戦闘的に走れ!

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2009年 08月 25日

ジャガーXK120 ロードスター(1954年式)

親友M君が、遊びに来た。
25日で、忙しいのに遊びに来てくれた(笑)
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忙しいハズの僕は、誘惑に負けて、運転して遊んでしまった。
身長170センチの僕には、前方が全くと言っていいほど、見えなかった。
(ステアリングはノーマル。3本スポークに交換すれば見えそうではありますが・・)
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こうして、ここから覗いて運転するのか?
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こうして、上半身を左に寄せて、運転するのか?
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はたまた、上半身を右に寄せて、運転するのか?
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ドライビングポジションは、悩むところではありますが、とにかく、55年前のクルマ(1954年)とは思えないほど、パワフルではある。
水冷直列6気筒(DOHC)3442CC
160PS/5000rpm
27.0kgm/2500rpm
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それに、なんと言っても、美しいスタイルです!
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全長(mm) 4270
全幅(mm) 1550
全高(mm) 1270
車両重量(kg) 1143
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サスペンション前 独立ウィッシュボーン・トーションバー
サスペンション後 固定半楕円リーフ
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ブレーキ前後 ドラム
(鉄チン・センターロックワイヤーホイールは、僕の子供の頃の憧れのクルマです)
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タイヤ  6.00-16
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変速機  4速MTフロア
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乗車定員(名) 2
最高速度(km/h) 193
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M君、納車おめでとう!
いつもの如くだけれども・・・。
こうして、僕に最初に、お披露目してくれるのは、ホント嬉しいことですよ!
また、忙しい日を狙って、遊びに来てくださいね(笑)
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以下、参考資料より抜粋。

ジャガーXK120 ロードスターは、戦後の英国で事実上はじめて発表された戦後型スポーツカーであった。

1948年10月、発表会場となったロンドンで開催された戦後初めてのモーターショーの会場に飾られたXK120は、バトル・オブ・ブリテンにかろうじて勝利したものの、いまだ戦争の傷跡をそこここに残すロンドンの市民にとって、まさに宝石のごとく輝いて見えたという。

今に続くジャガー・デザインの原点とも評される、曲線でつづられたボディラインは、戦前のそれと明らかに一線を画すモダンなものであり、またその低く長いエンジンフードの下のエンジンこそ、このときウイリアム・ライオンズをしてスポーツカーを製作せしめた高性能な新型であった。

戦前のSSカーズ社時代、スタンダード社からエンジンの供給を受けていたライオンズであったが、独自のエンジンを開発するべく優秀なエンジニアを集め、既に戦争前より新型エンジンの開発に着手していた。
ビル・ヘインズ率いる開発チームは戦時も開発をつづけ、Xシリーズエンジンの開発コードは既に“K”に達していた。

“XK”エンジンは、当初直列4気筒の2リッターバージョンと6気筒の3 1/2リッターバージョンが企画されたが、結局大型の6気筒版のみがこのXK120と、その後サルーンにも搭載され、最終的には1997年までの長寿を誇る傑作エンジンとして、ジャガーを成功へ導くことになる。

ショーでの大評判とは裏腹に、発売までの最終開発には存外の時間を要し、結局ランニングモデルが報道関係者に公開されたのは、半年を経た1949年5月31日であった。
この日、出席者は空路ベルギーヘ運ばれ、当時ヨーロッパで唯一の舗装直線路であったヤベッ(Jabbeke)の公道でのテストに立ち会った。

ジャガー社のテストドライバー、ロン・サットンは132.596mph(約213.393km/h)を記録した直後、XKエンジンのフレキシビリティーを披露するため、集まったジャーナリストの前を、トップギアのまま時速10マイル(16km/h)で走行してみせたという。

ライオンズは翌1950年、ル・マン用マシーンの開発をヘインズに命じた。
XK120には、1951年にフィクストヘッドクーペが、また1953年には巻き上げ式ウィンドーと内張のついたトップにより閉幌時の居住性が向上したドロップヘッドクーペが加わった。

3モデルの総生産台数は12,120台。生産台数の9割以上が北米を主とする外国へ輸出され、当時英国にとってなにより貴重であった外貨をもたらした。
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by seiuchi-porsche9 | 2009-08-25 12:28 | マイ・フレンズ


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