーロッパで唯一の舗装直線路であったヤベッ(Jabbeke)の公道でのテストに立ち会った。

ジャガー社のテストドライバー、ロン・サットンは132.596mph(約213.393km/h)を記録した直後、XKエンジンのフレキシビリティーを披露するため、集まったジャーナリストの前を、トップギアのまま時速10マイル(16km/h)で走行してみせたという。

ライオンズは翌1950年、ル・マン用マシーンの開発をヘインズに命じた。
XK120には、1951年にフィクストヘッドクーペが、また1953年には巻き上げ式ウィンドーと内張のついたトップにより閉幌時の居住性が向上したドロップヘッドクーペが加わった。

3モデルの総生産台数は12,120台。生産台数の9割以上が北米を主とする外国へ輸出され、当時英国にとってなにより貴重であった外貨をもたらした。

by seiuchi-porsche9 | 2009-08-25 12:28 | マイ・フレンズ
2009年 06月 17日

なんとも豪華なレスキュー隊に大感謝!そして、いつもの絵日記

★6月14日★
前回の投稿 『Spring Meet 2009 中学生の頃からの夢が叶って感無量!』 の続きになりますが・・。

この日は、CG CLUB様主催(後援・㈱二玄社様)のSpringMeet2009(修善寺サイクルスポーツセンターで開催)に参加させて頂きました。
f0056835_143929.jpg

CG CLUBのスタッフの皆さま、㈱二玄社様の皆さま、今年もお世話になりました。
とても楽しいひと時を過ごさせて頂き、心から御礼申し上げます。

写真を何枚か載せさせて頂きます。
小林 彰太郎氏所有のオースティン・セブン。
f0056835_163077.jpg

M君のアルファロメオ8Cと並べると、とてもコンパクトです。
f0056835_165519.jpg

運転したいと思いましたが、とても難しそうです。
f0056835_171633.jpg

これを見た時に・・・。
僕が幼かった頃の父が、この棒と格闘しているのが、何故か急に思い浮かんで来てしまいました。
f0056835_174232.jpg

1964年 第二回日本日本グランプリで優勝した、式場壮吉ポルシェ904GTS。
(現オーナー様はM氏様)
f0056835_181058.jpg

f0056835_183283.jpg

オーナーM氏様の御好意で、こと細かく覗かさせて頂きました。
M氏様、どうもありがとうございました。
f0056835_185721.jpg
f0056835_191879.jpg

僕が、この世で1番欲しいポルシェは、やっぱり超素敵なクルマなのですね!
f0056835_1101247.jpg
f0056835_1102932.jpg

KTM・クロスボウ (KTM X-Bow) の実車を初めて見たのですが、これに乗っていれば、目立つこと間違いなしで、究極のスーパーカーなんじゃないかな~あと思えたりして、とても興味が湧いて来てしまいました。
(ミイラ取りがミイラに成ったりは・・・しないと思いますが・笑)
f0056835_1105715.jpg
f0056835_111172.jpg
f0056835_1114263.jpg
f0056835_112028.jpg

サイスポ5kmコースを走らさせて頂きましたが、大好きなアルファロメオ・ジュニアザガードの後ろでした。
ジュニアザガードへの情熱が再炎上してしまった、この日の僕でもありました。
f0056835_1123379.jpg

ルームミラーに映る景色は、もう僕の大好きなクルマだらけの世界でした。
f0056835_113350.jpg

neoさんに最適なクルマを発見して来ました。
(ドライバーはCG塚原編集長)
f0056835_113295.jpg

これでナント公道も走れますから、やっぱり最適でしょ!
f0056835_1135557.jpg

由良拓也氏を囲んでのトークショーも楽しかったです。
f0056835_1142286.jpg

こうして、楽しい1日は、あーっという間に過ぎ去って行き、M君と僕はサイスポを後にしたのですが・・。
箱根ターンバイクで、我が914は突然として、エンジンストールしてしまいました。

フエールポンプは作動しているのですが、火花が飛ばないようで、エンジンが掛かりません。
携帯を見れば、悲しくも圏外でした。

停まってしまったのは、ターンバイクのコーナーのド真ん中で、左端に寄せて停めたのですが、霧も出て来て、夕方だし、やっぱり危ないと判断し、レッカー呼ぶにしても、時間が掛りそうなので、携帯が繋がる場所まで歩いて行って、JAFにレッカーの依頼をしました。
これで最悪な事態だけは、避けられたと思って、我が914の停まっている場所まで戻りました。

戻ってみたら、そこには、偶然通りかかった塚原さんがいてくださって・・・。
そうこうしているうちに、偶然通りかかった高平さんが来てくださり・・・。
皆さまで、我が914を安全なストレート部分まで、押してくださいました。

『この914には、とてもお世話になってと・・・』
塚原さんは、そんな優しいことを仰ってくださり、メカに早変わりしてくださいました。
(因みに以前に914を塚原さんに暫くお貸ししたことがございましたが、あまりお世話はしておりませんと自覚しております)
f0056835_1145518.jpg

高平高輝さんと、塚原久さんという、なんとも豪華なレスキュー隊で、ホント申し訳ないです!
f0056835_1152642.jpg

914のイグニッションコイルは、エンジンルームの奥の下のほうにあるのですが、イグニッションコイルを留めている留め金が壊れてしまい、エンジンルーム内の更なる下の方にイグニッションコイルが落ちてしまい、その結果、アース側(マイナス側)が外れてしまったようです。

塚原さんが、アース線を結び直して、赤いビニールテープで絶縁してくださいました。
f0056835_116777.jpg

さすが天下の自動車専門雑誌、CGとNAVIの皆さまで、完璧なる応急処置をしてくださいました。
(この作業をしてくださっている間にレッカーも到着したのですが、ガムテープをお借りしただけで済みました)

この日は、小林彰太郎氏の同乗体験といい、高平高輝さんと、塚原久さんという、なんとも豪華なレスキュー経験といい、僕の自動車史の中で、思い出多き素敵な1日になりました。
お手数をお掛けしてしまいましたが、本当にありがとうございました!

以下は、いつもの如くに遅い日記です。
★6月某日★
M君に、都内某所まで迎えに来て貰いました。
このクルマだけは( ロールスロイス コーニシュ)、運転するのではなく、助手席に納まっているほうが僕には向いています。
f0056835_1181720.jpg

アウディーR8(V10)の見学会に行って来ました。
f0056835_1184467.jpg

neoさんと、cyu-kinさんも、ご一緒させて頂きました。
f0056835_119889.jpg

neoさんは、写真を撮っているか・・・。
f0056835_11929100.jpg

食べているかの、どちらかでした(笑)
f0056835_1194957.jpg

僕の印象としては・・・。
やっぱり、運転してみないと判らないじゃ~あん!
・・・という結論になりました。
f0056835_1201088.jpg

そして、こちらはチョットばかり欲しくなってしまいましたとさ・・・なのデス。
f0056835_1203421.jpg


★6月某日★
ウナツーに参加させて頂きました。
f0056835_121397.jpg

写真を撮る人・・・。
f0056835_1212419.jpg

撮る前に食べる人(笑)・・・。
f0056835_1215485.jpg

neoさんの納車されたばかりのC63、最後のご対面に成らないことを祈るばかりです(笑)
f0056835_1223259.jpg

DENさんの納車されたばかりのクリオV6は、僕の長年に渡っての憧れのクルマになります。
DENさんの御好意で、neoさんをナビシートに押し込めて(笑)、チョットばかり運転を楽しまさせて頂きました。
(いつもの如くではありますが、ホントに図々しい僕でゴメンナサイです)
f0056835_1235268.jpg

クリオV6のステアリングを握るのは、3回目になるのですが、過去の2回は、いずれもフェーズ1のクリオV6でした。
その2回も、既に4年以上も前のことなので、全ての操作方法を忘れてしまっていて、初めて乗るクルマのように、とても新鮮に感じました。

ルノー・アルピーノ610ターボと、6年ほど一緒に生活していたこともあって、このクリオV6のエンジンが、とても懐かしかったです。
そして、DENさんのクリオV6は、フェーズ2なので、組み立てられた工場は、フェーズ1とは違って、僕のアルピーノ610ターボと同じ、かってのアルピーノ工場だったと、記憶しています。
(間違っていたらゴメンナサイです)

ルノークリオV6のステアリングを握って、チョットばかり驚いたことがありました。
ルノー・アルピーノ610ターボに感じていた、あの当時の不満が、このクリオV6からは、消え去っていました。
それは、エンジンを高回転に保った状態から、ガスペダルを一気に離すと、エンジンブレーキが、とても良く効くことでした。
僕にとっての、空冷911の魅力は、この回転落ちの鋭さに有ると言っても過言ではないのですが、同じRRのルノー・アルピーノ610ターボには、このガスペダルを離すだけでの減速を望むことは、チョットばかり無理なことでした。

610ターボとクリオV6は、同じV6で、排気量も同じ3リッターエンジンであっても、かたやターボで、かたやNAという、この大きな違いが有ったことに、僕は気付くのが遅くって、高回転に上げては、右足のチカラを一気に抜くということを、何度も何度も繰り返してしまい、助手席のneoさんに、『セイウチさん、写真撮れないからエンブレ効かせちゃダメですよ!』と、何度も何度も言われたけれど、僕は、この減速感を、何度も何度も味わいたくって仕方がなかったのでした。

610ターボには、ターボが効き出すと、パワーが盛り上がって来るということが、実感出来たという、そんな当たり前の記憶が残っていて、新車に近かった頃までの1速と2速の加速感は、同時期に乗っていた964カレラ2でさえ、遠く及ばなかったという記憶があります。
(当時の自動車雑誌のテストデータでは、大した記録は残していないのですが、少なくとも僕の610ターボの1速と2速の加速感は圧倒的なものでした)

実際、1速でフル加速していけば、3メーターほどのスピーンマークをアスファルトの上に残すことが出来たし、1速から2速にシフトアップすれば、小気味よいキーキーという短めの音を発しながら、タイヤがスリップしているのが判りました。
最初は、こんな素晴らしい感触のエンジンだったのですが、1万キロを超え、2万キロを超え、3万キロを超えてと、段々と走行距離を刻んでいくと、610ターボの体力が落ちて来たのが、実感出来たという、そんな思い出が残っています。
(当時のディラーであったJAX、そしてその後のフランスモータースに何度も持ち込みましたが、残念ながら昔のパワーは取り戻せませんでしたが、今にして思えばターボユニットを含めた本格的なエンジンオーバーホールしてみれば良かったです)

クリオV6には、ターボがないので、回転の上昇と共に、一気に盛り上がるパワーを感じることはありませんが、5000回転を超えても、ストレスなく上昇して行き、ホントのところ、もっと上の方では伸びが良くないのじゃなかと思っていた、そんな僕の想像を見事なまでに裏切った、回して楽しいV6エンジンでした。
硬い足のクルマに乗り慣れてしまっている僕にすると、クリオV6の足は柔らかくは感じます。
でも、ミッドシップとはいえ、市販車ベースではあるので(それがクリオV6の最大の魅力だと僕は思っていますが)、重心は高いハズで、このストロークする足こそが、このクルマの隠れ持っているであろう、そんなトリッキーな動きを抑えているのじゃないかと、僕的には感じました。

neoさんは、『ウルサイ車内!』と言っていましたが、旧車大好き人間の僕にしてみれば、ヒーレー100やジェンセンヒーレーの車内のほうがウルサイし、更にガソリンと排気の臭いでモノ凄いことになっているワケで、このクリオV6の車内の音は、とても快適な部類に感じてしまいました(笑)

いずれにせよ・・・。
今は残念ながら買うことが出来ませんが、やっぱり僕も買いたいと思ってしまいました。
そんなワケで・・・。
21世紀以降に生産されたクルマで、日常的に乗るクルマで、運転して楽しいクルマのマイベスト5に、このクリオV6は、見事にノミネートされたのでした。

(写真はUJ先生、助手席neoさん)
f0056835_1241771.jpg

山田さんのウナギは4回目なのですが・・・。
最初がアウディーA6で、次が997カレラS・PDKで、その次が987ボクスター・PDKで、この日がM君と一緒のアルファロメオ8Cで、なんかデモカーと友達のクルマばかりで行っています。

こうなったら・・・。
自分のクルマで行かない連続記録!
・・・にチャレンジしようかな~あと思っています。

帰りは僕が運転して帰って来たアルファロメオ8C。
(写真はKen先生、助手席M君ですが、どうみても僕のクルマみたいに見えますね・笑)
f0056835_1244526.jpg

この日、ご一緒して頂いた皆さま、お世話になりました。
そして、楽しい1日をありがとうございました!
(写真はUj先生)
f0056835_125298.jpg

★6月13日★
M君のオースティン・ヒーレー100に乗って出かけました。
f0056835_1255449.jpg

この日は、wataruさんに、987ボクスターSが納車された記念すべき日でありました。
f0056835_1261642.jpg

今度のwataruさんのボクスターは、前のwataruさんのボクスターと違って、フロントボンネットを開けても、アスファルトの道路が見えないようで、何故か僕は安心したのでした(笑)
f0056835_1265546.jpg

僕は、wataruさんの納車が自分のことのように嬉しかったです。
wataruさん、納車おめでとうございます!
(写真はmokuさん)
f0056835_1271713.jpg

★6月某日★
セルフのスタンドで給油して、初めて気付いたことがありました。

それは、給油ノズルに、赤と青と黄色の3種類の色が塗ってあることは知っていたのですが(レギュラー、ハイオク、軽油)、
クルマの給油蓋の裏側には、これと同色のステッカーが貼ってあって、間違えないように注意を促しているのですね。

お恥ずかしながら、国産車をセルフで給油したのが初めての経験という、そんな自分でありましたが、とある巨匠も、こんな日本の常識らしきことを、御存知でなかったので、何故か安心したのでした(笑)
f0056835_127539.jpg


振り返ってみれば、やっぱりクルマとばかり接していた、この6月前半だったのでした・・・。

by seiuchi-porsche9 | 2009-06-17 01:29 | ウォラス walrus
2009年 06月 13日

君のMONOは僕のMONO、僕のMONOは僕のMONO!

いつものダラダラとした絵日記は、また次回にさせて頂きます。

いつもながらのことではあるけれど・・・。
またまた、ありがとうです!
f0056835_12204794.jpg

そして・・・。
明日は伊豆で行われる某イヴェントに参加させて頂きます。
f0056835_12223477.jpg

お気軽にお声掛けしてくださいますと光栄です。

by seiuchi-porsche9 | 2009-06-13 12:22 | ウォラス walrus
2009年 04月 11日

そうだ!やっぱり!とりあえず貯金をしよう!

ワインも呑めない・・・。
アルコールが苦手な僕ではあるけれど・・・。
ワインのように・・・。
50年前後経過した・・・。
そんなクルマに・・・。
とても惹かれています。
f0056835_784913.jpg


by seiuchi-porsche9 | 2009-04-11 07:10 | ウォラス walrus